*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 4 章  *  ワシの同級生賛歌

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< 君は真槍で追い回された事あるか? >





真槍は、しんそうと読む。玩具では無い、本物の槍だ。
T・K 君の家に初めて行った折だ。
彼はワシを歓迎して、その真槍でワシを追い回した。
あれはもはや、冗談を越えた犯罪行為ではある。

あれから五十年が立った。この文は、その折の屈辱の、
ささやかな返礼であると、心得て下されたし。

T・K 君、無礼にも程が有るのではないかな?
だからこの段も、君の行為に負けじと、
無礼には程が無い。




*     *     *





< T・K 君の父は、旧軍の佐官であった >


旧軍の佐官が、どんなに凄い地位であったかなど、今の我らには判ら
ない。

佐官とは少佐・中佐・大佐である。 T・K 君のお父さんは少佐か中佐
だった筈。 だから自宅に軍刀や真槍など有ったのだ。



高校生に成った直後である。 ワシは、同級生のT・K 君ちを訪ねた。
能美市・寺井町から歩いて行ける、近郷の部落だった。

T・K 君、まずワシに、お父さんの軍刀を見せた。 先の大戦に
大量生産された、いわゆる昭和新刀である。




ワシ、中学時代は剣道だった。 よって真剣は、知っている。 江戸
初期に打たれた業物( わざもの )など、手にしてる。

見せて貰った昭和新刀は、刀鍛冶が、トンテンカンと打って造った
日本刀では無い。



大量生産品。 蒸気プレスで、ガンガンと鍛えた日本刀だ。 身幅が
広い。 かざして見れば、如何にも刀身は、緻密さに欠ける。

ワシ、のち、古武道して真剣が欲しくなり、それを扱う古道具屋へ行った
事ある。



刃こぼれ少々我慢なら、一振り、七万から勉強させて頂きます言われた。
昭和新刀でも良い物は、五十万、七十万。

しかし、鎌倉・室町時代の業物の如く、一声、何百万なんて事は無い。
昭和新刀は、昭和新刀の値段である。



  *       *       *



ワシが、T・K 君の前で、その昭和新刀を眺めてた時だ。 T・K 君
急に立ち上がり、かもいから、問題の真槍を、手に取った。

その穂先を、ワシに向かい、突き出すではないか。 ワシ、日本刀を手に
危うく身をかわし、悲鳴を発して庭に逃れた。



T・K 君、猛然とワシに向け、槍を突き出す。 ワシが逃げなければ、
あれは突き刺されてたぞ。






何をするのだッ
馬鹿ッ

止めろッ

止めろと言ってるのが判らんのかッ



ワシ、必死で身をかわした。 T・K 君、情け容赦も有ればこそ、立て
続けに槍を繰り出す。

その穂先、ワシの身の数センチまで迫った。 あれはもう、冗談の範囲
では無い。 ワシの顔から、血の気が失せた。



糞ったれめッ  追い回されてるのも詰まらん。 庭に竹やぶ
が有った。

ワシは、そこへ、逃げ込んだ。 槍は平原の武器である。 竹やぶでは
むしろ邪魔になる。




こっちは日本刀だ。 竹と竹の間から、素早く攻撃出切る。 まして
ワシは、剣道クラブだ。

T・K 君は素人である。 一瞬で形勢は逆転。 ワシが逆に T・K 君
へ肉薄して、日本刀の刃( やいば )を突き付けた。



するとどうだ。 T・K 君、ケロッとして槍を仕舞い、何事も無かった
かの如く、歓談口調で話し始めるのだった。

T・K 君、当時から、この調子だった。




< T・K 君のお父さんは、>


T・K 君はムコさんである。 ムコ( 婿 )に行く前は、H・K 君と
せねばならぬ。 しかし便宜上、最初から T・K 君 一本で通す。

お父さんが、旧日本陸軍の佐官であったと書いた。 上海事変では、大
腿部・貫通銃創を受けたそうである。



大東亜戦争では、ビルマ戦線で戦い、大隊長として インパール戦にも
参加されたそうである。

ワシはご本人から直接、ジャングルを彷徨( さまよい )い、三ヶ月間は、
一粒の米も口にせず、最後、



従卒とただ二人、象の背に乗って生還したと聞かされても、ワシ、何と
も返事しかねた。

大変なご苦労をされましたと言うべきか? 大隊を全滅させといて、従
卒とお二人での生還ですか?



