* 自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 ) *
< kujila-books ホームへ帰る > < この本の ホームへ帰る > < 前のページへ帰る > < 次のページへ進む > |
第 6 章 * 7 / 7 小松警察署の私兵化問題 < またまた問う、力は正義か? > * 事務長夫人・白江ユキ氏は己(おのれ)の信念を、 繰り返し繰り返し、ワシに言うた。いわく、 この世の中、どんなに正しくとも、 力の無い人は悪者にされます。 正義は力です。力が正義なんです。 力さえ有れば、人殺しをしても許して貰えます。 力は正義です。正義とは力なんですッ! 又いわく、 嘘を付くのは悪い事ではありません。 悪いのは力の無い事です。 力が有れば、世間は正しいと見て呉れます。 力です。この世の中は力の有る者が勝つのですッ! こぶしを握り締めて、いわく、 わたしには力が有りますッ! わたしには力が有りますッ! わたしには力が有りますッ! わたしには力が有りますッ! ワシ、この方、新興宗教の教祖にでも成ればと、 思わぬ事も無かった。 * * * |
白江ユキ氏の、人殺しをしても、力さえ有れば、許して貰えるとは、 田中角栄の運転手の、死亡事件を指して言ったのである。 その運転手は自殺として処理されたが、死に不審な点が多過ぎた。 自殺する人間が、車に付いた指紋を消すだろうか? など。 遺族からの、たっての要請とは言え、本来なら踏むべき行政解剖、 または司法解剖は省略され、 文字通り、あたふたと火葬に付された。 その辺を追求した記者は、 不審な死に方をした。 などなど。 白江ユキ氏、あざ笑いつつ、ワシに言うのであった。 ねえ久治良君。 こんな具合にね、 力を持つ人は、人殺し、してても、助けて貰えるの。 力が正義だっ て事、判るでしょ。 あなたみたい、学校で教えて貰った道徳と、この世の中の行き方は まるで違うのよ。 もう子供じゃ無いんだから、その辺の事、判らないと駄目よと、ワシ たしなめられた。 * * * < A 病院 息子医師の嫁の、おケツについて > この第六章の最初の段。 白江夫妻との決裂談判にて、白江俊雄氏の 言うた、A 病院院長の息子の話を、ご記憶か? 高校へ入学した年だ。 A 病院へも、看護婦見習いで中卒の女の子が 就職した。 二人は同い年。 直ぐに出来たそうだ。 その息子、医学部合格。 それ見た女の子の母親、そろそろ、せめて 結納くらい、 して頂けませんかと、父親の医師に頼みに行った。 父親の医師、ビックリ仰天。 息子に問い質( ただ )すと、単なる 遊び。 結婚なぞ、する積り無し。 女の子の母親、合点しない。 いや合点出来ない。 それじゃウチの 娘は、どう成るの? 父親医師を激しく責めた。 困り果てた医師、白江俊雄氏に救援を求めた。 この女を何とかして 呉れ。 白江氏は依頼に答え、その母親を何とかしたそうだ。 何とか、どう したのであろうか? * * * 小松駅からワシの自宅まで、近道すると A 病院の前を通る。 ある 晩秋の、寒い夕暮れ時だった。 冷雨が降って来たのに傘が無い。 よんどころ無し。 いつもは避け て通らない近道を、身を屈( かが )めて足早に歩いた。 A 病院は頑丈な、鉄筋コンクリートの二階建てである。 その病院の 二階の屋上に、 若い二代目医師の、住居が有る。 英語で言えば、ペントハウス。 Penthouse に住んでると言えば、お金持ちの意となる。 ふと見上げれば、女のケツが見える。 ケツは、こっち向きだ。 ガ ラス戸サッシの外、植木鉢の世話であろうか。 向う向きで腰をかがめた作業だから、ケツ( 尻 )ばかりが、こっち 向きで、顔は見えない。 ガラス戸の中、住居部分は如何にも暖かそうに、豊かさに満ちていた。 こっち向きの女のケツ、 夜目にも上等の生地と知れる、タイトスカートのケツだ。 丸い良い 形の尻( ケツ )だった。 ワシ思わず、ああこの女。 美人だろうなあと、呟いてしまった様に、 本当に形の良い、おケツだった。 * * * 中卒で就職した看護見習いの女の子。 こんな美形が相手では、勝負 に成らない。 ワシ、思わず足を停め、見とれて仕舞った。 