*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 2 章  *  和田伝四郎翁小伝の 3

番外 の 3/3 


< 和田伝四郎翁、日露戦役に従軍す。>





和田翁の伝記、旅順戦の辺りを読むと、
先の大東亜戦(太平洋戦争)の従軍記と感じが違う。
ロマンが有るのだな、日露戦争には ・・・
戦争を知らない我ら、そこをどう読むか、
慎重に考えつつも、見て行こう。




*     *     *






< 旅順戦における 和田軍曹 >


甲種合格で金沢、陸軍輜重兵、第九大隊へ入隊したのは、翁二十歳、明治
30年 ( 1897 ) の事だった。

満期除隊が三年後、23歳時で、日露戦による戦時臨時召集動員が下令された
のは、翁26歳時であるから、社会人に成るや否やではあった。



明治37年5月16日、入隊し、陸軍輜重兵軍曹を拝命。 その10月には
早くも旅順口要塞戦に参加しとる。

当時の仲間四百名、ある者は満州の地に英霊と成り、ある者は凱旋したが、
昭和四十七年現在、生存者は、和田翁を入れて八名に過ぎぬとある。



感傷はとにかく、或る生き残りの老人いわく、和田さん、ロシア軍の砲台の
在る、旅順の東鶏冠山攻撃の時じゃった。

味方の砲兵がバタバタと戦死するから、砲撃にならん。 和田軍曹、それを
見かねて言ったのだ。


輜重兵みたい、かったるい後方勤務なんか、やっとれん わしゃちょ
っと行って来る。 言うて馬ァ 〜 飛ばして味方の砲兵陣地へ、ひとっ走り。

半日ほど、山砲をぶっぱなして帰って来られた。 けっこう当たったわい。
ロシア軍の陣地の吹っ飛ぶのが、見えたからな。

輜重も大事だけど、わし、ホンマは大砲打ちになりたかった。 など言われて
おられた。



  *       *       *



このあたり、和田伝四郎翁、自ら語っていわく。


召集令状の来る前は、お旅祭り ( 小松に今もつづく 有名なお祭りである。
毎年五月の十五日前後の三日間。近郷近在から大勢集まる。) の

若い衆の当番でな。 お宮さんへ行って御神輿 ( おみこし ) の組み立てに
汗だくだった時だ、



町役場の兵事係りが、でかい声で言うのだ。 大加登屋のおあん(兄)ちゃん
赤紙が来ましたぞッ

今か今かと待ってた召集令状じゃ。 嬉しくて嬉しくて、血が、かぁ 〜 ッ と
騒いでな。 どうしようも無い。 居ても立ってもおれん ・・・ ちゅう奴だ。



一緒に赤紙貰った連中と境内の中、赤紙を片手に差し上げて、踊り回ったけど、
興奮が収まらぬから、

まだ鳥居の外へ出してはいかん神輿 ( みこし ) 、町内へかつぎ出して勇ん
でると、年寄りが出て来て、ポカリとなぐられたわい。

それでも嬉しくて嬉しくて涙が出た。 みんなで嬉し泣きした。



  *       *       *



金沢の輜重兵第九大隊へ、予備兵のおっさんで入隊したまでは良いんじゃが、
金筋 ( きんすじ ) の偉いさんから、

貴様は教育係りの下士官として、留守隊に残ってご奉公せい。 満州で戦争
するのも、内地で新兵育てるのも、

お国の為の使命は同じ ・・・ なんて言われたんじゃ。



万歳の万歳の嵐に見送られ、立派に戦死して来いと言われて町を出たのに、
今さらおめおめと金沢には居れぬ

ありゃ(あいつは)残り者で、今だに兵舎でまごついとる ・・・ 言われる。
町内の連中に、あざ笑われるだろ思ったら、

腹が立って腹が立って、どうにも虫が納まらん



そこで、馬の糞の留守隊に居るより、自分ひとりでも良い、戦地へ行かして
下されいッ

言うて上官に喰って掛かったな。 その内、軍曹なんかに任ぜられたから、
ありがたや、これで戦地へ行けると思ったのに、駄目なんじゃ。


わしゃ、伍長でいいさかい( 伍長で結構ですから )早く戦地へやって下さ
れと、文句ばっかり言うとったかい有ってか、

東鶏冠山の戦闘で、炊事軍曹が戦死したさかい( 戦死したから )、その後釜
に、一個分隊連れて戦地へ行け言う、命令が下った。



こんときゃあ、梅雨 ( つゆ ) の上がった日本晴れの気持ちでナ、天にも
昇るうれしさだったわい

旅順の二竜山、東鶏冠山、盤竜山、203高地、望山、それに奉天での大会戦
に、輜重と言うモグラの仕事が本務やったけど、


砲兵もやりぁ 〜、工兵もやり、歩兵もやり、看護兵もやり、騎兵もやったナ。
臨戦即応七変化、ちゅう奴じゃった。



  *       *       *



旅順の各戦線は、どこもかしこも屍山血河 ( しざんけっか ) だったナ。
203高地の、第三回総攻撃になると、弾丸の補給がはかどらん。

いよいよ、ここが死に場所だと思ったから、馬鹿くさく成って、おにぎり配り
の采配など振っておれんのじゃ。



輜重の仕事くらい、負傷者でも出来るわい ・・・ と手前判断でナ。 第一
線の兵にまぎれ込み、銃をさかさまに持って、あばれ廻ったもんじゃ。

ロシア軍も、なかなかしつこく粘った。 金城鉄壁と言われた堡塁 ( ほう
るい ) から秘かに出て、日本軍陣地へ夜襲をかけて来るんじゃ。



高地を日本軍に奪られたら、旅順が駄目だってんで、ウラ 〜 ッ の喚声で
逆襲して来るには驚いた。 ロシア軍も勇敢だったわい。

全体、ロシア軍は、堡塁にひそんで機関銃を撃ちまくって来る。 そこを
下から登る日本軍は、素手で金庫を破るようなものじゃったよ。



どれだけ死んでも屍 ( しかばね ) を乗り越えて、突撃をやるんじゃ。
夜は口の端がこわばるほど凍てつくんじゃがな。

満足な防寒服てな物も無かったんじゃが、凍傷なんぞ、ただの一人も掛か
らなんだ。 凍傷に掛かる前に戦死したんかも知れんな。



大和魂が、精神力が、最後に勝ったんじゃ。 全滅、全滅、また全滅。
そんでも進んだな。

その内だ。 バルチック艦隊が日本に近づいておると言う噂が拡がって来た。
神様の助けか、明治三十七年十二月六日、203高地に、日の丸の旗が遂に立っ

た時、からだの振るえが止まらず、皆で抱き合って泣いたもんじゃ。



  *       *       *