と言えば、不快な顔、されたであろう。 あのインパール戦を見ると
判る。

白骨街道などと言われ、日本兵の骨で、街道が埋るほどの惨劇を演じ
ながら、日本軍、ある階級以上は、ほぼ全員、生還しとるのである。



戦争が悲惨なのは、兵卒と一般住民の話で、ある階級以上の人間には
戦争は、さして危険な出来事でも無いのである。

いやむしろ、戦争くらい面白い事件は、他に無いのである。 これは
主義主張、また宗教宗派を超えた感情ですから、ご用心を。

戦争・絶対反対の良識人が、実は戦争、大好き人間だったりしますからナ。



  *       *       *



T・K 君のお父さん、ある時ワシに、日本軍は物資が無くて負けたと言
うた。


ワシ、反論して言うた。 いいえ、物資が有っても日本は負けます。 あ
の時代の日本軍の感覚では、どんなに物資が有っても、

それが尽きる所まで戦線を拡大し、そこで物資が尽きて、負けます。 だ
いたい石原莞爾は、アメリカと戦争するなと言っています。



お陰で閑職に追われました。 山本七平の、いわゆる時代の空気って奴で
す。 日本は、その空気に引き摺られて、勝つ見込みの無い対米戦を始め

ました。 H さんも、その辺を反省しないと、また負けますよ。 日本は
物資で負けたのでは、ありません。 勝てない戦争をしたから

負けたのです。 勝つ見込みの無い戦争をすれば、何回戦争しようと、
必ず負けますよ。



高校一年生、十五歳の青二才、インパール戦に参加して、九死に一生の歴戦
の大隊長に、こない偉そうな事、言ったのだから、

身の程知らずも良いとこだった。 殴られなくて良かった。



  *       *       *



ところで注意すべき事が有る。 我ら、旧日本陸軍、行け行けドンドン。
戦争の拡大に反対する海軍を、引き摺り、

対米戦に突入したかの如き歴史を学んだ。 どうもこれ、アメリカの戦
略に、引っ掛かってる様なのだ。



むしろ旧日本海軍が、補給問題から中国戦線の拡大に反対する陸軍を、
無理矢理に引き摺り、最後、あの様な太平洋戦争へと

日本を導いたらしいのである。 旧海軍の 米内光政 は、アメリカと
通じてた形跡がある。



アメリカが、米内ら、海軍の首脳連中を操作して、日本を戦争に引き込
んだと、読めぬ事も無い部分が有る。

東京裁判の被告は、全員陸軍の軍人。 海軍の軍人はひとりも含まれて
おらぬ。



これは研究中なので、間違っておれば謝罪して訂正す。 しかし、どう
やら、間違っては居らぬぞと、ワシは感ず。

のちに詳述す。



  *       *       *



現在の中国の経済政策の中枢には、アメリカで勉強した人間が、多数含
まれて居る。

あの ポールソンなど、十年間、北京の精華大学で教鞭を執り、中国の
最優秀の学生を指導しとる。



世界的な歴史学者の トインビーが、池田創価学会に、親し気に接近した
事は、先に書いた。

精華大学時代の ポールソンは北京へ、何をしに行ったのだろう?