そこへ靴音が近付いて来た。 コート姿の見知らぬ紳士だ。 カバン を小脇に、近付いて来る。 紳士の目玉、ワシと階上の女の尻( ケツ )を、素早く見比べておる。 ワシは誤解を避ける為に、歩き出した。 心には、いろんな想念が 渦( うず )を巻いて流れ行った。 失恋した見習い看護婦、今、何をしてるだろう。 生きてるのだろう か? 時々ここへ来て、ワシがした様に、階上を見上げてるのだろうか? あの女を見るのだろうか? 思う事多き、夜だった。 * * * A 病院の院長は死去しとる。 問題の息子医師が、二代目院長に就任 しとる。 この二代目医師を卒業名簿で見ると、ワシらの一年上ではないか。 小学校から高校まで同じである。 と言う事は、何処かで会ってる筈だが、顔は浮ばない。 会えば、あ あ、この人だったのかと、判るかも知れぬ。 この息子医師、今や小松市の名士である。 白江俊雄氏の話が真なれ ば、懺悔か供養のひとつも、有ってしかるべきかも。 最も、そんなセンチ、無用かも知れぬが。 * * * < M とは、宮下敏弘 である。> ワシが M に対し行動を起こしたのは、事件の数年後だった。 しかし 本当の目標は M で無い。 悪口を言い触れたのは白江ユキ氏である。 ユキ氏がタ〜ゲット なのだ。 反撃の手段のひとつとして、M を告発したのだ。 M こそ大迷惑かも知れぬ。 調停裁判の和解成立書には、今後、相互に人格を傷付ける様な言動を しないと、明瞭に記載されとる。 立会人の署名・捺印を含め、ワシと白江ユキ氏も、合意のサインをし てるのだから遵守せねばいかんのだ。 しかるに白江ユキ氏、裁判が結審したその日に、早くも、戸田志郎 先生の会計事務所へ同道し、言いたい放題に悪口を言うとる。 白江ユキが、余りにも自分に都合よき説明を、したものだから。 戸 田先生、思い余って次の日、ワシの工場へ足を運ばれた位だ。 その時、ワシが戸田先生にした説明は、既に書いた。 白江ユキは、この調子で T 書店の婆さんにも悪口を言い。 はた又 自宅の和裁教室にて、 和裁を習いに来てた娘達にも、悪口を言うておる。 * * * 言っちゃあ何ですが、悪口合戦なら、これ又、ワシの完勝なんす。 A 文書を、ここに出せば、読んだ方、ひっくり返ります。 そう言う情報が有るのです。 そんな問題をお持ちの方が、何の考え にてワシの悪口を、さえずられたか、理解に苦しみます。 この A 文書、白江ユキの悪口に対して、反撃の目的で書いたと言い ましたが、内容が内容なので、 関係者に配布しただけで、一般の方には、一切、見せてません。 そ んな事すりゃ、だんぜん名誉毀損です。 そんな情報なんですよ。 * * * 白江俊雄ユキ夫妻、この A 文書に激怒。 俊雄氏なんぞ、名誉毀損で 告発すると、怒鳴り込んで来ました。 それを考えて下さい。 書かれたら激怒せねばならん様な裏の有る家 の方が、ですよ。 人様( ひとさま )の悪口など、言うてはならんのです。 白江ユキ氏に至っては、出掛けて行って、他人様の家で悪口しとる。 常識で考えても、そんな裏をお持ちの方は、 悔しくても黙って居るものです。 そんな方が、常識も弁えず、人様 ( ひちさま )の悪口などすれば、 書いて呉れと、つついてる様なものでしょ。 で、ワシ、ご要望に答 えまして、書きました。 * * * 斯くの如く、悪口合戦しても、ワシの勝ちです。 いっその事、A 文書 を、ここに出したい位ですが、それは法的に無理です。 書けば、ワシのお手々、確実に後ろへ回りますから、書けません。 今から思えば、あの時点で、ワシ自身が、名誉毀損で、白江側を訴え るべきだったと思います。 白江ユキの悪口の証拠は、明白でした。 でもね、訴えれば事実の認 定が必要に成るでしょ。 そうなりゃワシに通報して呉れた、あの方々が、警察へ出頭せねば ならんのです。 証言が無いと、名誉毀損罪が立証しませんからね。 そこがネックで した。 わざわざ電話して下された方を、表へ出すのは やっぱ、憚( はばかられ )ました。 そんな事すりゃ、恩を仇( あだ )で返す様なものです。 よってそ れは、無理だと思いました。 だけど、向こうはワシの悪口を自由に言い廻っておる。 