203高地から、旅順の街も港も丸見えだ。 港にはロシアの軍艦が
おったが、高地から撃ち下ろす二十八サンチの巨弾に、

港は硝煙と火柱におおわれてな。 敵の主力艦べレスウェート、ポルタワ、
レトウィザンなどが、沈没して行くんだ。



不思議なもんでな。 海に消えて行くロシアの海軍の兵隊さんが、可哀想
になってな。

昨日まで、喰うか喰われるかの肉弾戦をやっていて、いざ、高見の見物と
成ると、情にもろいもんで、手を合わせ、ナミアミダブツを唱えてやった。



明治三十八年の元旦の午後おそく、旅順は開城された。 なんだか気の抜
けたようだったな。

二日に水師営で、乃木将軍と敵将ステッセルの会見じゃ。 わし等この後も、
満州の戦場で、何遍も血みどろでやったな。



今の若い者に言うと、笑われるのがオチだろうけど、いついつまでも日本精神
を、身体一杯に詰め込んでおきませんと、

亡国を招きますぞ



  *       *       *



明治天皇崩御のあとを追われて、乃木将軍が自刃された。 わしらは、それ聞
いて、泣きに泣いた。

わしゃ、昨日の敵は今日の友、ちゅう水師営の会見の歌が好きでな。 ちょっ
と聞いて呉れ。



   1  旅順開城約成りて
      敵の将軍ステッセル

      乃木大将と会見の
      所はいずこ水師営。


   4  昨日の敵は今日の友
      語る言葉も打ち解けて

      我はたたえつ彼の防御
      彼はたたえつ我が武勇。



  *       *       *



< 和田軍曹、九死に一生を得る。>


忘れもせぬ、あれは明治三十七年(1904)十一月の下旬じゃった。
旅順の戦野に、赤い夕日が没っし去った頃じゃ。

飛来するロシア軍の砲弾が、ときおり漆黒の天地を震わせて炸裂しおった。
盤竜山攻撃の日本軍が、待ちに待ってる銃砲弾と食料を運ぶ為に、

わしらは大行李 ( だいこうり ) の轍 ( てつ ) を進めてた。



最前線は極端に弾薬不足じゃった。 歩兵も工兵も敵陣へ石を投げてる様な
苦戦じゃった。

ロシア軍の陣地は、旅順港要塞の前衛じゃから金城鉄壁だ。 命令は、未明の
薄明かりを利用して、前線へ補給せよ ・・・ じゃったが、


明日の夜明けを待ってたら、第一線は弾薬不足で、みすみす倒される。 そう
なりゃ補給の輜重隊に、ロシア軍の十字砲火が浴びせられる。

この闇夜こそが天の助けじゃ。 命令違反を問われれば、わしゃ、時間を間違
えてしもて、申し訳なし。 腹切っておわびします ・・・ と決心してな。



行李を出発させたんじゃが、泥道に大岩じゃろ。 前へ進みやせん
まさに牛歩遅々 ( ぎゅうほちち ) じゃった。

食料弾薬を無事に届ければ、軍律違反も帳消しじゃと、がむしゃらに急いだ
もんじゃった。 一里ほど来た時だった。



前方にカンテラの赤い灯が、チラリ、またチラリと見え隠れする。 友軍の
前線は近いぞと、勇気百倍じゃったが、

二十頭ほどの引き馬が、にわかに異様な鳴き方をして地を蹴り、前へ進もうと
せんのじゃ。



わしの乗馬の < あお > も、首を横に振って、前脚をさかんに上げる。 なん
だか不吉な予感が背筋を走った。

地図にも無い荒野と、それに続く山道だ。 星さえ出ていない。 ただカンに
頼ってここまで来たのだ。

立ちすくむ馬の感覚は、鋭 ( するど ) かった。 ロシア軍の陣地に接近し
てたのじゃ。



  *       *       *



こりゃいかんと、馬首をめぐらし ・・・ さて ・・・ 東せんか西せんか、
どうしたものかと戸惑っていた時じゃ。

暗闇にボケながらも、鉄砲を高々と挙げて、手で招いておる友軍の兵士の姿が、
ほの白く見えた。



お 〜 いと声を掛けたが、返事は無い。 わずか二十歩ほどの距離なのに、こっ
ちが近づくと、彼もまた二十歩のほどの距離になって、おいでおいでを、する。

何度も目をこすって見たが、やはり友軍の歩兵の姿じゃ。 二度目にグッと近づ
いてみると、その友軍の兵士の姿は、かき消すように無かった。



手招きの方向へしばらく進むと、なつかしい味方の声じゃ。 輜重さんかッ
待っとったぞッ  ( 待ってたぞッ

第九師団だッ 第九師団だッ の、張り切った声が、わしら
の頭に ガァ 〜 ン と来た。



あの無言で おいでおいで をしてた友軍の兵士を、部下の輸卒 ( ゆそつ ) も
何名か、しかと見たと言ってた。

真っ暗の闇夜だ。 見える筈が無い。 見える筈の無いものが見えたにしては、
余りに、はっきりし過ぎてた。



  *       *       *



かくして和田軍曹の独断、違命輸送は成功した。 隊長からは、この暗闇に、良
くやったと褒められた。

身を捨てても、やるものは、やらねばならん。 至誠に発したものは、必ず天に
通づるんじゃよ。

誠は、必ず天に通づ。 英霊のお導きは、必ず有る。 あの兵士の おいでおいで
が無ければ、わしらは全滅してた。



  *       *       *



日露戦で、輜重兵で金鵄勲章 ( きんし ) を貰ろたのは少数じゃ。 輜重兵の
くせに、輜重をやらんと ( 輜重をせずに ) 、山砲打ったり、分隊つれて

歩兵と一緒に突撃したりの軍規違反が、殊勲甲の金鵄になったのかな?
他の兵科の事して、軍律に叛い ( そむい ) とるから懲罰を覚悟しとったのに、

あべこべに褒められてしもた。 ワッハッハッ じゃよ



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< 奉天戦のあと、和田軍曹、兵士の盗品を返却す。>


日本人の当時の本を読んでて変に思うのは、日本人言うのは、国家の犯罪と
個人の犯罪の区別の付かぬ民族なんやろか? ・ ・ ・ ちゅう事だ。

たとえばイスラエル、テルアビブ空港で、日本赤軍の若者が、自動小銃を
乱射。 民間人を含む多数の死者を出した。



こりゃ反国家的思想集団、個人の犯罪どすえ。 ところが時の佐藤栄作総理、
イスラエルに謝罪使を出した。 するとどうなるか?

