*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 3 章

おお懐かしの小松市よ  -  1 / 4


< 小松市の自然の、昔語り >





ワシの生まれた昭和二十三年は、団塊世代のど真ん中。
芦城中学の二年時なんざぁ、上も下も団塊だ。
全校生徒が千五百名を越えて、体育館が満杯だった。
生徒が一杯で座れないから先生立ってたぜ。
町内ごとに野球チームが出来てた位、子供が多かった。
それが今じゃぁ半分以下だ。学校寂しい少子化だよ。

そんな中、体験的に言える小松の自然の大変化、昭和三十三年頃だ。
川の魚が百分の一に減った。言わずと知れる農薬の大量使用開始年だよ。
それまでは父に連れられて川へ行く。ビク一杯の魚が軽く 釣れた。
昭和三十三年を境に全く釣れない。
魚ばかりじゃ無い。ウサギもヘビもみんな居なくなった。
そんな昔語りをしようってぇんだよ。これからナ ・ ・ ・



*     *     *





< イヌワシ(石川県の県鳥)の保護も大変だ。>


諸君ら、イヌワシを見た事有るか? 上空を飛んでるの見ると、まるで翼の
おばけ。

樹に留まってるところや、図鑑で見ても、あの感じは判らねえな。 最近は
個体数の減少で、保護が叫ばれとる。 でもね、それ、大変だと思う。



何故かと言うとだな。 彼らの餌に成るウサギやヘビが、こうまで減ったの
では、流石のイヌワシ君も生活出来ないから。 保護するならヘビやウサギを

まず保護しろ。



ワシ、小学校の五年時と六年時、蝶々の採集に狂ってた。 なにしろ母方の
祖父が亡くなった日だ、学校は忌引き( きびき )だろ。

しめた、山へ行けるッ ってんで、手には捕虫網。 腰には三角缶。
蝶々採りに山へ行ったのさ。

父もワシと同じでナ、しめた、釣りに行けるッ  てんで
釣り道具、担いで、玄関だ。 やっぱ親子だよ。



この時ワシの母、泣きながら右手でワシ、左手で亭主(ワシの父だ)を捉ま
えて、今日だけは行かないで呉れ ・ ・ ・ と頼むんだが、聞く耳なし。

その手を振り切り、ワシは山へ、父は川へ。 大変な親子ではあった。




その頃、山へ行くとだな。 ウサギの糞を踏まずに歩けない。 春三月の残
雪期なら、解け残りの雪の上。 火縄銃の弾丸みたいなウサギの糞( ふん )。

それこそ撒いたほど乗っていた。 最近里山へ行っても、ウサギの糞が無い。
あれじゃあイヌワシ君も困るよね。 喰う物が無い。

すきっ腹ではワシも、やってられない。



  *       *       *



小松市の地図を見ると、小松駅の東(右方)四キロに、鵜川・遊泉寺なる
地名が在る。

言っては何んだが、ここに昔、金鉱山が有ったのだ。 十八歳未満お断り、
女郎屋の赤い灯・青い灯のまたたく、鉱山町だったのだ。

女郎屋って何か、判るかね?  お若ヶ 〜 の ・ ・ ・



その鉱山機械の製作修理で、小松製作所が創られた。 それが今や、世界の
コマツに発展したのだから、世の中は判らん。

当時は小松駅から、この遊泉寺(ゆうせんじ)まで、北陸鉄道の電車が走っ
てた。 今は当然廃線。 線路跡は道路に成ってる。



ここに一つ、話題が有ってナ。 この遊泉寺駅の前に、お店があった。
いわゆる、田舎のよろず屋。 ワシら日曜日、蝶々採りに疲れて電車待ち。

このお店でアイスクリームなんか買ってたものだ。 問題は、そのお店の
ジャガイモ娘だよ。 五歳位だったかな?