どうして やろうかと思案の末に、思い付いたのが、 小松警察署にて、出てもいない家宅捜索令状にてワシを吊るし上げた 刑事課長(当時)の M を、突破口にする作戦でした。 これはこれで、立派に犯罪ですからね。 でも数年以上のタイムラグ が有ります。 時効が成立しています。 だけど、これしか、攻撃点が無かったのです。 言わば旅順の、203 高地みたいものです。 これを知れば、真の攻撃目標が M で無い事、明白でしょ。 では以下にて、M を告発しようとして、どんな展開に成ったかの報告 をします。 報告のみです。 県警が相手して呉れませんでしたから、報告しか、 出来ないのです。 * * * まずワシは、石川県警へ電話しました。 電話番の女性、ワシの電話 を苦情係へ継ぎました。 苦情係のお巡りさん、ワシの説明を聞き、こう返事しました。 あのねえ久治良さん、私には久治良さんの言ってる事、本当か嘘か、 判断が付き兼ねますがね。 今のお話が、嘘であれ本当であれ、この件に関し、私は一切、動きま せんからね。 それだけは、ご確認下さい。 この件で、私は一切動きませんから。 このお巡りさん、まあせいぜい巡査部長でしょ。 だけどワシには、 明快なる対応の方と思われました。 最も、こんな方と議論してても時間の無駄ですから、電話を受付へ戻 して頂きました。 * * * < 野竹正直警部(当時)は愉快な方だ > 電話受付の女性の方、そうですねええ 〜 と長考の末、監察官室へ継 いで呉れました。 監察官、言うのは、警察官らの、けしからん行為を監視・監察する部 署ですから、こりゃ正解です。 出て来られたのは何と、ペッパ〜警部ならぬ、野竹正直なる警部さん でんしたと、ふざけて書くのは、 この方とのやり取りが、結構笑えたからです。 野竹正直警部、ワシ の説明を聞き終えるや、 頭を掻いてる感じで、いやああ 〜 弱りましたなああ 〜 。 アッハッ ハッなんすよ。 そんなあなた。 M と言えば、石川県警では偉い方ですよ。 私みた い、下っ端から見ると、上の上の上の上の、 ズゥ 〜 ッ と、ズゥ 〜 ッ と、ズゥ 〜 ッ と上の方 〜 の、上の 方 〜 の、遥かに上のほぉぉ 〜 の方ですから、 私みたい下っ端には、とてもとても、そんな方に対しは何もできませ んと、楽しそうにおっしゃるから、 ワシ、言うたった。 それじゃお宅さん、何の為に監察官を拝命しと るのですか? こう言う問題に厳正なる対処を、する為に在る、監察官では無いので すか? 今のご返事では、貴殿・野竹正直警部は、その任に耐えずとて、部署 変えを願い出るべきでは無いですか? ご返答、願いたし。 * * * と申しますと野竹正直警部。 てひゃははぁ 〜 、手厳し手厳し。 ( てきびし、てきびし ) 厳( きび )しいですなあ 〜 。 いやは〜参りました。 でもねえ 久治良さん、 そんな、人の悪事を穿( ほじく )るの、止めましょうよ。 悪趣味ですよ。 僕らはもっともっと、楽しく生きた方が、利口じゃ 無いでしょうか? そんな M だか H だか知りませんが、そんな事で、電話するの、 止めましょうよ。 人生には、もっともっと、すべき事が有るのでは無いでしょうか? ねええ、久治良さんッ! 人の悪事を追及するのは止めて、もっともっと人生を幸福にするよな、 そんな事をしましょうよ。 ねえ久治良さんッ! * * * これが野竹正直( 監査官・当時 )警部との電話である。 かなり笑 えた。 愉快な時間を有難う。 だけどワシが人事課なら、こんな人間は、即刻、部署替えします。 * * * < 安田武臣 石川県警本部長からの返事 > かって石川県警の本部長をされた 安田武臣氏、仲々に発明( はつめ ) な方でしてナ。 拝啓・本部長殿なるキャンペーンを張られた。 つまり石川県民の 皆様。 本部長のわたしに、言いたい事、ご意見など有れば、 どうぞどうぞ遠慮せず、申し出て下さいと言う企画である。 ワシ早 速、応募した。 小松警察署・刑事課の M に、出てもいない家宅捜索令状にて吊るし 上げられた事を、抗議したのだ。 安田本部長の直筆かは知らねども、手書きの文書が送られて来た。 今、手元に有るのが、それだ。 