日本赤軍の行為は日本政府が指示した事だと、世界に宣言した事になる。
おかげでイスラエルの国民、心底怒ったそうな。



たとえば真珠湾攻撃、宣戦布告が遅れて仕舞った。 日本政府からの宣戦布告
の打電は、時間通りに行ってたのである。

ワシントン在の日本大使館、同僚の送別会なんかしてて全員留守。 怠慢の結
果、二時間ばかし、手交が遅れてしまった。



だから、あの時のアメリカ大使は、死刑にせなあかんのだ。 大使館の怠慢で
遅れたのだから、責任者のアメリカ大使は、死刑なのだ。

死刑にしないでいるから、世界は日本のだまし討ちだと、永遠に言いつのる。
彼らは死刑どころじゃない。 何の処分も受けず、順調に出世して退職してる。



あれは死刑にせな、あかんのだ と、小室直樹・日下公人共著
< 大東亜戦争、こうすれば勝てた > は言っている。。

まったく、その通りなのだ。 日本人、この辺の国際感覚が乏しい。



  *       *       *



例えば関東大震災、朝鮮人が虐殺されたと言う。 だけどね、日本の警察、
朝鮮人を守ってたのだ。

それまでの朝鮮人への悪感情が、大震災の非常時に、ゆがんで噴出したのが
市民による虐殺行為だ。 だけどそりゃ個人の犯罪だぜ。



日本の警察官、乱暴するなッ ちゅうて、朝鮮人を守ったんだぜ。
それがまるで、国家が、この機会に在日の朝鮮人を殺せッ

言うたみたいに成っておる。 反対やないか。 日本国家は、朝鮮人を救っ
てたのだぞッ 日本の官憲は、朝鮮人を守っていたのだッ



  *       *       *



言っては何だが、戦前の満州の万宝山なる処で、中国人の農民と、朝鮮人の
農民が、水の管理問題で、喧嘩した事があった。 死人は出ていないのに、

この騒動の報道が、誇大に成って伝わるや否や、朝鮮国内では怒った朝鮮人が、
在朝鮮の中国人、百二十余名を虐殺すると言う、大暴動が起こった。



この事件は昭和六年 ( 1931 ) であるから朝鮮は日本と併合しとる。
中国人から見れば、日本の仕業と見えた。

よって全中国で、排日ボイコットの嵐が起こった。 韓国・朝鮮人は、関東
大震災での、日本人による朝鮮人の虐殺を言うが、



自分達の歴史の中でも、似た様な事、しとるやないかッ
自分達の所業は棚 ( たな ) に上げて、日本の出来事を、それも曲解して、

言うなよ。




繰り返しに成るが、日本の警察は、あの震災の中、朝鮮人を守ったんだぜ
国家の犯罪と、個人の犯罪の区別も付かない者が、偉そうな事、言うなよ

そんなヒマが有れば、韓国軍がベトナムでした残虐行為でも、考えて呉れ
ベトナムの娘を強姦して出来た混血児が、三万名だぞ。



深刻な問題に成っている。 韓国人の言う、先の大戦での従軍慰安婦問題を
見よ。 混血児なんて一名も生まれていない。

これが何を意味するか判るか? この一事で、慰安婦達は、商売してたので
性奴隷なんかでは無いと判明する。




だいたい収入が日本軍の将軍より多い性奴隷なんて、そんなの有るかいッ
この問題は、くじらの投資 < 韓国経済の研究 > で詳しく 扱う。




韓国軍がベトナムから去ってみると、韓国兵との混血児が、三万名残されて
深刻な問題なのだ。

君らがベトナムでした行為を、なぜ謝罪し、補償しないのか?
ベトナムに謝罪と補償をしてから、日本の揚げ足を取るべきである。



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< 和田軍曹、部下を叱る。>


和田軍曹らの部隊、旅順要塞攻防戦の終った次は、奉天の会戦だった。
それも無事、日本軍の勝利で幕が降りた後である。

明治三十八年三月の二十日、真夜中だ。 全員起床おおッ 全員起床おおッ
和田ハンの、大声で怒鳴る声が、しましての。



わしら部下、八十名ほど。 何じゃろ言うて、屯営 ( とんえい ) の庭に
整列しましたんや。

和田ハン、物凄い顔して怒鳴り声。 私物一切を持って来いッ 一分以内に
この場所に再集合ッ  って、わめきまんのや。



わしら私物全部持って、再集合でんがな。 見れば和田ハンの横、支那軍の
少佐、でかいかご持ち、すんません言う感じで立ってまんのや。 和田ハン、

民家から取って来た物、じ ぇ 〜 んぶ ( 全部 ) この支那軍の少佐さんに
返せぇぇ 〜 ッ



おみゃぁ 〜 ら ( 貴様ら ) あんだけ盗る事ならんと言うとったに、馬の
耳に念仏 かぁ 〜 ッ

指輪や耳かざりなんか盗って、そんなもん、戦争の役に立つ かぁ 〜 ッ
ロシア軍の鉄砲なら、幾らでも盗って来いッ



支那の良民の皆さんの心にも成ってみいいッ 戦争じゃから、畑は荒らされ
る。 家は壊される。

その上、大事なもん盗られたでは、日本軍、いくさに勝っても心で負けるッ
憎まれて、しもやないかぁ 〜 ッ




盗 ( と ) ったもん、隠しとったら承知せんからなぁ 〜 ッ

全部 ゥゥ 〜  ここへ出せ ぇぇぇ 〜 ッ



満州の冬の原野だっせ。 カチカチに凍った夜でっせ。 和田ハンに、たっぷり
絞られてしもた。 ワハッハッハッ ですわ。

次の朝、またまた和田ハンが、全員集合って怒鳴りまんのや。 今度は何じ
ゃろ? 言うて集まってみると、戦勝記念の酒を呉れまんのや。



焼き入れられたり、美味いもん飲ませて呉れたり。 やっぱ、あの人、市長
さんに成れますわ。 ワハッハッハッ

あの頃を思い出すと、懐か しゅ 〜 て、ならんのや。 涙が出て来ますぅ 〜 。
日露戦のあいだじゅう ( 日露戦の間づっと ) 和田ハンは、ホンマに良い

上官じゃった。



市長さんに成られても、やっぱ和田ハンは、良い市長さんですよ。 小松市
の発展に、大功績を残されました。

和田伝四郎ハンは、小松市の生んだ偉人です



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 ( く じらの挿入 )


上の記述をネタに、日本軍はこんなにも悪い事をした。 こんなにも卑劣な
事をしたと書く事は可能だ。

だけどそれ、兵隊の、軍規違反の行為だっせ。 どんなに禁止しても悪(ワル)
する奴が居まんのや。 あんたの事だっせ。



こんなのは軍規により処罰です。 在日アメリカ軍の兵士なら、最近やっと
日本の法律で裁けるように成りました。

これまでは治外法権だったですな。 日本は植民地扱い、されてました。



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< よくよく国際感覚の欠如した 日本。>


だけどね、イスラエルのテルアビブ空港で、日本赤軍の若者が自動小銃を
乱射したのを、すんません言うて、時の総理大臣、佐藤栄作ハン、

イスラエルへ謝罪使を派遣したよな国ですからな、日本は。 どんな見識
してるのかと世界が呆れ返ったと言う話し ・ ・ ・ 聞いてませんか?



日本の新聞、佐藤首相がイスラエルへ謝罪使を派遣した事は書いても、
その事についての世界の反応は、何故か書きません。

戦時中の軍の行為を、かくまで、何時までも何時までも何時までも責めら
れてる国なんて、日本は世界の奇物です。



日本を責めてる中国、チベットで何をしましたか? 中越戦争で何をしま
したか?

同じく韓国軍、ベトナムで何をしましたか? 強姦による混血児、3万名
は何ですか?