その子、誰だと思う? ミスユニバース日本代表。 現在写真家の織作峰子
様だぞ。

あのジャガイモ娘が、そんな別品に成るなんて、奇跡だよ。 遊泉寺は金だ
けでは無かったのだッ



あんな凄い美女も採れたのだぞッ


  *       *       *



蝶々採りのアミを持った我ら、この電車で遊泉寺まで行き、里山に入った。
この遊泉寺から、さらに山の中、一キロに仏大寺なる村がある。

個数十軒ばかり、小さい村だ。 昭和三十二年 ( 1957 )頃だったと思う。
ワシ蝶々を追うて、その村を一周した。



子供心に呆れた。 何に呆れたか? ヘビの多さに呆れたのだ。
こんな小さな村、一周の間にだぜ。

ニシキヘビ、二十匹は見た。 十歩毎にヘビだよ。 歩けたものじゃない。
余りの多さに馬鹿馬鹿しくなり、補虫網の竿で、右に左に、ヘビ君を


掻き分けながら歩いたものだった。 それ位、沢山のヘビが居たんだよ。
平成十七年( 2005 ) だったか、同じ村を一周して見て、

嘆息した。 ヘビ君一匹も居ない。 かってこの村は、ヘビの村か? と
怪しんだ村に、今や一匹のヘビも居ないのだ。



野良仕事の婆さんに聞いてみた。 昔はヘビが、ネズミを追うて家の中。
あっちにもヘビ、こっちにもヘビ。

いろりで火を焚いてると、ネズミを追うて屋根裏に登ってたヘビ。 煙に
酔うて堕っこちて来る。 ドサッ



お茶飲んでると横へ、ヘビがドサッ 足を踏み外したナ。 珍しく
も無いんで、猫まで馬鹿にして相手に成らなかったそうな。

そう言えば、野にも山にも田んぼにも、ヘビが居なくなりましたね 〜 。
ヘビもウサギも、居なくなりました ・ ・ ・ なるほどネ。



これでは石川県の県鳥のイヌワシ君も、大変だ。 食べる物が無い。 森
を守るだけでは保護にならない。

食物連鎖が、縮小したのだよ。 いびつな連鎖に変形してる。 こんなに
もヘビやウサギが居なくなっては、イヌワシ君は破産するしか無い。



  *       *       *



春の妖精と言われるギフチョウ。 あの頃は五万と居た。 ワシ、標本な
んざ 二 〜 三匹で良いから、三角紙のままの ギフチョウ。

数百匹がとこ、そのままにして居る。 当時は仲間で、今日は六十匹採った。
とか、ボクは七十匹だから、ボクの勝ちだ



なんて、言ってたものだ。 ギフチョウの幼虫の餌は、徳川家ご家紋の
寒アオイだから、卵の付いた寒アオイを採って来て、

翌年の春、成虫にして放したものだよ。 この頃山へ行くと、ギフチョ
ウを採らないで下さいの看板が立っておる。



かってクヌギやナラの木で覆( おお )われてた里山は、植林事業でスギ
の山にされた。

かっての山道、秋になると、どんぐりのじゅうたんだった。 この頃は、
どんぐりが珍しい。 スギの山なんて、


春は黄色い花粉が煙幕の如く飛び、歩いてる我ら、頭も肩も花粉で黄色
に成る。

林道のお陰で、行くのが不可能に近かった深山へも、簡単に行ける。
そんな深山、スギ・スギ・スギの植林だ。 ブナは退治された。



あれじゃあ熊君、食べ物が無い。 蝶々も産卵の樹が無い。 ウサギも
ヘビも生きづらい。

山を歩いてて、カエルに会わない。 昔は土色した山ガエル、至る所に
居て、ヘビと追っ駆けっ子 ( おっかけっこ ) してたものだ。

あの懐かしかった山の想い出も、記憶の世界に成って仕舞った。




< ワシの父は、釣りキチだった。>


釣りの雑誌を見てると、渓流釣りの名人なんて書いてある。 ワシ、アホか
と思いつつ眺めてる。

岩魚( イワナ )なんて、居ないから釣れないんで、ワシが子供の頃は、手
取川の上流、新保・丸山なんかで、軽く百匹は釣れた。

子供が簡単に百匹釣るのだぜ。



親父の運転するホンダ・ベンリー号。 小松市の郊外、大倉岳と言うロー
カルなスキー場の辺が、かって銅鉱山の有った尾小屋でナ。

その奥の山を越えた所が新保・丸山でナ。 平家の落人部落なんて言わ
れておった。



サケの卵( イクラ )を餌に、釣り糸を垂れりゃぁ 〜、イワナなんか、たち
まち十匹釣れた。 二十センチはある美形でナ。

二 〜 三回場所を替えて釣りゃぁ 〜、ビクは一杯、父ちゃん、もう帰ろうよ。
なんて言ってたものだ。 最近は釣り人の方が多くて、この昔話しをすると

笑われるがね。



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○ イワナでは魂消る。 ワシ、山男なんで渓流登りを何回もした。 谷水の
ほとばしる絶壁を、よじ登ったものだ。