その下半分を、以下に公開す。 *********< 安田武臣本部長からの返信 >********************** 当時の小松署・刑事課長( M である )に関する件ですが、当時、 刑事課長は、白江家からの困り事相談を受け、 その一環として、関係者から事情聴取をした様であります。 その過程で貴方に対して適切を欠く言動があったとのことですが、 事実とすれば遺憾であります。 しかし、貴方が思われるような白江家との特別な関係や、金品の授受 と言ったことは有りませんので、ご了解いただきたいと思います。 私は日頃から接遇については、県民の皆様の立場に立って応接をし、 誤解を受けることのない様 強く指導しているところであります。 文面を読ませていただき、貴方の不幸な出来事に同情いたしますが、 賢明な貴方ですから、 過去の悪夢を忘却され、明るく幸福な生活をされるよう お祈りし、 回答といたします。 安田武臣 ( 以上、原文のママ ) *************************************************************** 上の部分を読て、ある方が文句言うて来た。 野竹正直とか、安田武臣とか、実名を出しながら、M の名を載せぬ とは、片手落ちでは無いか? むべ成るかなと思わるるので、あの時、小松警察署刑事課長だった M 。 平成九年頃に、能登の穴水警察署の署長を拝命した M とは、 宮下敏弘、その人であると、記し置く。 * * * < 広崎大三郎医師との話柄 > かっての広崎病院は、現在の広崎外科病院である。 広崎大三郎医師 は創業者。 なるほど如何にも、創業者らしき外見の方ではありました。 二代目が現在院長の 広崎晃雄医師。 この先生のご長男を、広崎圭祐 さんとは申す。 姓名判断など、されてる方なら、興味津々かと思われる。 初代から 順に三代目へ、 広崎大三郎 → 広崎晃雄 → 広崎圭祐で、これが何を意味するかは別 の処で書きますが、 創始者から息子へ。 息子から三代目の孫へ。 典型的な名前の連鎖 です。 興味深々です。 初代目から二代目、そして三代目へと、実に相応しい名前です。 これで四代目が如何なる名前と成るか、 待たれる所です。 * * * ワシ、ご縁が有りまして、広崎大三郎医師とは、酒の席に同席した事、 有りました。 本 < 爆笑五十歳、歯学部へ行く > の第四章の冒頭にも書いた如く、 広崎医師、夜の往診に行きたく無い。 事務長の白江俊雄に、代理させてました。 ワシ、それを、黙認して上げたのだから、広崎大三郎医師からも、 病院事務長、白江俊雄からも、それなりに、それなりに、 しかるべき感謝、あってしかるべきなのに。 それ所か、逆に、けし からん応対を受けた事、書いて来ました。 事務長夫人、白江ユキ氏なぞは、わざわざ出掛けて行って、ワシの 悪口など、されました。 広崎大三郎医師に至っては、白江俊雄の言いなりでありながら、裁判 の和解成立が、まるで自分の功績であったかの如き言動を、 なされました。 皆様、お口が上手いわ。 ですからワシも、遠慮する事、無いと思いますので、ズケズケ書いて 行く積もりです。 空手の言葉にも有るでしょ。 先に手は出すな。 しかし攻撃されたら、 死命を尽くせと。 * * * 広崎大三郎医師は、先の大戦中、( 恐らくその末期 )医師のライセ ンスを取得されました。 当時の学業は二年間の短縮過程だったそうです。 あの医学教育を、 わずか二年で教授する事、不可能です。 現在の看護士過程より、内容は少なかったと思います。 しかも当時は、卒業試験を国家試験と見なし、ライセンスが授与され ました。 国家試験を省略の、僅か二年の医者です。 前線に送る為の軍医促成教育ですから、注射とか縫合とかの戦陣医学 が中心で、実習ばかりだったそうです。 いよいよもって、どんな教育内容だったかと疑います。 ワシも五十歳から歯学部でした。 歯学部なんざ、情報量は医学部の 五分の一と皮肉られつつも、 座学五年、実習を入れて六年間。 あれを二年で習得するのは不可能 です。 * * * 人体解剖なんざ、お呼びも無し。 注射の打ち方と、包帯の巻き方な ぞを優先して学び、 生化学とか生理学とか病理学なんぞは、ぶっ飛ばす。 