日本の大学の教員なんて、チョロイ者だ。 戦前を見よ。 中国や朝鮮
からの留学生を、立派な共産主義者に教育して、帰国させとる。

日本へ留学した学生、帰国すると、判で押した様に、激烈な反日主義
者と成る。



現在の東大を含めた日本の大学で、日本の国家戦略を意識して留学生に
対してるとこ、有りますか? 無いでしょ。

国家戦略と言う世界では、日本、アメリカやイギリスの敵ではありま
せん。 赤子と大人ほどの歴史の差、有ります。



  *       *       *



T・K 君には、一種独特の僻( ひがみ )が有る。 それは彼が後妻の
子だからだ。

T・K 君のお父さん、先妻が早くに死去したので、二人の子を抱え、後
( のち )添えを貰った。



ワシ、T・K 君の家へ行き、いわゆる先妻の兄と姉を拝見して、早世の
奥さん、相当の美人に相違無いと感じた。

お兄さんは教員に成った。 校長も経験した。 大変に立派なお顔立ち
の方であった。 お姉さん、言うまでも無い。



T・K 君、家の中で実母に会うと、ワシで無くとも、どうかと思える程、
母を邪険に扱うのだった。

T・K 君の、金持ちに成る事と、出世する事への、執拗な執念は、何と
なく、そこに起因してる気配、濃厚だ。



  *       *       *



高校時代から、T・K 君は変わってたと言うか、他人と違う自分の演出に
熱心だった。

たとえば、わしは、三井・三菱のような、財閥を創る  など
誰彼なしに公言するのもそれなら、



世界制覇だとか言うて、他人の世界地図に、艦隊の配置など書き込んで、
グチャグチャにし、嫌われとった。

ある時だった。 当時の流行歌、美空ひばりの柔( やわら )。 勝と思
うな、思えば負けよを、同級生が歌ってた。



T・K 君、さっそく、その歌詞に難癖を付けた。 言われた同級生、腹を
立て、お前は、アホかッ

これは、歌の歌詞じゃないかッ  我らは単に、歌っていただ
けだろッ   馬鹿らし事、言うなッ

と猛反発。




ワシ、横で聞きながら、ロクでも無い、イチャモンやなあ 〜 と嘆息した。

高校時代のT・K 君には、この手の想い出、五万と有る。 資産家に
成り、伝記を書かれる日の為に、話題でも造ってる積りか?



  *       *       *



またT・K 君は、一年時より、東大の法学部合格を表明しとった。 結果
東大は、お呼びもされず、ランクを下げて受験した、金沢大学法科も落第。

一浪して富山大学の、それも英文科だった。 ある時、地元新聞社発行の
雑誌に、経歴が出た。



富山大学・文理学部卒。 ま、詐称では無いが、文学部英文科と書けば良
ろし。

ええ年こいて、この手のケレン味こそ、T・K 君の、T・K 君たる由縁
なのである。




しかし、高校時代の公言。 東大へ行く。 財閥を創る。 は、とにかく。
同級生中の、一番か二番の資産家に成ったのは事実だし、

紆余曲折が有ったにしろ、三十代後半に、取締役を拝命しとるから、その
点からも、やり手である事を認める。



  *       *       *



女の子を別にすれば、彼の結婚、同級生中のトップに早いのでは無いか?
大学の卒業と同時だった。

養子に行ったのである。 金沢の古い建築関係の、大資産家の令嬢の
ところへ、ムコ入りした。



その御令嬢様、富山大学文学部英文科の同級生。 妹が一人居る。 女の
子ばかり二人の、大資産家の御令嬢様。

だけど親が建築関係なら、その方面の婿さんを探しても良い筈なのに、
それは、して無い。



あるいは、T・K 君と、余りに早く決まったので、諦めたか? 仔細は
知らぬ。

その結婚式の直前だった、ワシ偶然、T・K 君の家に寄ったのだ。



  *       *       *



行くと、元日本軍佐官のお父さん、居間で腕組みしてた。 ワシの顔を
見るや否や、 おおっ久治良君か、と言うて、ひと膝こっちに寄せ、

わしの息子がナ。 金、目当てにムコ養子に行きやがるのだ。 久治良
君よ。 これを、どう思う?  ええッ? どう思う?



