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 人生に免疫力無き方、読む事なりまッせん

第 3 章 * 1 / 12
明海大歯学部・問題教授列伝
< 故山本美郎歯学部長 >



山本先生の愛称は、モッサンである。
山本(やまもと)さんは、ヤマモっさんと成り、
その短縮形が、モッサンである。

ワシの創作ではあるが、上々の出来と自負しとる。

このモッサン、間違い無く明海大学歯学部の
中興の祖ではある。
これは何人(なんびと)も
否定出来ぬ事実である。

でもまあ何だ。この手の強力(ごうりき)の方。
そりゃ欠点も有るでしょ。
重箱の隅を突(つつ)くが如くして、
モッサンの欠点を告発するも
良いでしょう。

だがワシは、その道を取らぬ。
それは紙一重にて、
下司(ゲス)の勘ぐりに成るから。


*     *     *




< 山本美郎歯学部長の下半身問題を論ず。>



毛沢東は晩年でさえ、若い女を二人も抱えて、毎晩の如くセックスに
耽(ふけ)っとった。

だからちゅうて、モッサンの行為は弁解出来ぬが、少なくともワシ、
下司(ゲス)には成らぬ積り。

以下、そこを考えつつ読まれたし。




< 電話番の女の子まで知るモッサンの下半身問題 >



卒業してエンドに入局して直ぐだ。 鉢ノ木勝則君が、ワシに、こう
言うのよ。

久治良さん、山本歯学部長の東南アジアへの少女買春旅行を、どう
思いますかって。



前章で書いた如く、今なら、こう返事しただろう。 モッサンの買春
旅行より、鉢ノ木先生の大学備品のネコババの方が、

悪質じゃあ御座んせんかと。 そっちの方こそ問題でしょうに。



   *       *       *



これも前章に書いたが、鉢ノ木のネコババの件で、ワシは、東京は
代々木。 イクさん事、宮田侑(すすむ)二代目理事長の

事務所へ電話したのだ。 電話に出た女の子、声の調子から見て、
二十代と思われる。 平田です(仮名)と自己紹介した後だ。



聞きもせぬのにモッサンのうわさ話を始めた。 あの方、教授室へ
手術室で相棒の看護婦、引き込んで、セックスしてたらしいわよ。

二十代の小娘が、こんなことをワシに、ほざくのだ。 こんなタワケ
情報を、彼女の耳に呟(つぶや)いた者に、

災(わざわ)い有れ。



ワシはそんな事くらい、先刻、ご承知だい。 そんな下らぬ情報を、
誰が君に吹き込んだのか?

