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第 六 章 * 2 / 4 

< い、医者を呼べっ! と叫んだ、医者の話 >



< い、医者を呼べっ! >


これは笑ったね、ある医系の教授、アルバイトで開業医のところ、仕事して
ると、待合室の患者。 具合、悪くなり、目は釣り上がる、口より泡を吹く。

最後、床に寝そべってしまった。


さあ大変、待合室大騒ぎ。 受付の事務員、直ぐ外に出て、大声を出した。

先生! 先生! 大変です! 大変ですっ! 患者さんが、患者さんがっ!

院長、あわてて出てきた。 患者、からだ、わなわなとなり。 唸り声だ。

院長、一応は、助け起こしたけど、どうしてよいか、判らない。 思わず、
医者を呼べっ! 医者を呼べっ! と、大声を出した。


これボクの、十年前の話なんだけど、この先生と酒の席で会うと、あの時の話。
今も出るよ。

医者が医者を呼べ、だなんて、笑っちまうよな。


これを見ると、先に書いた事務長、無資格なのに偉いね。 お年寄り、よい
よいに成ってる所へ駆けつけて、全部治した。

医者を呼んだ事、一回も無いと言うから、立派だよ。


 *     *     *


歯科医師にも、有るんだ。 技工士の方が、上手かったりして。 ワシにも
そんな経験、有るんよ。 卒業二年目だったかな。 訪問診療の相棒。

高校へ行ってる、彼女の娘だ。

転んで前歯、折ったのだ。 結局抜歯、あと入れ歯なんだけど、


相棒の衛生士。 ワシと言う歯科医師が、横に居ながら、何処へ行ったと思う?
技工士の仕事場へ、行ったのだ。 印象から一本入れ歯の製作まで、

すべて、すべて、技工士のお世話に、成ったのだ! 歯科医師法、違反だよ!


ワシ、その娘の前歯。 入れ歯だと気が付くのに、二年掛かった。 彼女、
飯(めし)のあと、その入れ歯外して、コップのお湯で、洗ったのね。

それで判った。


ワシ相棒に、文句言ったね。 何で、ワシに、相談しなかったのかと。

彼女いわく。 先生、卒業二年目でしょ。 まだ、ちょっと頼めなくて。

でもだ。 もし、現在のワシが、それをされたら、ワシ彼女、破門にするね。
屈辱ですよ、これ! 歯科医師を差し置いて、技工士の所へ、行くなんて!


< あだ名、昔は人気のバロメーター。 今は、失礼な事! >


夏目漱石の坊ちゃん、見る人、聞く人、全てに渾名(あだな、仇名とも書く)
たぬき、赤シャツ、野太鼓、うらなり、山荒しと来れば、昔の我ら、ゾクゾ

ク、してしまう。 漱石の坊ちゃん。 ワシは十五回以上、読んだ。


大学で聞いてみると、読んでない者が大半。 今東光を知らんからな。 ト
ルストイの戦争と平和、ワシ、アランじゃないが、八回読んだ。


< アランって、誰の事? アラン.ドロンじゃ、無いの? >


アラン、ちゅうのは、フランスの文芸評論家じゃよ。 彼は、トルストイが、
戦争と平和、書くや否や、本を取り寄せて、読んだ。

余りに面白かったんで、繰り返し、八回も読んだそうだ。 トルストイは、
紛れも無き、文豪である。 なのに、ノーベル文学賞、貰ってない。

政治的、宗教的配慮。 働いたんだそうだ。 トルストイの神。 当時の権威
の神と、一致、してなかったのさ。


ノーベル賞が出た、ついでだ。 ノーベル経済学賞なんてのは、無いって事、
記憶したい。 世に言うノーベル経済学賞は、アングロサクソン(米英)と

ユダヤの、世界集金システムを、上手く運営する為の、戦略なのだ! だから
それに、都合の良い経済学に、毎年、賞を与えておる。

彼らは全く、世界を、ひっくり返す様な嘘(うそ)。 平気で付きよるからね。
ノーベル経済学賞は、ノーベル財団の近所の銀行。 紛らわしい名前で、出し

とる賞、なんよ。 財団が抗議しても、馬の耳に念仏。 蛙(かえる)のつら
に、しょんべん、なんよ。 かなわんね、あの手合いには!


入力の姉ちゃん! 分ったか?


 *      *      *


うちの大学の、図書館に有る岩波文庫。 あの程度は、ワシ、二十代前半で、
全てに、目を通しておる。

昔はこんなん、普通だったのよ。 日本文学全集、世界文学全集、角川文庫
新潮文庫、なつかしいの一語だ。 さて、あだ名だ。


漱石は四国で教員、してたから、坊ちゃん、その体験が、ネタ。 あだの主
(ぬし)と、された仁(じん)。 迷惑したそうな。 だけど、だ。


ワシらが学生の頃、あの先生、あだ名が無い! と言うのは、人望が無いと
同義語だった。 例えば、こんな会話。


おいっ確か、午後の英語。 担当は、ヒヒじゃ、なかったか?

そうだよ。 だけど、ヒヒ。 まだ暫らく、来ないぜ。

どうしてだい?

さっき、職員室の前を通って見ると、ヒヒの奴、えさ喰ってたからな。

何に、今頃えさを? それじゃあ、まだ当分、出没、せんわけだ。


てな会話、昔の学生、ことさらに、好んだものだ。



< ワシ、大学へ来て、さっそく、あだ名。 付けまくり! >


一年次のスペイン語だった。 狭い教室、半分寝てた。 ワシ、不図(ふと)
横を見た。 きゃわいい女の子、顔こっち向きで、おねんねだ。

あまりにも、可愛いかったんで、仇名一つ、進呈した。


眠れる森の美女!