人跡未踏、岩登りの出来るベテラン登山家でなけりゃあ、絶対無理の上流だぜ。
ふと足元を見ると、釣り糸が捨ててある。


あれ見た時、ワシら正直、ギョッとしたね。 イワナ釣り、こんなトコまで来
てたのだッ

げに恐ろしきは、釣り人なり。 釣りキチとは、言うたものだよ。 ホント
キチだよ。


その日ワシら、残された釣り糸にシュンとなっちまって、スゴスゴと山を降
りた。

言葉も無くね ・ ・ ・ そんな記憶もある。



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もひとつ追加したい記憶は、いとよ だ。 いとよ、別名を トゲうお と
申す。

背中に二センチのとげを持つ、あの魚だ。 昔はあんなもの、その辺の
川に、五万と居た。



しゃで、なる網で、フナを獲ってると、いとよも獲れてしまう。 いとよ
なんて身の薄い、食用にならん雑魚だから、ゴミみたい、あぜ道や

稲刈りの済んだ田んぼに、ポイッ ・ ・ ・ だった。 可哀想な事を
してたものだ。


いとよ、ってえ魚。 人間みたいに、夫婦でつがいに成る。 川底に巣を
造り、子育てに励むさかななんだ。

当時は、そんな知識、無いから、ただの役にも立たぬさかなだと思い、
ポイッしてたのが悔やまれる。



あの頃は、いとよ なんて、ごみか雑魚扱いだった。 今じゃ絶滅危惧種に
指定されて、大事に大事にされてるが、

環境の激変が、絶滅の原因だよ。 かって水田の周囲に張り巡らされていた
用水路。 これを江( え )と呼ぶんだが、


今やことごとく埋められて、水田に成るか、あぜ道にされて、かって運航
してた平底舟の代わりに、

ホンダの軽トラが走ってるからね。 お陰で減ったのは いとよ ばかりでは
無い。



フナもドジョウもゲンゴロウも、あの辺に住んでいた連中。 ことごとく
居なくなった。

坂戸市へ来て散歩してるとだな。 子供がお父さんに助けられて、田んぼの
中を流れる小川で、魚獲りをしてる。



思わず、あざ笑って仕舞うよ。 高麗川の用水だから、透明で奇麗なのは良い
が、魚なんてワシ、見た事無い。

動いてる生き物が、居ねえんだよ。 ワシらが子供の頃は水の流れる所、すな
わち魚の居る所だった。



童謡の歌詞。 ウサギ追いし、かの山には、ウサギが居ない ・ ・ ・ 小
ぶな釣りし、かの川には、小ぶなどころか、メダカもドジョウも居ない。

トンボが居ねえもんなぁ 〜 。 かって日本は、トンボの国と言われた程、
秋に成るとトンボの大群が、空を埋めたものだった。



あの赤トンボ、夏の暑い頃は、山の頂上付近へ、避暑に行ってる。 秋に
成って涼しくなると、里へ下りて来る。

だから真夏、山登りすると赤トンボの大群だ。 あんまし沢山居たので、
呆れて仕舞ったくらいだよ。 時代は変わったよ。



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小松市の横に掛橋川( かけはしがわ )が流る。 上流が尾小屋の銅鉱山だっ
た関係で、精錬所からの鉱毒が流れた。

