*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

< この本の ホームへ帰る >

< 前のページへ帰る >

< 次のページへ進む >



第 1 章  *  6 / 11 

< バックリベート、我が父の場合。 >



戦前の教育を受けた人間は、
飲み食いの接待を伝統的に
不正と思わなかった。
けれども金品の収受は
汚い行為とされていた。

我が父は大正四年に生まれた。
戦前の人間そのものだった。


*     *     *





< 我が父、久治良伊一のバックリベートについて。>


父の鉄工所の創業は、昭和二十三年。 1948年。 ワシの生まれた
年ではないか。

最初は、コマツ(小松製作所)の放出した、ベルト掛け旋盤二台から。 これの
一台が、東京は九段南。 昭和館の七階に展示されとる、あの旋盤じゃよ。


人間もそうだけど。 旋盤もまた、どんな運命に成るか? 判らんものだな。
あの旋盤が、まさか、昭和館へ行く なんて魂消たよ。 奇跡だよ。

詳しい事は、( 爆笑五十歳、歯学部へ行く )の五章の二段目に書いといた。
読んで呉れい。



さて、父の初期の仕事は路線バス。 定期分解でエンジンのクランク軸を
修理する。 あのクランク軸を削る仕事だぜ。

当時の軸受けは砲金(銅製)だ。 ベアリングじゃねえんだ。 使ってると磨り
減ってしまう。 孔が大きくなるから、ガタガタだ。

しょうが無 ( ねえ ) んで、軸の方を溶接で肉盛り。 旋盤で削る。
今から見ると笑い話みたい仕事だ。



クランク軸を旋盤に付けて回すだろ。 クランクの、えごえごを見てると、
精神状態がおかしく 成る。 本当だよ。

用心しないと、大怪我する。 クランク軸と旋盤に手を挟まれる。
初心者には、絶対、させていけない作業だ。 手を潰す。 片輪になる。


昭和三十年頃からだよ。 コマツがブルドーザーで大発展。 連れて小松
地方の鉄工所も、拡大に継ぐ拡大。

下請け工場の、取り合い合戦の時代だった。 高度成長期。 この語も、過去の
ものに成ったなあ。 若い人は語句を聞いても、実感が伴わない。



 *       *       *



あれは株式会社、K 機械だった。 工場長が M 氏だった。 父をコマツの社員 時代から知っていた。

うちの仕事をして見んか ( して見ませんか )? M 氏との出会いが、久治良
鉄工発展の、きっかけだった。


父は M 氏に可愛がられた。 当然、利益の出る仕事が、工場長の指名でウチ
に来る。 それは社員にも感じられる。

K 機械へ行くと、いやらしかった。 妬(ねた)まれたんよ。


その前に、M 氏である。 ご存命なら2009年。 九十七歳である。 氏は早
く に亡く なられた。 享年五十四歳。 飲み過ぎによる尿毒症の悪化。

工場長の在任中である。 久治良鉄工としては、およよ、でした。
嫌がらせの果てに、仕事を切られました。



  *       *       *



嫌がらせ、そのいち。 まるでその部品、明日にでも使う様な口調。 徹夜
して加工してく れ。 間に合わないんだッ

徹夜して持ってく でしょ。 その部品。 工場の片隅で一ヶ月以上、野ざらし。


こっちも負けては居れんから、入り口の近く、雨風の掛かる場所へ
置いとく んよ。

一ヶ月して K 機械が使おうとする。 錆( さび )で真っ黒だ。
すると同じ部品、またもや発注されて来る。 笑いました。



我が久治良鉄工は、確かに、M 氏のお陰で沢山の仕事を頂きました。
M 氏、亡き後です。

K 機械の連中は当然ながら、百円の部品が、二百円で出てると思ったのだ。
ところが久治良鉄工から仕事を取り上げて、別の工場でやらせて見ると、


単価が安く て利益が出ないと苦情が出る。 久治良鉄工と来たら、難度の
高い、あの三菱キャタピラーのブラケットを、1200円で加工した会社です。

他の会社が3500円で加工しても、ワシの工場より利益を出せたか?
怪しいのです。


同様に、K 機械の仕事も、M 氏のお陰で沢山来ましたが、単価は普通で、むしろ
安かった。

儲かると思って振り替えた工場が、文句言う位、安かったのです。



 *       *       *



K 機械は、久治良鉄工め。 M と組んで、ボロイ儲けを出してると思ったのに、
他社で加工させて見ると、儲からなく て返上する会社まで出た。

久治良鉄工が M 氏の死後、かなりの期間。 K 機械の下請けに留まって居られた
のは、この為です。 それともうひとつ、難度が高く て誰も出来ない部品が

有りました。 これは、振り替える先が無かったからです。



我が久治良鉄工が父の代から、如何に高い旋盤技能を持っていたかの証明です。
でもね、K 機械は、もっと早く に、止めるべきでした。

K 機械へ行くとね。 事務所も現場も嫌な感じでした。 長居は無用と思った
ものです。

それは M 氏が、或る意味、強引な手法で工場を管理してた事の、反動なんです。
それプラス、ワシの父も下手でした。 虎の威を借る何とやらを、しては、

駄目です。



M 氏は豪傑タイプだったので、周囲の反感は、押さえ込まれてました。 それが
急死でしょ。 その反発が全部、ワシの工場に来たわけです。

思い出しても胸糞の悪く なる嫌がらせが有りました。 M 氏亡きあとの K 機械、
何度も何度も経営不振。

嫌がらせの多い会社は、肝心の経営がお留守になる様です。 良く知りませんが、
おそらく 今は、コマツの管理下でしょう。



 *       *       *



嫌がらせですが、社員の平均年齢の高い会社ほど、嫌がらせも盛んの様です。 K 機械の社員の平均年齢も高かった。 ちなみに、コマツの平均年齢も高い。
すると、どうしても、意地悪な奴が多く なる。