この質問には返事が無かった。



   *       *       *



表本(おもてほん)に書いた如く、モッサン、大歯(大阪歯科大)
卒業して京都府立医科大学の口腔外科から本学歯学部へ、

三十代の初めだ。 モッサンまだ独身である。 先生を強力に推薦
されたのは、当時補綴(ほてつ:入れ歯など)教授の、

柳生嘉博先生だった。



当時、創立間無しの我が歯学部の口腔外科、抜歯やっとのレベル。
癌の診断、とてもとても出来ません。

まして手術なんて、近くの埼玉医科大へ行って下さいの状態。 これ
では歯学部として恥ずかしい。



口腔領域の、どんな疾患にも対応して腕を振るえる人材を入れたい。
ってんで呼ばれたのが、モッサンである。

モッサン、その期待に120%、答えられた。 柳生嘉博教授大感激。
ご自身の娘を持ちて、モッサンの嫁とされたのである。



んだけども教授の娘さん。 あかんかった。 新婚早々、実家へ帰っ
て仕舞い。 籍はそのままだから、

法的には結婚状態なんすが、別居である。 これじゃお世辞にも
夫婦と言い難い。



山本教授、ある時、身近の人に、わしが癌に成ったのは、あの女房の
お陰だと、憤懣を漏らされたそうである。

そりゃそうでしょ。 教授の娘で無ければ早々に籍を抜いて、後妻
です。 だけどもモッサン、死ぬまでそのままにした。



と成りゃ、誰か、女房の代りが必要でしょうに。 それがたまたま
手術室でアシストしてた看護婦だったとしても、

誰が文句、言えますか。 その方、出来た方だった様で、モッサン
手術の時、患者から肝炎ウイルス。



ニ年程、その劇症化にて病臥(びょうが)した時は親身に、献身的に
看病されたそうである。

だけどこの方、亭主持ち。 お子さんがお三名居られた。 不倫と
言えば不倫です。



クリント・イーストウッドの、マジソン郡の橋、みたい物語です。



   *       *       *



故 西川博文教授、ワシに言うたものだ。 教授室に居るとだな。
電話来るんよ。

センセ、隣が、またやり出しました。 どうされますか? ってな。
ボク、コーヒー入れてさ。 それ持って行くの。



隣の、やまモッサンの教授室から、おんなのあの声が、盛大に聞こえ
て来るんだな。 なかなかの聞き物だったよ。

アハハハハッ
ってね。



   *       *       *



この時ワシ、思わず、Aはモッサンの子ですかと聞いてしまった。
たがそれは言下に否定された。 そもそも年齢が合わぬ。

モッサンが本学へ来られた頃には、Aは既に生まれてる。 ところで
問題は亭主が、これを知ってたのかだ。

亭主、別に離婚もせず、今も仲良く暮らしてる。



どっちでも良い事なれど、やっぱ気に成る。 倫理的には許されぬ
行為でしょうが、ワシ敢えて、大目に見たい。

むしろ鉢ノ木勝則君の大学備品ネコババの方を、許容し難い。



***************************************************************



表本(爆笑50歳 歯学部へ行く)の再掲なれど、モッサン、抜歯
レベルの本学歯学部口腔外科を、

今日(こんにち)の如き、日本の私大歯学部口腔外科の雄(ゆう)
に引き上げた功績が有る。



現在本学、第一口腔外科教授の島金こと、島田淳教授なんぞは
100%、完全に、モッサンの弟子である。

第二口腔外科の坂下英明教授も、石川県の金沢大学医学部口腔外科
にて修行とは言いながら、



モッサンの持続的フォローが有ったのだ。 そして、第二口腔外科の
教授選に際しては、

一端決定していた、当時助教授の鈴木正二先生の教授昇格を胃潰瘍
に成りながらも覆(くつがえ)し、



金沢中央病院、口腔外科医長だった坂下英明先生を、本学第二口腔
外科の教授に招いたのである。

これに付いてはモッサン、ワシに直接説明した。 鈴木先生を指導
された前教授、いわゆる創立時の教授。



口腔領域の全ての疾患に対応出来ない。 その弟子の鈴木先生も又
同じ。 それでは、これからの歯学部口腔外科を任せられない。

坂下先生は、金沢大学の口腔外科で修行されたから、口腔領域の、
全ての疾患に対応出来る能力が有る。



だからわしは万難を排して、坂下英明先生を教授にしたのだと、
モッサンは言われた。



山本教授はこの直後に、胃の不調にて入院。 癌の診断を受けて手術。
胃を中心に、一キロ以上の臓器を摘出された。

術後一年間の闘病。 見事に回復されて大学へ復帰。 その強靭なる
体力に我ら舌を巻いたものだ。



余計な情報れど、山本美郎歯学部長のお母さんは、35歳にて胃癌死
されて居る。

しかもお父さん、その3年後に、車にはねられたのか、飛び込んだ
のか、事故死。

ワシ思わず、そりゃ自殺にあらざるやと言ったものだ。



ちなみに解剖学の時岡孝夫教授のお母さんも、35歳癌死。 時岡
孝夫教授は71歳で闘病の末、死去だ。

山本美郎歯学部長は、享年61歳だった。



   *       *       *



< 山本美郎(よしろう)歯学部長は明海大学歯学部の、
                中興の祖でこそあれ。>



癌の診断さえ、ままならなかった明海大歯学部を、一人前の歯学部
にしたいの悲願にて招聘された山本美郎先生は、

その期待に、見事答えられた。 さらに島田淳教授を学生時代から
育てられ、さらには金沢大学医学部口腔外科にて修行されてた

坂下英明教授を呼び寄せ。



明海大学歯学部付属病院を、日本有数の歯学部へと成長させた実績は
銅像ものではなかろか。

死の直前まで学生の為に講義スライドを作り、大学のあり方に指針を
与えつづけ、睡眠時間四時間にて仕事されたのだ。



言っては何だが、あんな重労働したら健常人でも、どうか成る。
ましてや胃を中心に、一キロの臓器摘出の病人だ。

先生、も少し御自愛下さいと、言いたくも成った。



   *       *       *



ワシの五年次だった。 9月20日だと記憶す。 物部君に連れら
れて、山本先生のご自宅を伺った。

これ以前から取材したいと伝えてた結果である。 山本先生には、
毎日の如く、大学の関係者の来訪が有り、



ワシ如き雑魚は、中々時間が貰え無い。 やっとこで先生にお会い
出来た。

今から数えると、先生の死の百日前である。 死の百日前なのに、
山本美郎歯学部長の頭脳は、ワシより冴(さえ)て居られ、

いささか当てられた記憶が残る。



もっと驚くのは、山本先生。 あたかも来月は、大学に復帰するが
如き気分にて話された事だ。

人間、死の百日前でも、前向きに生きる人は、あんなものなんで
しょうか?