日本の戦時慰安婦 ( 従軍ではない。) 後で問題に成る混血児、一名た
りと生まれてませんぞ

日本軍の戦時慰安婦は、商売です。 ちゃんと衛生管理された売春婦なの
です。 彼女たちの収入たるや、日本軍の将軍より高給だったそうです。

そんな性奴隷が、居ますかいなッ アホ言わんといてやッ




上記、和田伝四郎軍曹の、日露戦での行為。 むしろほほえましいのでは?
或る方の独り言、支那軍の将校さん、和田軍曹から返して貰った品物。

ネコババしなかったかな? ちゃんと住民へ返したかな? なるほど、
そこまで注意せんと、まずいかも知れぬな ・ ・ ・ 。



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< 和田伝四郎市長と、コマツの河合良成社長。>


戦前戦中とコマツ ( 小松製作所 ) は発展した。 昭和十四年には六トン
軍用牽引車の製作開始。

十五年には軍需省指定の丸鋸盤 ( まるのこばん ) と、コマツが世界に
誇る、超大型プレスの製作を始めた。



十七年には五十馬力、ガソリンエンジンのトラクターに排土板を装着した、
ブルドーザーみたいな物の、大量生産に乗り出した。

当時の写真が残ってます。 耕運機に排土板を付けた、おもちゃです。
アメリカのキャタピラー社は既に、今日と同じブルを造ってましたから、



日本軍が南方で飛行場を計画しても、勝負に成らない。 あっちが三日で
完成させて軍用機を飛ばすなら、日本軍は、その十倍の日数でも駄目。

ガダルカナル島でも、コマツのブルが今日のブルだったらと、悔やまれます。
当時のブル、耕運機の親玉みたい物。 写真を見て恥ずかしく成ります。

お世辞にも、ブルとは言えません。



  *       *       *



しかしこの時コマツでは、正社員が戦地へ行ったあなを、大勢の学徒や白紙
動員の勤労者が必死に働いて、部品を作ってたのだ。



ワシの本 < 爆笑五十歳、歯学部へ行く > の第五章の 2 を見て呉れ。
東京は九段南、昭和館に展示されとる旋盤。 ありゃあ、その時の旋盤だぜ。

十代の学徒達、あの旋盤にしがみついて、軍需品の生産に励んでいたのだッ



幸いな事に、石川県には一発の爆弾も投下されなかった。 小松市には
軍用の小松飛行場もあったのに、B - 29 は素通りするだけ。

ただの一発の爆弾も落として呉れなかった。 馬鹿にされたらしい。
ワシ、はな垂れ小僧の頃、仲間と一緒に、アメリカの進駐軍の基地になって


いた小松基地へ潜入した事がある。 雲雀 ( ひばり ) の卵採りだ。
椅子で居眠りしてる黒人兵の傍を、匍匐して突破したんだぜ。

兵士の膝には本物のカービン銃が乗っていた。



滑走路の他は草ぼうぼうの飛行場。 コンクリートで出来た戦闘機用の掩蔽
壕が、あちこちに在った。

どれもこれも、馬鹿みたいに小さかった。 あんな所に這入る飛行機じゃ
小さ過ぎて勝負に成らんだろうな ・・・ と、子供心に思ったものだ。



  *       *       *



問題はコマツだよ。 日本は、昭和二十年 ( 1945 ) 八月十五日に負けた。
コマツもすぐに、軍需品から民用機器に転換したんだが、

農具も農耕用のトラクターも、造ったは良いが、あんな時代だ、売れやせん
三千人の従業員、給料遅配。 それも苦しくなり、分割払い。

こりゃ倒産だ。



和田伝四郎市長が呼んで来た河合良成社長も、頭を抱えた。 昭和二十五年、
河合社長は土壇場に立たされた。

乾坤一擲の打開策。 小松市に三千万円の債務保証を頼んだ。 倒産必至の
会社だ。 しかし他に道が無い。



和田伝四郎市長以下、当時の小松市議会は全員一致で賛成、可決。 コマツ
は、九死に一生を得た。

こうなると和田市長の銅像だけでは足りない。 この時の市議会議員全員の
レリーフくらい出さないと、あかんのではないか?



この直後に起こった朝鮮戦争が、神風だった。 一年を経ずして債務解除。
それからのコマツの躍進は、我らの知る通りである。

その後も幾度もの危機を乗り越えて、河合良成社長のコマツは、世界企業へ
成長して行った。 やっぱドラマが有るのだよ。




ここで、韓国・朝鮮の皆さんの為に、あの戦争に付いてのワシの見解を、
短く述べる。 詳しくは < くじらの投資 ・ 韓国経済の研究 > に書く。



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< 朝鮮戦争に関する、く じらの見方。>


金日成と北朝鮮を、よいしょしたい学者さん。 朝鮮戦争は南の韓国が挑発
して起こったと主張したが、それは、

1970年に出た < フルシチョフ回想録 > で否定された。 さらにその
後、A・V・トルクノフの < 朝鮮戦争の謎と真実 > で、北の金日成軍の、

計画的侵攻が、証明された。



北朝鮮の金日成が、スターリンと毛沢東に、再三再四親書を出して、開戦の
許可を求めていた事、明白と成った。

トルクノフの本を読みながら、ワシ、韓国の国定教科書の、元寇の項を考えた。



韓国の国定教科書では高麗王朝が、元の再三の要請に、しぶしぶ従ったかの
如き記述をしとる。

真相は違う。 日本に興味を示さない元のフビライに、高麗の忠烈王が度々
親書を出し、

日本征伐を、是非是非、我らにやらせて下さいと、執拗に求めていたのだ。




教科書では、元の強制に、いやいや従ったかの如き書き方をしとる。 これ
歴史の書き換え。

歪曲 ( わいきょく )、韓国得意の嘘八百史と申す。



○ 根拠文献 ( 必読レベル )