< 蛇足の余談。 親会社の意地悪行為。>


K 機械は後にしましょう。 コマツ( 小松製作所 )の粟津(あわづ)工場です。
トラックで納品に行ったのです。 鋳造第二工場でした。

この工場はプラントごと、韓国の現代(ヒュンダイ)へ売却されました。 鋳造は
汚ない作業です。 若い人が来ないのです。 あんな仕事する人、居ないんです。


行くと、フォークリフトの空きが無い。 三十分も待たされました。
フォークは前を走ってるんです。 手を挙げても知らない振り。

こいつ、意地悪してんのか? ワシの待ってるの、見えるだろうに ・・・
この辺が、平均年齢の高さです。



スキを見て、丁寧に、お願いしますと、頼みました。 フォークの運転手、
ムスッとした顔で、こっちへ回して来た。

やれやれ、やっと帰れる。 喜んだのが良く なかったのか? フォークの運転手。
パレットを荷台から取る時だ。


フォークの車体を、トラックのバッタリにドカンッ 体当たりですよ。
バッタリが歪(ゆが)んでしまい、く の字です。 これじゃあ動かない。

バッタリ、降りたままでの帰宅です。 腸綿(はらわた) 煮えました。
フォークの社員は逃げてしまって、工場のかなた。

影も形も有りません。 トラック、パ ー に成りました。 恨み骨髄です。
コマツ粟津工場、第二鋳造工場めッ



 *       *       *



鋳造の仕事なんて僅(わず)かです。 粟津工場へ行くのは、年に数回ですか
ら、現場の作業者とは、何時まで経っても知らない同士。

フォークの運転手から見たワシは、いじわるしても良さそうな、ちょろい
お兄さんだったのでしょう。


コマツにはこの手の話が、多いんです。 社員の平均年齢の高い会社は
何処も同じみたいです。 その点、

ホンダ鈴鹿、良い若者、ばかりでしたね。 平均年齢が二十二歳。 十年経過
しても、二十二歳。 これもまた、問題ですが。



 *       *       *



もう一つは、やはりコマツの、小松工場。 プレスの産機(産業機械)から納品
の催促。 すぐ 持って行きました。

なのに夕方。 来てないぞッ



おかしい。 納品してる。 確認のため、また行きました。 するとです。
な、なんと、品物が床に投げ捨ててある。 涙が出ました。

それで、どうしたかって? タバコの箱に五千円札を忍ばせて、受け入れの
事務所に座っていた年配の社員に頭を下げて、ご挨拶です。

タバコの箱を、その方の胸ポケットに、すばやく 滑り込ませながら ・・・



これを先にしてりゃあ、何でもなかったのに ・・・ です。
この辺の気が、利かねえんですよ。 職人だから。



 *       *       *



コマツの小松工場では、も一つ、こんな事が有りました。 工場の入り口。
プレハブの、コマツ産機(産業機械)の、下請け共同組合。

と言っても、事務所の社員は全員コマツからの出向者。


仕事がある。 すぐ来てくれ。 電話です。 朝の一番でした。
トラックに乗って行きました。 電話の所長を、事務所の前で乗せて、

小松工場の中です。


簡単な仕事。 厚さ七センチ。 タテヨコ三百センチ掛ける六百センチの鋼材。
仕上げ加工は、社内でする。 荒削りだけ、君とこで頼む。

加工賃は、一枚千五百円。 何枚あるのか? 二枚です。 三千円の仕事ですな。
一時間の仕事です。



行く と材料は足元にある。 伝票を取って来るからここで待ってて呉れ。
言うて事務所に行ったきり、所長さん、待てど暮らせど音沙汰なし。

遅れて、すまんすまん。 と、現れたのが十一時半でした。 三時間の待ちぼ
うけ。 事務所で一人一人と、友情を確かめ合って居られたそうです。



まるで、おサルの、仲良しごっこみたい。 でも三時間は長く ない?
品物を積んで、工場に帰ると、みんなはお昼でした。

エライ遅かったな。 物凄い仕事か? 父の言葉が、嫌味に聞こえました。



 *       *       *



午後一番に仕上げて納品しました。 すると言われました。 早いなあ 〜 。
一個千五百円は出し過ぎだったかな?

トラックで帰宅したのが五時でした。 その日の売り上げは三千円でした。
諸君、これを、どう思いますか? こんな仕事に魅力を感じますか?