ワシの見て来た癌患者。 術後の余命は、皆さんグチャグチャ。
ワシの父が良い例だ。

祖父は胃癌だったが、父は祖父と同じ75歳にて、(結腸)癌を
発見され。 祖父はそのまま癌死なれど、



父の方は早期発見にて、内視鏡手術。 ポリプを切除して、一命を
取り留めた。

だけども、それからの父たるや、意識が昏迷した如く、わけの判らん
言葉を、しばしば吐いて、母を手こずらせた。



そんなのばかり見て来たから、山本美郎先生の最後たるや、こんな
最後も有るのかと言う希望でさえ有った。

物部君に依れば、その年の大晦日、いよいよ最期の山本先生。 わし
は、正月の三日に死ぬと宣言されたそうであるが、これは外れた。



死去は一月の十日であった。 ここに、ご冥福を祈る。



   *       *       *



山本美郎歯学部長は明海大学歯学部の内実を一変された、大功労者
である。

山本美郎歯学部長の、この大貢献に、誰が反論を成しうるか。 文句
の御座る方は因縁を付けてみよ。

不肖、このワシが対応す。



正(まさ)に、それ位に、明海大学歯学部に貢献された山本美郎歯学
部長だから、

下半身問題なんぞに、つべこべ言うなってえのッ



下半身問題を、あげつらう向きには、ワシから。 その根性は下司
(げす)であると申し上げる。

しかしながら、ワシの見る所、折角の山本美郎歯学部長の大貢献を
山本先生ご自身が、チャラに、しかねまじき事を、

なさって居られるのを、諸君は、なぜ見ないのか?



***************************************************************



実に残念だ。 山本美郎歯学部長は、ご自身の手にて、その最晩年を
汚されて居る。

以下にこれを、書かねばならぬ。



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< モッサンの、教授採用人事が良くない。>



山本美郎歯学部長の代に、病理学へ、新任の教授が来られた。 この
教授を、ここではA先生とす。

当時、万人の見る所、次期病理学教授は、准教授だった田島義文先生
と思われて居た。



しかし結果は日大歯学部病理学講座から、A先生が教授として赴任
された。

田島先生は、明海大歯学部、一期生である。 米国留学も有り、誰の
目も、次期教授確実と思われた。



結果、日大のA先生が教授に採用された。 田島先生の胸中の、
如何ばかりであったかは察するに余りある。

ワシ、当時、廊下を行かれる田島先生のお背中を拝し、健康の心配
した位に、落胆の跡が痛々しかった。



   *       *       *



ワシ、山本美郎歯学部長を良く知る同期の物部(もののべ)君に聞い
た。 彼いわく、

やまもっさんの言うには、あんな(田島)先生では教授は務まらん。
あれは悪い奴だと言われたそうだ。



そこでワシ、言うたった。 一体、田島先生の何処が悪いのかと。
教授が無理とは少しも思わん。

モッサンと田島先生と、過去に何か有ったのか?  それとも田島
先生の親分たる、前教授とモッサンとの間に、何か有ったのか?

しかし物部君、それ以上は何も言わなかった。



いずれにしてもモッサンの教授人事は怨念人事、復讐人事と、しば
しば言われる。

そんな評価が、何処までも何処までも付きまとう所に、モッサンの
最晩年が有る。



   *       *       *



卒後なれど、ワシ、入局したエンドの西川博文教授に、この件を聞い
て見た。

すると西川教授、次の如き説を披露された。



山本教授はね、日大歯学部から、歯科医師会の重席を手土産に付ける
から、A先生を明海大歯学部病理学部の教授に、

して呉れませんかと提案されたのよ。 山モッセンセ、それに乗った
のさ。 色んな説が流されとるが、みんな嘘だ。



山モッセンセ、歯科医師会で、もっと上の方の席に座りたかった
だけさ。

ホント、それだけの単純な動機で、Aセンセを病理の教授に取った
のよ。 それだけ。



ま、病理の前の教授とは怨念の仲では有ったがね。 田島先生が
どうのこうのってえのは後から付けた理由だと思うよ。

むしろ単純に、山モッセンセは歯科医師会の、もっと偉いさんに
成りたかったと見た方が、すっきりしないか?