 * 韓国と歴史は共有できない * 勝岡寛次著 小学館 2002年刊
 * 韓国中国 歴史教科書を徹底批判する * 著者同上 〃 2001年刊



  *       *       *



開戦と同時に北朝鮮軍は、文字通り、怒涛の勢いで南下した。 戦略に詳し
い人なら、これだけで北の始めた戦争だと判る。

ここでだ。 我ら、知るべし。 あの怒涛の南下の主体は、金日成に与えら
れた満州国軍なのだ。



満州国軍とは何か? 満州に建国された満州国の正規軍である。 当然、日
本の関東軍が、建軍に関与した。 日本軍の申し子である。

日本が敗戦した後、満州国軍は中共の林彪将軍に与えられた。 林彪将軍は
その内の、朝鮮人から成る部隊を、北朝鮮の金日成将軍に分与した。




あの朝鮮戦争の初期、破竹の南下をした軍団こそ、
日本軍が育成した、満州国軍の中の、

朝鮮人兵士から成る部隊だったのである。



ワシ、これを、岡田英弘著 * 厄介な隣人 中国人 で読んだ。 韓国や
朝鮮人の書く 朝鮮戦争の本には、絶対出て来ない情報だ。



彼らは、知ってても書かないのだ。 韓国軍の指揮官が、日本の士官学校出
身者である事を、ことさら強調するくせに、

あの北朝鮮軍の主力が、日本軍が育てた満州国軍だったなんて、言いたくない
のだ。



こんな具合に、れっきとした史書でさえ、嘘、変形、故意の曲筆が横行する。
嘘を信じていて、投資は成功するか? どこかでスカタンを喰う。

投資家に好き嫌いは無い。 正しい事実を求めるだけである。



  *       *       *



韓国・朝鮮人と、日本の反日系の学者・文化人の書く物は、用心して読まな
いと馬鹿を見る。 嘘・捏造・曲筆が多い。


北の怒涛の南下が、元を質 ( ただ ) せば日本の養成した満州国軍だった
なんて、

韓国・朝鮮人には、認めたくないのである。 だから、知ってても書かない。



  *       *       *



< 朝鮮戦争の仕掛け、別の見方。>


広瀬隆の本 < 億万長者はハリウッドを殺す > には、朝鮮戦争を誘発した
のは、アメリカだ ・・・ と有る。

なかんずく、モルガン=ロックフェラーの連合体が起したと、書いてある。
この連合体とは、産軍複合体だと思えば良い。

ワシ、真偽の程は申しかねるが、参考までに紹介しとく。



38度線での動きなら間違い無く、北の金日成軍が、主体的に侵攻を始め
ておる事に、間違いは無い。 しかしだ。

南韓に進駐していたアメリカ軍は撤退して、38度線の南半分、真空状態。
しかも李承晩政権は腐敗して、南韓は、テロと独裁と不正のちまたである。



金日成から見たら、さあおいでと、誘われている様な状況である。 つまり
広瀬隆は、アメリカが、こんな状況を、意図的に作ったと言う。

北の侵攻を誘ったのである。 だからあの朝鮮戦争は、アメリカが起した
戦争だ  と言うのであるが、どんなものかね?



これが事実なら、金日成は、アメリカの意図に見事、引っ掛かった事になる。

日本が真珠湾で、はめられたみたいに ・ ・ ・



  *       *       *



1950年の6月25日である。 あの瞬間、北がちょっと押せば、
南朝鮮は、たやすく共産化しそうだった。

今を置いて他に、統一のチャンスは無いッ ・・・ と見えた。
しかも金日成の手には、日本軍が育てた、朝鮮人から成る、

無傷の満州国軍の精鋭があったのだ。



アメリカ軍は不思議な事に、李承晩の南韓に、満足な兵器を持たせていない。
金日成軍が、ソ連製の最新鋭戦車で武装しとる、言うのに、

南韓には、戦車さえ無かった。 なんでこんな不手際が起こったのか?
と考えると、広瀬隆の主張も肯 ( うなず ) けるか? ・ ・ ・



すると金日成、アメリカの策略に乗せられたのだ。 北を支援する為に投入
された中共軍は、本来は、台湾侵攻用に準備されていたものである。

お陰で台湾、無事だった。 そして、金日成の起した戦争が、日本の瀕死の
産業を助けた事も事実である。



だけどね、日本の産業が有ったればこそ、韓国とアメリカ軍は勝てたのだ。
卑近な例で言うと、

朝鮮半島は寒い。 冬季、気温が下がり過ぎて、機関銃が作動しない。 日
本、関東軍で寒冷地仕様の経験があったから、



アドバイスして改善して上げた。 北の兵器はソ連製である。 ソ連はもっ
と寒い国である。 寒さには慣れている。

韓国・朝鮮の方が、日本は我らの犠牲で儲けた ・ ・ ・ と言うのは勝手
であるが、




あの大変な場面で、日本に助けられた ・ ・ ・ とも言えるのである。

日本は絶対悪で、韓国・朝鮮は絶対善にしとかないと、気が治まらぬなら
仕方無いが、事実とは異なる。



全体、韓国の言ってる事を、少しでも研究すると、事実無根を有ると言い。
自分達に都合の良い様に解釈する事のオンパレードである。

日本の特産が、何にでもスミマセンなら、韓国の銘産は、嘘八百史である。
以下、くじらの投資、韓国経済の研究で扱う。



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( 追記 )

上坂冬子の本 * 日本は そんなに悪い国なのか * 2003年 PHP 研究所刊 に、
以下のような文章を見付けた。



昭和25年4月7日を最後に、巣鴨プリズンでの処刑は終了した。 絞首刑を
宣告されていた B ・ C 級戦犯は、その後八年ほど掛けて、なし崩し的に

釈放されている。

なぜ処刑が、四月で終ったかと言うと、その二ヵ月後に朝鮮戦争が始まった
からだ。

朝鮮戦争が始まれば、当然、日本の後方支援が必要と成る。 アメリカは
それを見越して、戦犯の処刑を中止したと思われる。




( くじらは言う。)

当時の史書に、アメリカは朝鮮戦争の勃発など、予想もしなかった。
だから準備、まったく無く、完全に不意打ちだった如く書いてある。

しかし流石に戦略国家 アメリカではある。 北朝鮮軍が侵攻を開始する
二ヶ月前に、後方支援国家の日本に、根回しを済ませていたのだ。

アメリカは、知らなかったどころか、完全に把握してたわけだ。



大阪の大空襲でも、朝鮮人の多く住む西成区は、爆撃していない。
そもそも日本全体が、かくまで爆撃されてるのに、朝鮮半島には、

空襲が一回も無かった。 それは何故か? アメリカは何を求めるのか?
何をしようと、してるのか?