スーパーのアルバイトしてた方が無難です。 やっぱ、油を敷いて、美味しい
仕事をしなきゃあ、駄目です。

油を敷くとは正(まさ)に、親会社の担当者に福沢諭吉さんを渡して、
良い思いをする事です。


コマツの小松工場の腹いせに、(産機)協同組合の下っ端社員を、書きましょう。
全員、コマツからの出向社員です。

その下っ端がですよ。 お盆や、お歳暮の季節、下請け企業を一周しますとね、
最低二十万。 腕の良い方は、四十万。


ボーナスを集金出来ます。 下っ端がこれですからね。 所長がどんなも
のか? 押して知るべし ・・・ です。

悪い事してる人、敵を作ったら、お仕舞いです。 必ず、チクられます。
密告される。 内部告発される。



所長が、何故、伝票一つに、三時間も掛けて、事務所の一人一人と、仲良し
ゲームに励んだか? の理由。

判るでしょう。 経営者たるもの、企業経営から、人間関係を除去する方法を
考えないと、いけません。 人間関係ほどロスなものは無いのです。



人間関係ほど経費の掛かるものも無いのです。 人間関係ほど、手こずるものも
無いのです。 しかし人間関係は、販売の局面では、利用すべきものです。

それは人間関係ほど、余計な利益をもたらすもの。 他に見当たらないから
です。


下っ端の社員に、盆と暮(くれ)に、正規のボーナス以外に、二十万。 四十
万と集金されてる会社なんて、

スケスケ、ボコボコの会社です。 違いますか? 下っ端がこれですから、
幹部級社員の企業内企業家ぶり、押して想像下さい。



 *       *       *



我が父の場合を、話しましょう。


< 我が父、久治良伊一も油を敷く。 >


その前にね。 工場長だった M 氏が、五十四歳で死去してからですよ。
K 機械、次の工場長が決まらない。

誰も彼も、帯びに短し、たすきに長しで、スッタモンダ。 取り合えず
無難に A 氏で行こう。 と決まりました。


A 氏は工場長に成りました。 で、A 氏が何をしたか? です。
A 氏はね。 K 機械から発注されてる仕事の中から、

儲かる仕事をピックアップして、一切合財。 自分の息子の会社へ外注した
んですよ。


これ、いけないですよね。 社員が騒ぎ出した。 その結果、二年後です。
A 氏は、K 機械から追放されました。 たたき出されたのです。

でも、その二年間で、息子の会社は莫大なる利益。 無借金経営とは
成りました。


諸君、こんなのを、どう思います? これも企業内企業活動ですぞ。 企業の
私物化? ・・・ かも知れません。

呼び方は何とでも、よろしい。 そのたった二年間で、A 氏の息子、資産家に
成っちゃった。 現実は A 氏の勝ちです。



 *       *       *



しかもです。 平成二十一年。 西暦なら2009年の現在です。

K 機械の社長。 この息子なんですよ。 K 機械に如何に人物が居ないか、
と言う、なさけ無い証拠です。

ある意味、哀れな姿です。 社員は、どんな面(つら)してんだろう?
考えてしまいます。 恥ずかしいと思いなさい。



 *       *       *



父を可愛がってく れ、久治良鉄工の発展に寄与して呉れた M 氏は、かって
コマツ ( 小松製作所 ) の社員でした。

大戦中です。 コマツにも軍の派遣将校が来てました。 M 氏は何と、
二十代で、ですよ。 その派遣将校の接待役でした。


これを見ても、M 氏が只者では無い事、お判りでしょう。 まことに豪傑。
太っ腹。 痛快なる男子。

K 機械の工場長なんかにしとくのは、勿体ないような方でした。


奥さんがご病気でね。 まだ三十台で女で無くなったものですから、ワシの父。
週末になると、M 氏のお供して、温泉です。

毎週、毎週どっせ。 あれ見ててワシ。 敵わんなあ。 肝臓がいかれちまうよ
・・・ と。 羨ましいどころか、恐怖しました。