いわゆる戦陣医学の短縮形。 これで現在の医師と同等のライセンス の授与は、問題だと思います。 取り合えず准医師の資格など与え、戦後、正規の科目履修をさせ、 そこで改めて試験して、正規のライセンスを授与すべきでした。 ですから、あの頃、免許を取った医師は儲け者です。 ただし最前線に 送られて戦死した医師は、 折角の幸運も、パァ 〜 ですがね。 広崎大三郎医師は、そんな具合にして医者と成りました。 * * * そんな幸運な医師の中に、息子が医師の国家試験などで浪人してます と、息子が馬鹿に見えて馬鹿に見えて、 自分自身が馬鹿なのを、コロッと忘れて、息子に呆( あきれ )たり する医師が、居るそうです。 医師のライセンスを取ると、自分を秀才と思うのですナ。 ワシを見て下さい。 医師じゃなくて歯科医師の免許です。 なのに、 世の中の全ての人が下方に見えました。 歯科医師の免許でさえ、これですから、医師の免許なんぞ授与された 日にゃ、舞い上がる方が居られても、仕方無いです。 ワシ、生前の広崎大三郎医師に、酒の席ではありましたが、オイッ、 そこの、出来の悪い兄さんと呼ばれた事、有りました。 言っちゃあ 何ですが、この本の第三章の 土本寛二先生は慶応の医学 部卒です。 その下方に出る 分校久志先生は、 国立の金沢大学医学部卒です。 学校時代、ワシの方が成績良かったのです。 本当はそんな事、自慢 に成らぬのですが、日本では死ぬまで自慢出来ます。 ですから広崎大三郎クラスの医師から、そこの出来の悪い兄さん、 呼ばわりされる筋合い、御ザンセンです。 * * * 出来の悪いと言われたのは酒の席でした。 広崎大三郎医師が、酒臭い 息をワシに吹きかけつつ、こんな事を言ったのです。 なあ兄ちゃん、医者いう者はナ、肩が痛いとか腰が痛いとか頭痛がす るとか、そんな患者をいじっとると、儲かるんじゃよ。 ややこし患者は全部、上級病院送り。 そうやって患者にナ、おいっ そこの、くたばりぞこ損( ぞこ )ないメ、 なんて言うとると、患者がどんどん来て儲かるんじゃ。 * * * 恐らく広崎大三郎医師、こんな馬鹿話をワシにしたのは、友好の証 ( あかし )だったのだろうと思います。 酒の席らしい笑い声が続くと思ったのでしょう。 しかるにワシ、 その頃より、名にし負う変人ですから、 そんな与太話する先生をアホとか思い、失礼な事を言うたらしいです。 らしいと言うのは、酔っ払ってて記憶してないからです。 機嫌を壊 した広崎大三郎医師、先程の、 そこの出来の悪い兄さん発言に成ったらしいです。 ただこの時、白江ユキ氏が素早く割り込んで来て、広崎大三郎医師を、 よいしょしたので、話題が逸( それ )ました。 いわゆる事なきを得たと言う奴です。 後で聞きますと、ワシ、大三郎医師に対し、何か言い返したそうですが、 何と言い返したか、記憶しません。 よって残念ながら、書けません。 * * * この応答には裏が有りまして、日頃からワシ、白江ユキ氏から、広崎 大三郎一家の低脳振りを、吹き込まれておったからです。 白江家の三名のお子さんは、いずれも地元進学最優秀校の、小松高校 に合格してます。 しかるに広崎家の三名は、長男の広崎晃雄(医師)だけが小松高校。 あとの二人は、小松高校に進学できなかった。 これが白江ユキ氏の自慢で、ワシ、散々に吹き込まれてたものですから、 広崎大三郎医師の馬鹿話に会うや、 やっぱこの先生、評判どうりのアホやったのかと、思っちまった次第 です。 * * * この広崎大三郎医師、何かと言うと、わしは軍医をしてた、軍医をし てたと、誇らし気に言われた。 軍医だった事は事実らしいが、軍医と成り、戦地へ出征の為、日本国 内を移動中に終戦と、ワシは聞いておる。 でも、お話を聞く限り、その医学知識。 現在の看護士レベルより 下でした。 衛生兵に毛の生えた程度。 しかしそれで、先生先生と呼ばれて、 内科医が務まるのですから、 医師の免許って、なあにと、思います。 医学の素養なんぞ皆無の、 病院事務長の 白江俊雄が、 広崎大三郎医師の代理で、高齢患者宅へ、夜間往診に十年以上、数千 回以上往診して、別段、何の支障も生じてません。 