足尾銅山の渡良瀬川ほど酷くはないが、それでも鉱毒で、魚が居ない。 美し
い流れを見てると、コイやフナやウグイが、山ほど住んでいそうなんだがナ。

残念だよ。



だけど、別方向から流れて来る川も有って、そっちの魚影は、濃かった。
河口が勧進帳で有名な 弁慶と富樫の像の有る、安宅漁港だ。

海釣り、河口釣りの天国だった。 黒鯛やスズキやボラが釣れた。 漁師の
ポンポン舟に乗って沖に出りゃあ、


赤イカ、海キス、真鯛、カレイにヒラメ。 ブリも釣れたし、マグロも居る
筈なんだが、そいつは釣れない。

父親( てておや )が釣りキチだろ、子供時代は魚屋なんて行く必要が無い。
魚屋へ行く時は買いに行くんじゃねえんだ。



釣れ過ぎた魚を、売りに行くんだ。 ワシも行った記憶、あるよ。 白目の
ボラ、バケツ一杯、百円で売るなんて、只みてえな値段だった。

ボラには赤目と白目が有ってナ。 赤目はゴミ。 白目が美味いそうだが、
食べた事無いんで、良く判らん。

何故食べないかと言うとだな、その頃のボラは、畑の肥やしだったからさ。



ボラは川の中を大群で泳いでる。 その大群が四つ手網に入ったりするとだな。
ボラは飛ぶだろ。 四手網のふちを飛んで、全部逃げやがるんだ。

それこそ、ボンボン飛んで逃げる。 一匹も残らない。 川で、そんな目に
会うと、恥かしくてね。



川だから、向こう岸や周りの連中が見てんだよ。 汚ねえ歯をむき出して笑う
んよ。

オヤジとワシ、真っ赤に赤面して、うつ向いてたもんだ。 ボラは竿で釣る。
四つ手網では獲れない。 全部、飛んで逃げる。



  *       *       *



この四つ手網だけど、大川に沈めといて、折々に上げるとだな。 昭和
三十三年頃までは、行く度に大漁だった。

何が獲れたのか? 川ギス・フナ・ボラの十センチくらいの子と、いろいろ
獲れた中で、想い出深いのは、川エビだった。



川エビなんて、今は居ない。 透き通った身体に、やけに長いハサミの
腕の付いた、エビだった。

こいつをサッと湯がいて、酢醤油なんかで頂くと限( きり )が無い。
甘エビみたいな食べ方を、連想して呉れい。



味は、もっと淡白だ。 ちょっと泥臭いが、甘エビよりコリコリして、
飽きの来ない自然の味だよ。

あれは夜の八時頃だった。 大川に入れてた四手網に、その川エビの
大群が入ったのだ。



バケツ五杯分、一回で獲れた。 で、父はどうしたかって言うとだな。
モゾモゾ動いてる川エビで一杯のビク。 自転車の荷台に括( くく )り付け、

脱兎の如き勢いで、小松の町へ直行だ。 つまりだ。 獲れ獲れの
生きてる川エビを、町中( まちなか )の料亭へ、持ち込んだのさ。



一時間ほどして戻って来た父。 目がギラギラでナ。 大川の岸辺。 真っ
暗な中で、札束、数えてたもんだ。

こちとらぁ 〜 、まだネンネだろ。 真っ暗闇の中に取り残されてだな。
ワァ 〜 ワァ 〜 泣いてた記憶が残ってる。



  *       *       *



川ギスなんて、行く度に山ほど釣れたものだから、近所にお裾分け。 父は
飴炊き( あめだき )にして、毎日喰ってた。

それこそ今日も川ギス、明日も川ギスでナ。 家の飼い猫だって、喰わねえ
んだ。 所謂、猫股( ねこまた )って奴でな。



毎日毎日川ギスじゃあ、嫌になる。 海ギスも同じだった。 海ギスを釣り
に行くと、ついでに真鯛の子供も釣れる。

十センチばかしの小さい奴でナ。 釣れる度、アァ 〜 ア、またお汁の出汁
( だし )が釣れちゃった。 と嘆いてたものだ。



ネンネ時代の、ワシの最大の獲物は、黒鯛だ。 全長六十センチを超え
た大物だ。

本来はハネ( スズキの子 )を釣ってたのだ。 そこへ凄い引き。 ワシま
だ十歳未満。 危なく川へ落ちるとこだった。



父が横から飛び付いて呉れなければ、落ちてた。 父、ワシの竿を横取り
して、コーヘー( ワシの名前だぜ )、タモを持って来いッ

タモだ、タモだあッ



一人で大騒ぎしやがるんよ。 ワシ、ワァ 〜 ワァ 〜 泣いて、その竿は
ボクんだいって抗議するんだが、父、聞くかいな。

早く、早くッ  タモだ、タモだッ
大騒ぎである。 タモとは網である。