ワシの酒は、一人でチビチビです。 温泉で芸者を揚げて、飲めや歌えの、どん
ちゃん騒ぎ。

最後は女を抱いて、ドカーンと一発、ぶっ放して打ち上げにする。 そんな酒。 好きな方は堪らんでしょうが、ワシの趣味ではありません。

一日と、持ちません。



 *       *       *



今から思うと、父は単価で、ガッポリ取れば良かったのです。 見積書は
そのまま、何の審査も無く、M 氏が承認したんですから。

まともな単価でなく て良かったんです。 下請け中の断トツですから、
恨まれる。 どうしても恨まれわけですから、

しっかり取ってれば、良かったのです。



父の見積もりは、マトモでした。 M 氏の死後。 その仕事を他社に移すと
儲けの出ない工場が、大半でしたからね。

そんな単価で、我が久治良鉄工は利益を出したのです。 あの遊興費を
出して、まだ残りましたからね。



ある意味、すごい会社だったんですよ。 三菱キャタピラーの3500円の
ブラケットの難物を、1200円で旋盤加工したんですから。

不良品、一個も無し。 精度仕上がり文句無し。 単価三分の一で、ですよ。



三倍働いたんです。 あの大きくて重いブラケットを
機械に乗せては降ろし。 降ろしては乗せてますと、


夕方には、腕が上がらなく なります。 こんな頑張り屋で、腕のいい下請けを
出してしまった担当者は、馬鹿者です。

単価は三倍になった。 品質と精度は三分の一です。 三菱だから良かった
のです。 コマツだったら、受け取りは拒否されます。 あんな加工精度では。



 *       *       *



K 機械の M 氏は、紛れ無く、久治良鉄工を通じて遊びました。 しかし現金は
受取りませんでした。

その点、きちっとしてました。 絶対に受け取らない。 戦前派の美意識
ですね。


仕事を優先的に回して呉れて、加工単価も、父の言うままでしたから、父は
もう少し儲けても良かったのにと、悔やまれてなりません。

M 氏の次に工場長になった A 氏なんて、二年間で息子を、結構な資産家にしまし
た。 我が父は、やっぱ職人ですよ。



我が父にも、その手の才覚。 も少し有れば、ワシもこんな苦労、しなくて済む
のにと、毎日毎日、嘆いて居ります。



 *       *       *



M 氏が死にました。 K 機械の仕事が、切られました。

大変です。 工場の仕事が、スッポリ無く なるんですからね。
路頭に迷う寸前でした。

K 機械に切られて、従業員の仕事。 どうやって充(みた)すのですか?
M 氏の急死は、我が久治良鉄工の、大打撃でした。



父も暫く は K 機械にゴマを擂り、延命にこれ、勤めましたが、あれも嫌なもん
ですね。

ワシは殺されても、あんな事は、したく ないです。 追い詰められると人は何
をするか? と言う、よい見本でした。



従業員の半分、自分から出て行って呉れたのが幸いでした。 下手に赤旗など
振られたら、倒産でしたよ。

実はね。 二十台の後半。 ワシは三重県の鈴鹿に居てね。 ホンダ技研、鈴鹿
工場の裏です。 工場のボンボンが、何で三重県なんだ?



つまり M 氏の急死は、ワシの人生にまで影を落とした。 と言う事です。 恐ろ
しいものです。 お父さんのリストラで、

娘は高校を中退。 我が家は明け渡し? 両親は離婚? 朝の通勤電車の人身事
故はお父さん? お父さん、大丈夫ですか?

そんな感じでした。



 *       *       *



この段は長くなりました。 次の段は簡明に、行きます。

ワシの体験した、乗っ取りについて、書きます。




*       *       *


< 前のページへ帰る >  *  < 次のページへ進む >

< この本の ホームへ帰る >

< kujila-books ホームへ帰る >



* 


<  kujila-books.com  >