白江事務長は患者宅で、高齢患者に、投薬や注射をしたのです。 それで、何事も無かったのです。 ワシが白江俊雄に、先生を呼ばねばならぬ事態は、無かったのですか と聞くと、 にんまりして、一回も無かったと答えています。 こうなると医学って何だ? 医師のライセンスに何の意味が有るのか? と言う疑問に、答えられますか? 白江俊雄の医学は見よう見真似です。 それで医者が務まったのです。 この事実の前に、医師のライセンスは負けます。 * * * 広崎大三郎医師の如く、あの時代、速成教育にて医者のライセンスを 取得した医師は、 ある意味、大変な幸運です。 しかしこれ、生きてての話。 折角医師に成っても、戦死なんかした 日にゃ台無しです。 ライセンスが簡単に授与されたのは良いとして、即日戦地です。 最前線の野戦病院勤務は、戦死率が滅茶苦茶高い。 或る意味、兵隊より高かった。 しかるに広崎大三郎医師、軍医と成 りて戦地へ送られる為に、 国内を移動してる間に終戦。 ド偉い幸運ですよ、これは。 * * * 戦争が終わり、広崎大三郎医師、次に何をしたかと言うと、昭和三十 年代初期まで有った赤線地帯、小松市は清水町辺の女郎街。 その女郎街の外れに、お女郎さん専門の性病検査所を開設され、保健 医と成られた。 ところがです。 広崎大三郎医師に、この話をすると。 子供みたいに、アアアアァァ ァァァ 〜 と声出されて、妨害行為。 その話はしたくないの意思を表明なさる。 ワシ最初、驚いた。 お女郎さんの性病検査医の仕事、そんな、人に 言えないような仕事でしょうか? 仕事に貴賎は無いでしょうに。 まして先生は医者ですよ。 この反対に、先生は軍医だったそうですねと言うと、今度は ニコニコ 顔に成られ、わしは軍医だった、わしは軍医だったと、 誇らし気におっしゃる。 だけど軍医は間違いなけれど、、二年間の促成教育ですよ。 医者と 成りて、軍医に任官しとるが、 実務は何も無い。 国内を移動中に終戦です。 なのに、わしは軍医だった、わしは軍医だったと、やたら公言なさる。 戦後長く務めた性病検査の保険医は、 無かった事にしたい感じ。 * * * うっかり、先生は性病検査の保険医だったなどと言おうものなら、 あらかさまに不快を示された。 ワシも最初だったので、要領、分からず、ついつい失礼申し上げた所、 さっそく先生の アアア ァァァ 〜 に、遭遇したわけです。 そんなもの、なんでしょうかね? お女郎の性病検査の保険医の、 何処が悪いのでしょうか? 人にも話せぬ過去でしょうか? 消せるものなら、消して仕舞いたい よな、そんな過去でしょうか? ワシが広崎大三郎先生なら、隠さない。 それにまつわる馬鹿話など しつつ、美味い酒でも飲み、愉快に回想しますよ。 女郎の性病検査の保険医の、何処がいけないのですか? * * * 健康保険など言う便利な制度の無かった頃、医者の最大の悩みは、 治療費の集金でした。 今でも集金が、悩みの種だと言う医師・歯科医師は、結構多いです。 現在は健康保険が在るので、全額、踏み倒される心配は無いけれど、 治療費、患者支払いの 30 %。 踏み倒す患者、結構、多いです。 これが自費治療だと、そんな与太話、わんさか有る。 これは又、別 の機会に、マトメてするとして、 歯科医師では、患者が代金を支払わぬ間、技工物、セットしません。 ところが歯科医師を実際にやって見ると、技工物がセットされてない のに、歯科医院へ来なくなる患者の多い現状に、 どう言う事かと、歯科医師であるワシ自身、首をひねるのだ。 患者、どうしてるんでしょうか? 別の歯科医院で作り直してるそうですが、妙な気分に成ります。 ある歯科医院で見ますと、 大きいダンボ〜ル箱に、未来院( みらいいん )と大書されとる。 みらいいんとは何じゃいなと、女の子に聞きますと、 技工物が出来て来たのに、患者さん、来院しないのだそうです。 じゃ、患者さん、ずうッ 〜 と仮歯ですか? そんな事、わたし知りません。 なにしろ未来院で放置された技工物 が、ダンボ〜ル箱に、一杯なんすよ。 あれにゃ驚きました。 * * * ワシの出た明海大歯学部付属病院は、休日祭日、日曜日。 歯が痛い と来る患者、一切お断り。 