結局、近くのおじさんが、巨大な黒鯛をすくって呉れた。 ワシ、泣きに泣い
て、その竿はボクのだと文句言うたが、父、思いも依らぬ大物に、ご満悦。

当時は冷蔵庫なんて無いだろ。 ボヤボヤしてると腐って仕舞う。 父、直
ぐさま自転車に道具を積んで、ワシも乗せて、家へひとっ走りだ。



釣れたのが午後の三時頃だ。 家に駆け戻り、三枚におろして刺身にしたの
が晩飯の頃。

実にグッドタイミングだった。 この刺身たるや、大皿に山盛りだぜ。 あ んな刺身の食い方なんて、諸君ら、した事無いだろう。



残はお味噌汁。 これが又、美味でナ。 思い出しても舌なめずりする。



  *       *       *



コイ・寒フナの刺身も、大皿に山盛り。 父が仲間と、冬の海に出てブリな
んか釣って来た日は、

三日間くらい、ブリの刺身ばかし喰ってた。 ブリの残は鍋にぶち込む。
あのブリ鍋も、美味かったナ。

大根と一緒に煮た奴は、ほっぺが落ちた。



海釣りって奴は、船酔いして、ゲェ 〜 ッ となるので敵わんが、ワシ、
十一歳頃だったと思う。

目的は海ギスだった。 ところが沖に出て、リールを投げるや否やゴミが
掛かって仕舞った。



文句言いつつ引いて見ると、ゴミじゃ無い、ヒラメだった。 座布団位ある、
大物のヒラメだった。

漁船の漁師さん、すっ飛んで来て、タモですくって呉れた。 凄いッ
本日のナンバーワンだッ  と、おだてやがんのよ。



そこまでは良いが、売って呉れ、には驚いた。 顔の前に指を一本立てるから、
てっきりワシ、千円と思った。

よござんす、言うて商談成立。 漁師、財布から一万円札出すから、お釣り
が無いと言うたのだ。



漁師さん、いや、これ一万円だ。 ワシ、エエッ 〜  と大声。
ヒラメが一匹、い、一万円だとよッ

ワシ、おっ魂消た。 釣ったばかしのヒラメを、見直したものだったよ。
身の厚さが、七センチは有ったナ。 座布団の大きさ。

ふうむ、これが一万円ねぇ 〜 。



馴染の料亭に売られて、刺身にされて、どっかの旦那のお腹に納まる
んでしょう。

それにしてもヒラメの引き、魚らしくなかったナ。 グイグイと引かねえ
んだよ。 それこそ、ゴミの掛かったみたいだった。

あれが一万円、とはねェ 〜 。




< ワシ、ギネス級の大ウナギを獲った >


ワシの釣り人生の最大の獲物は、あの大ウナギだったと思う。 最も父の
四手網だから、親子の手柄かも知れぬ。

最近の田んぼ、収穫した稲は、ホンダの軽トラに積んで運ぶ。 ワシらが
子供の頃は、そんな便利な物、無いから、田んぼの周りは水路だった。



平底舟( ひらぞこぶね )、通称こやし舟。 その舟で便所のこやしを運
んだから、こやし舟だ。 秋には収穫した稲を満載して水路を行く。

今じゃあ全部埋め立てて、道路に成っちまった。 水田風景も一変したの
だよ。



その水路に四手網を入れて、フナを獲ってたのだ。 そこへ大ウナギが来
たのさ。

でかいのなんのって、大人の両指で胴回りを掴み、指が触れないのだ
大人の身長ほどの大物だ。



こりゃ化け物ウナギだぜ 重くて四手網が揚らない。 父は網
を旋回させて、切り株の残る水田に降ろした。

そのウナギ、ヘビみたいに身をくねらせて、水路へ逃げようとする。
そこを親子して、飛び付いて押えるんだが、


掴んだ手を、ヌゥ 〜 ッと抜けて行く。 物凄い力。 父、タオルを
持って来てウナギの首に巻き付けると、全身で馬乗りに成って押えたが、

これもヌゥ 〜 ッと抜けて仕舞う。 三十分くらい、こんな格闘を続けて、
やっとビクに入れたが、ビクの中でウナギ君。 二周してたよ。



  *       *       *



問題は、ここからでナ。 ここでサッと切り上げて帰えってりゃあ、新聞社
が取材に来る。 写真入の記事に成るで、

ギネスブックにも載ろうかってんだが、それを父。 絶対もう一匹居るッ
言うて、目の色変えて四手網なんだよ。



ワシ、田んぼのあぜ道に座り、こんな化け物ウナギ、二匹も三匹も居な
いよ 〜  早く帰ろうよ 〜 。

って嘆くんだが、父、一向に聞かない。 獲れたのが午後の四時頃だ。
遂に諦めて帰宅したのが、翌朝の四時だぜ。 夜が明けてしまった。