わしの息子、金、目当てに養子に行きやがる。 金、目当てに養子だぞ。

久治良君、どう思う? わしの息子がナ、かね目当てに養子に行くのだ。
どう思う?  ヘッ、かね目当てに養子だとよ。 久治良君

と際限が無い。




そこへ、くだんのT・K 君が来た。 ワシの腕を取り、引き摺るように
部屋の外へ連れ出した。

そして彼の部屋へ入ったのだが、忘れもせん。 そこで二つの不愉快を、
ワシの脳裏は、刻んだのである。



  *       *       *



一つ目の不愉快は、食い物の恨みじゃ。 ワシと T・K が部屋に入ると
同時くらいに、お母さんが食い物を持って来た。

それをだ。 T・K め、自慢話に夢中に成りつつ、一人で平らげやがった。



常識なれば、取り皿も有るのだし、お箸だって二人前ある。 半分こで食
べなさいの意味だと、誰でも思うだろ。

T・K め、自慢話で悦に入りながら、一人で平らげやがった。 しかも、
それを持って来た母親を、叱るが如き口調で追い出した。

食い物の恨みは、げに怖いもの。 四十年後に、こんな文章に、成ってし
まった。



  *       *       *



さて、この時、T・K がワシにした自慢話とは、どんな内容かと言うと
だな。

まだ大学を卒業したばかりだろ。 大学時代の記憶は、昨日の物語である。
文学部・英文科の学生は十数名であるが、男はT・K の他、一名のみ。



その他全員、女の子と言う事だ。 T・K 、ワシにのろけ話を始めたのだ。

いわく、あの中でわしが寝なかったのは、交通事故で死んだ A 子だけだ。
他の女とは、全員寝た。

ワシ、そうかい、そうかい。 そりゃ良かったナと、言うといた。



T・K は何でも、最初は B 子と結婚する積りだったそうな。 B 子、
お父さんは、北陸電力の重役。

卒業間際、彼女の家に行ったそうだ。 そして自分も大学卒業後、北陸電
力に就職したし。



社員に成りましたら、どうかお父さん、ボクを出世させて下さい。 ボク
には構想が有るんです。 それを実現したいんです。

ボクの構想の実現に、手を貸して下さい。 T・K は、そう訴えたそうで
ある。



ワシ、聞いた。 そんな事、彼女のお父さんに言ったのか?  当然だろ。
ワシ、当然ねええ ・ ・ ・

それで返事は、どうだった?




B 子のお父さん、ボクに、こう言うた。 君が北陸電力へ入ろうが入る
まいが、それは君の勝手だ。

入社して、どこまで出世するかも君の勝手だ。 だけど、わしが君の出世
に、手を貸す気、毛頭無い事だけは、言うておく。

出世したいなら勝手に、自力で、好きなだけ出世するがよかろう。
と返事したそうだ。



  *       *       *



そこで T・K は、ハハハッと笑い、ボク、そんなお父さんが好きなん
です。 言うて帰って来たそうだ。



それで T・K は、どうしたかと言うと、B 子とは、その日限りに、
キッパリと手を斬った。

そして、二番目の結婚相手である、今からムコ養子に行く女に、乗り換え
たんだとサ。



  *       *       *



この話が、自慢話に該当するか、しないか。 良く分らんが、T・K 本
人は、自慢話だと思っとる以上、自慢話なんでしょ。

佐官だったお父さんの言う通り、ムコに行ったその日、きっかりに、
T・K は、二百億? 三百億? とにかく、

物凄い資産家に成った事、事実である。



ムコに行ったその家、金沢の古い大工の棟梁だから、明治・大正・昭和
初期からの土地が、金沢市内の至る所に有る。

それらは仕事する土地だ。 借地・借家の利を生む資産である。 これ
が、どんなに凄いか、君に分るか?