半島を米ソで分割し、米はその南半分を、1997年からのアジア通貨危機
に事寄せて、金融植民地にして仕舞った。

戦略国家アメリカの、底知れぬ企画力に、我ら、驚嘆を禁じ得ない。
次は何か?  次は日本が、韓国にされる番であらう。



  *       *       *



2011年頃からの、韓国のサムスン電子や、ヒュンデ (現代) 自動車の
躍進が著しい。

看板は韓国の企業であるが、実権はアメリカが握っている。 サムスン
や、ヒュンデの成長は、世界中で、日本企業の叩き潰しを狙う、

アメリカの戦略なのである。 叩き潰しておいて、アメリカが買収する。



日本企業の一人勝ちを許さない、アメリカの意思である。 我ら、大変な
時代に直面しとるのだ。

ワシはこれを、元寇ならぬ、アメ寇と命名した。 この難局に、企業人の
奮起を祈る。



日本のソニーやキャノンの株式は、すでに過半が外人勢の持ち物である。
ぼやぼや出来ない。

日本の優良企業の、おしなべて30%の株式は、外人勢が所有しておる。
あと、ちょっとではあるのだ。

日本も韓国と同じ、アメリカの金融植民地と成るのだろうか?




元寇は、かろうじて撃退した。 さて我ら、第二の元寇ならぬアメ寇に
どう対処するのか?

日本の鼎 ( かなえ ) の軽重が問われておる。 看板だけ日本で、
実態はアメリカの植民地と成るのか?

そんな局面ではある。



○ いずれにしても朝鮮戦争、勝てると読んだ金日成の、読み負けである。
   アメリカの手の平の上、戦争ごっこで遊ばされただけの様だ。



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< 創業時の コマツ、倒産の危機。>


コマツ ( 小松製作所 ) も、最初は大変だった。 和田伝四郎小松市長
の英断が無ければ、やばかったのだ。

ワシの知る、もうひとつの大変は、米キャタピラー社の日本上陸だった。 キ
ャタピラー社は、応募した日立、コマツ、三菱から、三菱を選んだ。



あの時も、コマツはもう駄目だッ の声があった。 河合良成社長以下
全社員、死に物狂いに頑張って、今日のコマツを創ったのだ。

今やアメリカの市民、国産品の愛用とは言うけれど、性能、耐久性、価格から
見て、やっぱコマツのパワーシャベルを買うべきだと、言う位である。



この声、大事にしたい。 そして、ここまでにした、先人の苦労に、感謝せ
ねばならぬ。

こんな凄い会社が、小松市から発祥したのだ。 これは小松市民の誇りである。
和田伝四郎市長が今日のコマツに、大貢献をなされた事。



我ら、渾身で認めたい。 銅像が建つ筈である。 早い話、かく言うワシも、
コマツのお陰様で、まずまず飢えもせず、生きて居れるのだ。

小松市には、コマツの部品加工で産を成した者、百人どころか千人を越すだ
ろう。 小松市は、コマツのお陰なんである。 有り難い事なのだ。



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余談をひとつ。 朝鮮戦争の中国人民義勇軍、人海作戦だったと人は言う。
あの小銃ひとつで突撃した ( 又はさせられた ) 中国兵、ありゃあ

大陸で降伏した、蒋介石軍の残党だったんだぜ。 だから幾ら死んでも良いわ
けだ。 いや、沢山死んで呉れた方が、都合良いわけだ。



最近では中越戦争。 ベトナム軍の陣地に向かって、中国兵の大群が、第一
次世界大戦の西部戦線みたいに、白兵突撃した。

当然大損害。 ベトナム側から取材した西側の記者。 中国軍は、絶望的な
突撃を繰り返していると、世界に打電した。



だけど突撃して来る中国軍の先頭、ありゃあ、チベット兵だったのだ。
それって、いやらしくは無いか?