この間、ワシは田んぼのふちで、帰ろうよ 〜 帰ろうよ 〜 と泣いていた。
後年、大久保彦左衛門の三河物語を読んで嘆息したよ。

手記の中、彦左衛門、織田信長を名将であると絶賛しとる。 どこが名将
かと言うとだナ、



あの桶狭間( 本当は田楽狭間 )、今川義元の首を取るや、馬首を巡らし
て、サッと引揚げとる。

大将の首を取られた今川軍は総崩れに成り、駿河へ逃げ出したのだから、
並みの武将なら、追い掛けたくなる。



織田信長、首一つ手土産に、サッと引揚げた。 あれが名将の名将たる由
縁だと、大久保彦左衛門は書いておる。

同じく武田勝頼との長井・長久手戦でも、信長は大勝しながら、サッと京
へ馬首を返した。 あれもなかなか出来る事では無い。



大久保彦左衛門は、そう言うて、織田信長を賞賛しとるのを読んで、ワシ
改めて嘆息した。

我が父、伊一、絶対もう一匹居るッ  ・ ・ ・ 言うて翌朝の
四時まで四手網だ。

父は織田信長では無かった。



  *       *       *



家に帰るや、母、目を剥いて小言。 そりゃ無理も無い。 ワシ、眠くて
へたばって仕舞った。

父は逆に興奮。 化け物ウナギの料理を始めたのだ。 あれこそ釣りキチ
の本領だナ。



ワシは負けてお休み。 ク 〜 ク 〜 寝て仕舞った。 父、ウナギをどう
したかと言うとだな。

余りに大き過ぎて、料理出来ない。 そこで丸太でも切るみたいに、十セ
ンチ巾にブツブツと、斬って仕舞った。



その切り株みたいな切り身を三枚にして、身を串に刺し、タレを付けて焼い
たのだが、

大きなビフテキみたいでナ。 油のゴテゴテした、物凄い蒲焼だったよ。
親戚にも配り、皆で食べたものだ。



あんな化け物みたいなウナギ、その後、二度と見なかったな。 ギネスブッ
クに載るとこだったのに、

残念な事をしたものだよ。



  *       *       *



かく、か程に豊穣だった小松市の川と湖 ( みずうみ )。 昭和三十三年
頃 ( 1958年頃 ) を境に、一変して仕舞った。

言わずと知れる農薬の登場だ。 川の魚がゴソッと居なくなった。 ワシ
が子供の頃、水の流れてるとこなら、何処であれ、


魚の走る姿が有ったものだよ。 今や近所の用水。 流れてる水は奇麗なの
に、生き物の姿、さっぱ見当たらぬ。

大学時代、ワシ、ヒマさえ有れば近所へ散歩。 埼玉県坂戸市、高麗川と
言う谷川の流域だよ。 田んぼの用水も、美しい流れだよ。



だけど、魚の走る影、六年間、見た事が無い。 生き物、居るのかね?
ゴミなら時々、流れてるが。

魚が居ないのだよ。 良いのかしらと心配に成る ・ ・ ・



  *       *       *



ワシ、ある時、父に言った。 現代の釣り道具を持ち、江戸時代の河川で釣
り出来たら、幸せだろうな ・ ・ ・ と。

父いわく、江戸時代まで行かなくても大丈夫。 ホンの戦前の河川で充分だ。
川と言う川。 潟( かた )と言う潟に、魚が涌いてたものだよ。



こんな大きさのフナが、数知れず釣れたものだった。 最近は魚どころか
虫も居ない。 よって虫を食べるコウモリも居ない。

日の落ちる頃、郊外へ行こうものなら、たそがれの空に、幾万とも知れぬ
コウモリが飛んでたものだった。 今じゃ静かなものだよ。




夏の夜、堤防の上を自転車で走ると、昔は危なかった。 虫が余りにも多い
ものだから、目に当たるのだ。 コガネムシなんかが当たると大変だった。

自転車から転げ落ちて仕舞う。 それが今じゃあ、虫も居ない。 車で走っ
ても、虫がぶつからない。

これが良い事なのか、悪い事なのか。 考えて仕舞う。



  *       *       *



父の最期の言葉は、振るってた。 わし、沢山の魚を殺したから、
とても天国は無理だ。

その辺の供養、あんじょう頼む ・ ・ ・ ってね。 ワシ、よしよし言
うて、笑ってたよ ・ ・ ・




さて次段では、小松飛行場の昔語りなど、してみようか ・ ・ ・






*       *       *



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