治療せずに追い返します。 踏み倒しが余りにも多いから、治療しないのです。 白江俊雄氏みた い便利な集金人が居ないから、踏み倒されて、 大学病院は泣き寝入りです。 それが余りに多くて酷いから、休日の 診療を止めたのです。 休日に病院の非常口の守衛室に居ますと、如何にも踏み倒しそうな 感じの男性患者が来ます。 守衛と押し問答の末、悪態付いて帰るまでの、三十分間。 なかなか のドラマです。 広崎病院でも、この手の問題、深刻だったそうです。 で、近所に住 んでた白江俊雄氏に、広崎大三郎医師、声掛けた。 白江氏は当時、日雇いなどして定職が無い。 だったら病院を手伝わ んか、で、採用です。 * * * 白江俊雄事務長は、役に立ちました。 集金なんざ天才的。 遂には 広崎医師の代理までして、黒いカバンを片手に下げ、 夜間、高齢患者の往診までした。 医師法違反は言うまでも無いけど、 医師から見りゃ、こんな重宝な事務長、そう居ない。 広崎大三郎医師が、夜な夜な、飲み歩けたのは、白江俊雄事務長の お陰です。 健康維持の為の早朝マラソンも、白江事務長の医師法違反が有ればこ そです。 だけどこれ、完璧に違法行為ですからね。 処罰は何も有りませんで したが。 * * * ワシは違法を全て知って、警察に電話しなかった。 広崎大三郎医師 や白江俊雄事務長は、ワシに感謝せねばならんのです。 よくぞ黙ってて呉れましたと、ワシの手を取りて、随喜せねばならん のです。 しかるに白江事務長夫人、ユキ氏の態度は、一体、ありゃ何ですか? それはワシに、真相を語れとの催促ですか? そっちがその気なら、こっちも負けておれんぞと書いたのが、この 第六章です。 * * * < こんな電話に、意味、有るか? > あの裁判の直後でした。 白江ユキ氏から電話が来ました。 ユキ氏 いわく、あなたは弁護士に叱られてました。 叱られてましたと言う。 なるほど、ワシは、和解成立の席で、林又平弁護士に叱られた。 白江ユキ氏に侮辱まがいの事、言われたワシは、 和解なんぞ中止して、本裁判に訴えたいと林又平先生に申したのだ。 すると先生、色を成して怒られた。 そして、こんな裁判は早く止めなきゃ駄目だ。 早く和解書にサイン しろと、 口汚くも、ワシを叱ったのです。 * * * 林又平弁護士、最初の内は、ワシの顔を見る度に、こんな調停裁判は 即刻止めて、本裁判で訴えなさい。 それをしない君は、世間知らずだ、世間知らずだと、耳にタコが出来 る程、言われた。 なのにある時点から、態度、一変。 まるで白江側の弁護士に、鞍替 えでも、なされたのですかと言いたく成るよな変身振り。 それからは逆転して、裁判を止めろ、裁判を止めろ。 相手が和解を 言うとるのだから和解しろと、正反対を言い出した。 かくて裁判の席で、ワシが林又平弁護士に叱られてたのは事実である。 だけどね、裁判の終わった翌日にだよ。 わざわざ電話して来て、あなたは弁護士に叱られてました。 あなた は弁護士に叱られてました。 あなたは弁護士に叱られてましたと、 勝ち誇った様に言うのも、如何なものかと思う。 少なくとも白江ユ キ氏は、和裁塾を経営しとるのだ。 市内の娘さんに和裁を教えておるのだ。 そんな方が、こんな電話を掛けて来たり、和裁塾の生徒さんに、ワシ の悪口を吹き込んだりするのは、 立場上、品位に悖( もと )るのでは無いでしょうか? 小松警察署の刑事課を、私兵に使う程の方だから、実力は認めますが、 どこか間違って居らぬかと思うのだ。 白江ユキ氏の力の使い方、何処かしら、間違っておると、 ワシは考える。 *************************************************************** この章の最後の話題と成った。 広崎大三郎医師が、まだ元気だった 頃だ。 息子の広崎晃雄医師が二代目院長に就任し、広崎大三郎医師は名誉院 長である。 そんな広崎医師と、電話で話す機会が有った。 その時だ。 三郎叔 父( 島隆三 )が、白江宅へ出入りしてる事を、フト、話題にした。 ウチの叔父が、白江事務長のお世話に成ってますと、嫌味を込めて言 うたのだ。 ところが広崎大三郎医師、ワシの言う、三郎叔父が分からない。 