チベットの若者を、ベトナム兵に虐殺させとる様なものだ。 チベット人な
んて、全体が六百万だぜ。 若者の 3 〜 4 万人も戦死傷させれば、



民族として、大変な事に成る。 新聞の記事には、裏が有る。 裏が判ると
別の風景が見えて来る ・・・ と言う実例の一つだ。

我ら、用心しよう。



このままではどうやら、チベットの民族と文化は、やがて廃絶するナ。



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< 和田伝四郎市長、小松飛行場に自衛隊を呼ぶ。>


小松飛行場言うのは、戦前昭和十六年頃から、海軍が設置したものであるら
しい。

十九年には滑走路が完成し、海軍攻撃隊二個中隊が常駐とある。 敗戦間際
の二十年、海軍神雷特攻隊基地となり、特攻機が西の空へ飛び立って行った

そうな。



敗戦と同時に、米軍航空隊基地と成った。 この接収の解除は、昭和三十三
年である。

この間にも、民間飛行場としての機能もあって、小松 - 大阪便、小松 - 名
古屋 - 東京便が就航しとる。



当時、国防の観点から、日本海側の、新潟か小松か美保かのいずれかに、
基地を設置したい意向が有ったらしい。

和田伝四郎市長、国防の観点から見て、石川県の小松が一番じゃろがッ
ごちゃごちゃ言うとらんと、小松に来さっしゃいッ



てな事、言ってたと思われる。 小松市が誘致に動くや否や革新系、反対運動。
石川県の、小松ジェット基地反対支援協議会と言う、長たらしい名前の会の

主催する、小松市基地反対市民総決起大会が、ミゾレ降る芦城公園広場にて
開かれたそうな。 参加者千余名だったと有る。



赤旗、労働旗、高張り提灯 ( ちょうちん ) が夜空に揺れ、ジェット基地
反対のシュプレヒコールが、とどろいたそうな。



  *       *       *



群集は、やがて街頭デモに移った。 狭い小松の町である。 いやでも和田
伝四郎市長の自宅に、来て仕舞う。

小松署員三十名、市長宅を警備。 デモ隊とこぜり合い。 市長出て来いッ
基地は止めろッ 怒声と罵詈 ( ばり )、かまびすかったそうな。




次男の学次氏の想い出話し。 父 ( 和田市長 ) は外出してた。 警察か
らの注意で玄関に施錠したが、子供達はデモを見るんだ と、

はしゃいでた。 父に電話したら、すぐ帰る。 デモの代表と話し合う。
言うから、今帰ったら、モミクチャに成る。 止めた方が良いと言った。



普段は何を言っても、うるさいとはね付けるのに、この時は、老いては子に
従うわい。

言うて、案外率直に聞いて呉れた。



このデモ隊であるが、市長宅の在る土居原町は、届出の行進順路から外れと
る。 しかも警察側の制止を聞かずに

行進を強行したのは、公安条例に反する ・ ・ ・ 言うて、翌日、デモの
責任者が、事情を聞かれたそうな。



まあ、デモ隊としては、それ位やらんと ( しないと ) 気が納まらんかった
のでしょう。 昭和三十三年頃の事じゃよ。

今の若い者には想像も出来ない、左翼思想が高揚の頃だ。 金日成や毛沢東が
輝いて見えてた頃だ。



今じゃ北朝鮮、餓死者が出てる。 そのくせ、幼稚な核兵器造りに狂奔してる。
中国は看板だけ共産党。 幹部の太子党、国の資産を掠 ( かす ) めて

億万長者。



十六億の国民も金儲けに血眼 ( ちまなこ )。 あれが何で共産主義国家なの?
時代外れの軍拡、領土拡張主義。

最後、中国は動乱で、殺し合いに成るでしょうな。 我ら、とばっちりを受け
ない様に、用心しましょ。




その時が来れば、中国に有る日本の資産は、全部 ( じぇ 〜 んぶ ) パ ァ 〜
に成ります。

ついでに殺されない様に、ご用心下さりませ ぃ 〜



  *       *       *



小松飛行場が、自衛隊のジェット基地に成るまでの道のり。 平坦でなかった。