  *       *       *



ワシ、埼玉へ来てナ。 歯学部へ入ってみると、お父さんが不動産の貸付
で、大収入のお坊ちゃまお嬢ちゃま、ようけ見せられた。

卒業して、歯科の訪問診療しとるとナ。 衛生士と組んで仕事する。
ワシと相棒した姉ちゃん、四十がらみ、



旦那、大工の、よしなき中年オバンだと、思っとったのだ。 ある時、別
の衛生士から、耳打ちを受けた。

センセ、知らないんですか? あの ヨ 〜 子さん、億万長者の娘なんで
すよ。 ホント? 彼女が億万長者の娘だってええ?



彼女の先祖、東京近郊で農家してた。 祖父の代はキューポラだ。 川口
だからね。 お父さん、先見の明が有った。

キューポラ継がず、大工した。 そして今や、鉄筋のアパート、何棟お持
ちなんですか? 仕事、全然しなくても、月収何千万。



月収ですよ。 年収じゃ無いですよ。 そんな金満家のお嬢様とも知らず
ワシ、昼飯、おごってた。 今からでも遅く無い。

かね返せッ



  *       *       *



T・K 君、そんなわけで、ムコに行くなり、新築のご自宅。 金沢の
閑静な一等地。

仕事なんか、しなくて良いのです。 毎月の月末に振り込まれる家賃と
地代の管理でもしてりゃ。



なのに T・K 君、流通会社の取り締まり重役。 嫁さん、学校の先生。
もう定年退職だ。

嫁さんの年金だけで一家の生活 O K です。 夫婦、どちらも手堅く高
収入。 あれだけの資産が有りながら、さらに、ですからね。



鼻息の荒く成るの、仕方ありません。 高校時代の大風呂敷、それなりに
結んだのです。

成功者と言わざるを、得んでしょうなああ ・ ・ ・



  *       *       *



T・K 君、嫁さんが学校の教員だと、先に書いた。 この教員の成り方が
気に入らない。

T・K 君、ワシに言うたのだ。 うちの女房、今年は落第する。 しかし
来年は合格して、教員に採用される。



なんで( 何故 )そんな事が言えるのだ? ワシは聞いた。 T・K 君
いわく、父は教育委員会に顔が利く。

今年すぐに採用にすると、世間が五月蝿い。 今年は、わざと落とす。
一年間、辛抱する。  来年、合格する。



そんなん関係者に、幾ら位、渡すのだ? T・K 君、いいや、お金は関係
無い。

教育委員会のその人、息子が、卒業する。 新聞社を希望してる。 新聞
社なら、こっちに、コネが有る。



つまり T・K 君の言うのは、こうだ。 こっちは嫁さんを教員にして貰う。
その交換に、相手の息子を、新聞社に採用させる。

な、なああるほど。 バーター貿易の一種だな。 ま、そんなとこだ。



  *       *       *



石川県の教育委員会の公式回答では、そのような情実に依る採用は、有り
ませんだが、

少なくともワシは、信じない。 ワシ、もう一件、情実採用を実見した。
それを書く。



ある病院の事務長の娘だった。 大学の教員養成コース。 特別体育科。
教員採用試験の成績は、C だった。

A が最良、B が良である。 C はそれ以下。 その時の採用試験、A
と B が、何名も居た。



なのに、A と B を差し置き、病院事務長の娘の C が、採用された。
  何故か?