誰 だそいつは、などと言う。 これには驚いた。 三郎叔父に言わせれば、広崎医師とわしは、もは や、貴様とオレの関係だったのに。 大三郎医師、三郎叔父( 島隆三 )が分からない。 何じゃいこれは と馬鹿々々しかった。 * * * 散々説明した挙句、広崎大三郎先生、ようやく、オオッ 〜 あの介護 用品の店の オッチャンかあ 〜 ッ! と大声を出した。 いえね、介護用品の店は息子( 島亮太郎 )の経営です。 その父親 の三郎叔父( 島隆三 )ですよと説明して、広崎大三郎医師、 やっとの事、ああ、あのオッチャンかあ 〜 、あのオッチャンなら ウチの事務長( 白江俊雄 )が言うとったぞ。 尻尾( しっぽ )振って寄って来るから、使い走りに使ってますとな、 ア 〜 ッ ハッハッハッ! 三郎叔父( 島竜三 )も、広崎大三郎先生に掛れば、この有様だ。 ワシ、苦笑した。 この件を三郎叔父本人に話すと、叔父は苦笑しつつも、怪訝( けげん ) そうな顔しとった。 日頃は油断の無い叔父も、相手が医師だと何も言わない。 その何も 言わない叔父( 島竜三 )に、ワシは言うたった。 ヘッ、何じゃいその態度はと。 相手に依って、偉い違いやないかと。 ホンマ、相手に依って、養子に行った三郎叔父も、これだけ反応に 差が出る。 ワシは、こう言うのが、一番、嫌いだ。 * * * ワシ、五十歳で歯学部だったが、入学して驚いた。 世の中の人間が ことごとく、下方に見えた。 あれにゃ心底、驚いた。 歯科医でさえ、あれだ。 ましてや医学部。 ましてや医者である。 人が馬鹿に見えても無理からぬ。 広崎大三郎医師がワシを、そこの馬鹿兄さんと呼んだ事は、既に 書いた。 ボケナス兄さんとも呼ばれた。 こっちも負けてはおれぬので、何で すか医師法違反の先生と、やり返しておこう。 * * * 養子に行った三郎叔父( 島隆三 )にすれば、この裁判を仲介したの は、自分だと言う自負が有る。 仲介の際には、広崎大三郎医師と、対等に話した積りなのでしょう。 三郎叔父にすれば、これを機に、小松市の名士、 広崎大三郎先生の顔馴染みに成れたとでも、思ったのでしょう。 だけど、そうでは無かった。 広崎大三郎医師と電話で話しながら ワシ、苦笑した。 広崎大三郎医師から見れば、三郎叔父( 島隆三 )などは、尻尾振っ て寄って来る、犬に見えたのだ。 諸君、知るべし。 医師とか歯科医師は、根底に社会を見下す( みく だす )心情を秘めとる事を。 ワシみたい変則的な歯科医師でさえ、オレは歯科医師だ。 オミャァ 〜 等( ら )は普通の人間だと思とる。 ましてや成功して、世間の人から先生々々と、ちやほやされとる、 広崎大三郎医師クラスとも成れば、 先程の如く、あのオッチャン、尻尾( しっぽ )振って寄って来る犬 発言とは成る。 その広崎大三郎医師も、黄泉路の人とは成ったりけり。 この第六章、 生前の広崎大三郎医師に、見せたかった。 これを書きながら、残念で仕方ない。 * * * 事実は小説より奇なりと申す。 この第六章も、それに近くはないか。 内容、種々の問題を孕( はら )んどる。 我がホームページの方針に従い、登場の仁( じん )には残らず通知 した。 反論が来れば、ここに併記す。 ではここらで、第六章を閉じる。 * * * 最後に一言。 この第六章を書きながら、ロッキード事件の田中角栄 総理に対する、立花隆の位置に、自分を置いて見る。 ま、あれ程大きい問題でも無いが、やはり、小松警察署の刑事課が、 丸ごと白江側の私兵と成った点で、 書かれる価値は有ったと思う。 繰り返しに成るが、白江ユキ氏の裁判後の行動は、実に不味( まず ) かった。 あれが無ければ、この第六章も無かったのである。 *************************************************************** ではひとつ飛ばし、第八章( 井田建設の研究 )へと進む。 ( 次の第七章は工事中 ) |
* * * < 前のページへ帰る > * < 次のページへ進む > < この本の ホームへ帰る > < kujila-books ホームへ帰る > * < kujila-books.com > |