ジェット機だから滑走路の延長が要る。 滑走路の延長とは用地の買収である。

あの辺、浜佐美 ( はまさび ) 言うてな、砂地じゃよ。 開拓農民が拓いて
た、畑地だ。 スイカなら良く出来た。



これの買収、一筋縄に行かない。 和田伝四郎市長、ケチな自衛隊との交渉
と、一円でも多く、早く金寄こせの地主に挟まれて、大変な苦労。

そこを、自慢のひげに物言わせて、こぎ抜けた。 滑走路の延長工事。
建物の整備。



騒音対策の充実と、小松市への経済効果、馬鹿には成らぬ。 千数百名の自衛
隊員の、喰う物、着る物、住む所。 かあちゃんの世話もせなあ、ならん。

これまた馬鹿に成らない。 民間航空も飛んで来るし、経済効果たるや、和田
伝四郎市長の予測を、はるかに越えた。



自衛隊が来たら、小松市は寂れるだなんて、そんな事、言っとるから社会党自
身が寂れて仕舞うのだ。 今の社民党は、その痕跡だ。

社会主義・共産主義をマジにすると、北朝鮮みたいに成る。 もっとも北が、
共産主義国家かどうかは、問題だがね。

事実のしからしむる処、金一族の家産国家ではある。



  *       *       *



晩年の和田伝四郎翁、往時をしのぶ述懐の中。 小松基地 ぁ 〜 持って来て
良かったな。

あん時きゃぁ 〜 いくさに行かんもん ( 行かなかった者 ) ばっかりが反対
したもんでな。



いくさに行って来た人様が反対さっしゃるなら、いざ知らず ・ ・ ・ いく
さを何 ( なん ) も知らんもん ( 者 ) が、本読んで反対反対言いよる。

じゃがな、こうして自衛隊が来て、何年も経ってから見て、どうや? 良かっ
たか、悪かったか?

小松市の発展は、自衛隊が来てどうなった? いよいよ繁栄やないか




ホンマに、わしゃぁ 〜 小松基地だけゃ 〜 成功じゃったと思とりますッ



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くじらBOOKS に掲載しとる本 < 爆笑五十歳 歯学部へ行く > の
第四章の第一段。

和田伝四郎初代小松市長の出る、たった十行足らずの文が起した波紋から、
ここまで来て仕舞った。



ワシのたった十行の文が、ウィギペディアの和田伝四郎翁の項目を、一ヶ月で
削除させたかどうか?

真偽の程は、判りかねますが ・ ・ ・ ようし、それならワシが、和田翁の
伝記を書いてやら ぁ 〜 

ってんで出来たのが、この番外編です。 文句がお有りの方、どしどし言って
下さい。 併記致しますです。 かしく。



  *       *       *



さてやっと第二章も片付けた。 次の章では、ワシの幼年時代を書いて見る。
それはまた、ワシの故郷小松市の想い出、昔語りでもある。

それにしても最近の若者、たった三十年前の状況が判らない。 日本人は自身
の歴史、忘れてるのと違うか?



民族を骨抜きにする、最良の方法は、その民族の歴史を消してしまう事。
だそうだ。

さらに強力な骨抜き法は、その民族の過去の歴史を否定する事、なんだそうだ。
アメリカ、日本占領時代、左翼思想家を使い、これを日本に実行したらしい。



お陰様で我ら、ふにゃふにゃの腰抜け民族とは、成れましたッ
アメリカさん、本当に本当に有難う御座いましたッ



  *       *       *



さて次章、昭和三十年代、日本の片田舎、石川県小松市の風景じゃ。 その
風景の中、ちょろちょろ動いてる、小さい点がワシらでな。

ワシら、ねずみ年だろ。 ちょろちょろ動くのが得意なんじゃよ。
題して おおッ懐かしのふるさと、小松市よッ  だ。

では次章にて。






*       *       *



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