事務長夫人、教育委員会へ、娘を採用して下さいと、お百度。 教育長、
ついに、お母さんには負けた、言うて、採用が決定されたそうだ。



横で聞いてた事務長、ホホホッと笑い、百万円の鼻薬が効いただけよ。
ワシ、この時、余計な事、言うて仕舞ったのじゃ。

教員に採用されるのも良いですが、百万円も使ったんじゃねえと。



事務長夫人、ワシの言葉に、ヘンッ と、鼻を鳴らし、そんな百万円な
んて、教員に採用されれば、







一年で元が取れますッ



正に、その通りじゃんけ。 ワシ、恐縮して赤面した。 ただね、この時の
教育長、中学時代の恩師で、あの、オカチョコ だったのだ。

ワシ、知り合いの先生に、真偽の程を聞いてみた。 そりゃ、貰ってますよ。
そんな事、聞くまでも無い。



一人だけ正義の味方してても、詰まらんですからね。 みんなのする事は、
いけない事でも、しなきゃいけないのです。

なるほど。



  *       *       *



教員に採用内定の、事務長の娘さんにも聞いてみた。 うちのお母さんは、
こんな事が大好きな人でしょ。 もうハッスルしちゃってね。

成績が A と B の人を差し置いて、C の私が採用の内定、貰った事は
事実よ。



でも私、思う所が有って、折角の採用、捨てちゃったの。 そりゃまた
何で? どんな理由で百万円、パ 〜 にしたの?

答えは残念ながら、得られずに終った。



  *       *       *



T・K 君、富山大を出て、新聞社に入社した。 入社早々、社長秘書で
あった。 この辺が T・K 君の T・K 君たる由縁であろう。

しかし彼に言わせると、社長に嫌われたそうである。 二年目、任務を
与えられた。



この任務もまた、T・K 君らしいと言うか、彼の人生に相応しいと言う
か、ある民間のテレビ局が、石川県に発足した。

T・K 君の任務、ウチの新聞社で、あれを乗っ取りたい。 お前行って
社員で潜り込め。 内部情報を知らせろ。



こんな任務を、何と言えば良いのだろう? スパイ? 成功報酬は何か?
乗っ取ったテレビ局の重役である。 二十代で取締役だ。

かくしてT・K 君、そのテレビ局に潜り込んだ。 仕事は、広告取り。
北陸三県を、くまなく歩き、企業の広告を取って来る。



  *       *       *



この乗っ取り作戦、成功しとる。 ただし誤算が有った。 労組が、猛烈
に反対したのだ。

余りに激しい抵抗だったので、乗っ取り成功後の約束、T・K 君を重役
にする、は、実行不能に成った。

それどころか T・K 君、仲間から疑われ、テレビ局に居づらくさえ成っ
た。




追われる様に退社、新聞社とも縁が切れた。 二十代で重役の夢は、はか
なく消えた。 この時も、大資産家にムコ入りした威力、発揮された。

奥さんは学校の教員だしな。 生活の心配、全く無し。 さてT・K 君、
彼自身の言を借りれば、充電を兼( かね )て、大阪へ研修。



税務会計の事務所、一年間。 会計学を身に着けて帰郷した。 ある著名
な商工人の仲介で、現在の流通業会社へ採用された。

のっけから、又もや社長秘書だ。 会社の儲けを、社長の個人財産に移す
仕事が中心だったそうである。



如何にも彼らしい仕事と言える。 相当の辣腕を振るったとは、本人の
弁だ。 入社十年目で、取締役に抜擢。 三十台後半だ。

これ如何にも早い。 地元新聞の発行する雑誌に、彼の記事が出た。
ワシも本屋で見た。 富山大学文理学部卒の文字のみ、何故か記憶に残る。



  *       *       *



その頃、金沢の一等地に在る、彼の家へ行って見た。 これを見ろと言う
床の間のの地袋( じぶくろ )。

掛け軸で一杯だ。 無慮、二百本を越す。 応接間、四周の壁には、油
絵だ。 一枚、時価、三十数万円。



それを君に、親友特価、十万で渡す。 一枚、買わんか? には笑ったナ。
そこへお嬢様おふたり、ふざけて駆け込んで来た。 そして、

ウチのお父ちゃん、お調子者ッ ウチのお父ちゃん、お調子者ッ
と笑いながら叫ぶと、駆け去って行った。

何じゃいあれは?