この説が真実かどうか、ワシには判りかねるので、諸君ら自身で
考えて下されたし。

西川博文教授は生前、ワシに、かくの如き説を言うたと記して、
ここを終える。



強付言なれど、病理のA新任教授は、就任してからの講座内人事に
於いて、甚(はなはだ)しく不愉快な事例が有ったと記して

ここを終る。 詳細は病理、A教授のページにて書く。



***************************************************************



山本美郎歯学部長には、教授人事に関して、さらにひとつの問題が
残る。

それは補綴科(ほてつか:入れ歯、クラウンなど)の教授選である。



明海大の歯学部が新設された時の、最初の補綴科の教授は、柳生嘉博
先生である。

柳生教授、大阪から赴任の際、次期教授候補として、一人の弟子を
同伴された。

すなわち谷勅行助教授である。



なのにイクさん事、宮田侑(すすむ)理事長。 本学6期で東京医科
歯科大の補綴で講師にまで成られとった岡部良博先生を、

教授約束にて、本学補綴科へ呼んだのである。 教授約束で、である。



そこへモッサンが介入し、今の教授で、愛称がビッグリバー先生を
准教授に入れ、

結局、そのビッグリバー先生を教授に昇格させたのである。



   *       *       *



この間の有様は、小説・白い巨塔、どころでは無い。 もっともっと
ドロドロして、

見てて不愉快以外の何者でも無かった。 岡部良博先生ちゅう方は、
人脈の、沢山出来るタイプなので、



ビッグリバー新任教授の為(な)さり方に反発した補綴科の先生達は
大挙して大学を去ってしまわれた。

だから明海大歯学部の補綴科は、大学病院の治療水準を維持出来ない
までに、ガラガラの状態と成った。



   *       *       *



その後のビッグリバー教授の人脈の作り方を見ると、その弟子筋は
完全に子飼いからである。

我ら29期からもスタッフの先生に採用された者も出たが、そいつは
留年して上から落ちて来たよな学生であったので、

ワシらの目には、あんなのが採用されるのかと思ってしまった。



ビッグリバー教授の講義は、悪く無い。 いやそれどころか優秀で
さえある。 だが教授の人事政策には、反論す。

その、エゲツ無い人事にて、我が明海大歯学部に、非常な不愉快を
持ち込んだ事は、否定し難い。



見てて反吐(へど)の出るよな人事とは、あんなのを言う。



   *       *       *



山本美郎歯学部長の、最晩年の教授人事こそ、これこそ山本先生の、
議論の余地を残さざるを得ぬ問題、なのである。

ワシ、敢えて、山本美郎歯学部長に抗議する。 先生の折角の大功績
を、先生御自身の手にて、台無しにされたのかと。



山本美郎歯学部長の最晩年の教授人事の効果は、これからの明海大
歯学部に、ジワ〜ッと利いて来る。

もち論、良くない方向だ。 これが山本美郎歯学部長の、最晩年の
問題点なのだ。



ワシ、個人的には、山本美郎歯学部長に恩義さえ感じて居る。 ま、
平均的な人なら、こんな文章は書かぬだろ。

ワシが、敢えてこれを書くのは好き嫌いからで無く、主義に立って
書いたからである。



最晩年の山本美郎歯学部長、あたかも人格を変質させたよな、銭
(ゼニ)ゲバだった。

胃癌の再発で、死の迫られた方が日本歯科医師会の重席を求め、何の
為にゼニゲバするのか、理解に苦しんだ。



歯科医師会の重席なんぞ、死に際して何の意味が有るのか? 首を
傾(かし)げてしまう。

故 西川博文教授に依ればだが、モッサンの現金資産は、まあ4億位
じゃないかろかと申す。



さて、その金は遺産として、誰の所へ行ったのかが問題だ。 恐らく
あの看護婦のご子息へ渡されたのだと思うが、

ここから先は諸君にて推量願いたし。 晩年のゼニゲバにて、数千万
増額しただろうか?

はかなしはかなしと、言いたく成らないか?



***************************************************************



< 最後、山本美郎歯学部長の人物の大きさを言う。>



原稿が順序、逆列した。 山本美郎歯学部長は、外見、いささか
激しく、狭小の感さえ抱く。

ところが傍に有りて、その人と成りに触れると、これが大違いでな。
ちょうど京都の住居みたいだ。



京都の街中の家、間口(まぐち)狭く、せせこまし住まいと見えて、
玄関を潜(くぐり)て中に入ると、少し広めの部屋など有りて、

さらに奥へ進めば段々に広がり、何じゃいこれはと言いたく成るよな
広大なる邸宅と成り、



さらに奥へ進めば、広々として、最後は広大なる池を抱く裏庭へと
出る。

その庭たるや里山を控え、対岸の煙たる湖水には、野鳥など鳴いて、
道路から入りたる時には想像も出来ぬこの有様に、



客は肝を潰し、ただただ驚くのみにして、言葉を知らざるが如くに
成り終わるよな、山本美郎歯学部長の、お人柄なんである。



ワシ、有る時、口外の先生に言うたこと有る。 先生ら、モッサンの
技量ばかし学んどってはいかん。

モッサンの、あの大度量を見習えと。



   *       *       *



山本美郎歯学部長に付きては、これにて筆を擱(お)く。








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