  *       *       *



上記、美術品について、書きたい。 T・K 君の勤める流通会社、金沢の
とあるビルに本社を構える。

その同じビルに、Y なる美術商も、店を構えて居った。 倒産した、何と
かして呉れの依頼、T・K 君の会社に来た。



社長、T・K 君に、行って再建を命じた。 T・K 君、半年で黒字にし
た。 こりゃやっぱ、凄いと言わずばなるめえよ。

倒産した不良美術商を、半年で優良利益会社に変えるなど、口先では不可
能である。 やはり T・K 君の実力と言うべし。



ただしだな。 この再建のドサクサに紛れ、トラック一杯、倉庫の美術品、
自宅へネコババは、見逃すべき経費と見るか?

はたまた不正行為と考えるかは、各自で違うだろ。 T・K 君の家に有る、
相当量の美術品。 そんな由来なのである。



  *       *       *



ただしだナ。 再び、ただし、だよ。 美術商の舞台裏を、だ。 垣間見
た感想を書くと、だな。

テレビなんかで偉そうに語ってる芸術家様たち。 美術商には、へいこら
で、もみ手、こすり手の、情けない土いじりか、絵描きに過ぎぬ。



彼らは美術商に扱ってもらわないと、生活が立ち行かぬ。 だもんで、
盆や暮には、こんな物、出来ました。

なんて言うて、我らがお店で一万円で買うよな焼き物。 美術商の担当者
宅に、そこばくの数、置いて行く。



四・五年もすりゃあ、部屋一杯、美術品の山が出来る。 なるほど、
こんな世界も有ったのだ。

ワシ、T・K 君が、美術資産で埋もれてくイメージで、彼の家を出たよ。




それ以来、どうも美術品、手にはするが、部屋に飾りたい気持ち、涌い
て来ぬのだナ。

困った見聞、して仕舞ったと後悔す。



  *       *       *



T・K 君は、ワシの同級生中の、一・二位を争う資産家である。 その
意味なら成功者と言える。

だからと言うて、何だと言うのだ? あと長くとも我らの寿命、三十年だ。
くたばって仕舞えば、それが、どうだと言うのか?



ワシ、T・K 君の、資産家に成った、経緯を思うに付け、そう言いたく
成る。

百億の資産? 二百億の資産? 現金で三百億? 札束咥( くわ )えて
あの世へ行くか?

T・K 君なら、やりかねぬ。



***********************************************************************



さて、この章も、ここらで終わりたい。 次の章では、ワシ自身の小史を
記す。 ワシの人生など、三島由紀夫や石原慎太郎の人生と比較すれば、

無意味で空虚なもの。 よって、要点だけを記す。 早々に切り上げる。
しかしながら、ワシの人生、



危うく、白洲次郎のお兄さんの、白洲尚蔵に成るところの人生だったのだ。
つまり母親に、危うく、すんでの所に、殺され掛かった人生なのだ。

ワシの性格、どちらかと言えば、白洲次郎的の筈である。 なのに、兄が
治療して貰えなかったばかりに、三歳で夭逝( ようせい )したもんで、



次男なのに長男の扱い。 白洲次郎が、白洲尚蔵の育児を受けて、ご成長
なのだ。

ここに、ワシの不幸が有る。



  *       *       *



ワシ、未だに結婚していない。 母がワシを結婚させない。

二十代後半だったかな。 母が、ワシに、こう言うた。 お前、結婚なん
て、つまら無い事だから、( 結婚 )しないでおくれ。



それから四十年後だよ。 母、九十三歳。 ワシ、六十三歳の或る日だよ。
会いに行ったのだ。

ワシのつら( 面 )見て母、こう言うた。 お前、もう年だから、結婚は
諦めなさい。



こんな母に、一人っ子みたいに育てられるちゅうのも、しんどい話だ。
要するにワシの母、ワシの結婚相手の座るべき椅子に、座り込み、

しがみついて、いっかな退( ど )こうとしなかったのだ。



最近の日本、この手の話題、多いんだってナ。 ワシの体験など、参考に
成るか判らんが、次章にて書いてみる  ・ ・ ・





*       *       *



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