だけど、只の美女じゃねえんだ。 マンガ、眠れる森の美女なんだ。 略して
マンガ。 これ、ワシとしては、出来の良い仇名ではないか? と思えたのに、

学生は乗って来なかった。 このマンガ、可愛いだけじゃ無い。
実習の、凄腕なんよ。 今頃、お父さんの歯科医院。 大車輪で、お仕事だ。


ある時マンガ、ワシに言ったね。 お父さんの歯科医院、わたしが継ぎたい!
彼女が、こんな事、言うのは、弟が居たからさ。

大丈夫、マンガなら出来る! Yes, you can. だ! マンガ、だっ!

マンガ歯科だっ!


イエス、ユウ、キャン! は、アメリカ。 オバマ大統領の、キャッチフレ
ーズだった。

マンガ。 ユー、キャン! だべ!


マンガに、前もって言っとくが、わたし、マンガじゃ、ありませんっ!

なんて、ありふれた台詞(せりふ)。 使うなよ。

後世に、残るような台詞、考えるんじゃ! 期待して、待ってるぞ!


 *     *     *


こんな具合に、歯科医師に成れば、ガンガンに仕事しそうな女の子、男な
んて、目じゃない女の子。 実習の凄腕、患者、任しといて女の子。

ゴロゴロ居るのが、医学部、歯学部の、特徴じゃないかな?


ある学生、ワシに言った。 ボクらの二十九期、一番は、あの子ですよ。

ワシも同感。 すると、君はどうなんだ? ボクですか? あの子のお尻、
触れたら良いなって、思ってます。

なんだ、なんだ? 情けないんだよね。 この頃の日本の男の子は!

お尻なんか触って、どうするんだ? どうせ触るなら、前を触らんかい!


久、久治良さん! きついですよ!


 *     *     *


男勝り(まさり)の女の子は、さて置いて。

今度は、首、傾(かし)げてしまった女の子。 書いてみる。


あれは新井先生の、コンピューターの授業だった。 グループで、作品を
仕上げた。 完成品。 フロッピーディスクに入れてある。

それを借りて来て、ワシ、自分のコンピューターに取り込んだ。 それを呼
び出して、いじってた。


そこへ女の子、咎める(とがめる)口調だ。 作品を変えないでください!
それ、仕上がってるんですっ!

ワシ、答えた。 心配ご無用。 オリジナルは、いじってない。 これ、こ
のコンピューターに取り込んだものを、呼び出して、いじってる、だけ。


この説明で、判るよね? なのに女の子、怒りも露わ(あらわ)。

オリジナルとは、関係ないのだと、ワシが、言っとるのに、この子、またも
や、凄い声で。 いじらないで下さいっ! 目になみだなんか、浮かべて。


ワシ、あっ気に取られた。 同じ説明を、繰り返した。 なのに、女の子。
いじったら、駄目です! 許しませんっ! 凄い剣幕だ。

諸君ら、どう思う? ワシ、オリジナルはいじってない。 この姉ちゃん、
どんな理解力、してんだい?


そこでワシ、女の子より凄い声で、この馬鹿野郎の、イモ女(おんな)めっ!
と毒付いて、オリジナルのフロッピーを出すと、彼女に向かって、突き出して

ほらっ、持ってけ泥棒! と言ってやった。 この子、フロッピーを手にした
まま、涙ぐんどるやないか。 ワシ、馬鹿馬鹿しさの余り、ため息も出なかっ
た。


この時のイモ姉ちゃん、仇名では無い。 ワシの悪態だ。 それにしても、こ
こ、歯学部だぜ。 何んちゅう理解力だ?

ワシ、夢でも見てるんかしら?


 *     *     *


この子、工作は、いまいち。 ある先生、彼女を見て、おそらく料理、下手だ
と思うね。 ワシも、下手だと思う。 こんなわからず屋。 脳みそを、改造

してから、出直して来い! 改造しないうちは、歯科医師の臨床、させては、
いかんぞな、もし。


蛇足を一つ。 田舎に居た時だ。 工場の前、広い空き地。 近所に大きなマ
ンションビルが有る。 そこに住んでた女の子。 山登りの仲間だった。

ある日、彼女来て言った。 会合があります。 車チョット、置かせて下さい。


ああ良いよ。 と言ったらだ。 な、なんと、三十台以上の車。 敷地にビッ
シリだ。

これじゃあワシの車、出せないぞ。


その日から、週に一回、この有様だ。 ワシ、女の子に言ったのよ。 ここ
有料駐車場なんよ。 年間、三万円で貸している。 あんたは只だ。

金出してる人に聞かれたら、悪いけど、年に五万円、払ってますって、言っ
てくれる? 只(ただ)だと、文句、言われる。


女の子、ワシをじっと見つめてから。 そんなお金、払えません! いえ、
金は払わなくて結構なんよ。 ただ払ってると、口裏合わせて下されば良

いんです。 なのに女の子、なみだに潤(うる)んだ目して、そんなお金、
払えません!


ワシ、少し、カッとなって、誰も払えとは言ってないでしょ。 口裏、合わ
せてくれと、頼んでるだけでしょ! 大声になった。

なのに女の子、そんなお金は、払えません! の一点張り。 金を出せとは
言っておらんだろ? 何を、聞いてるんだ! 君は!


ワシ、思わず、怒鳴り付けた。 車はもう、停めるな! 一台でも入れたら、
ぶっ壊すぞ!

女の子、それ聞いて、泣きながら、帰って行った。 でも諸君、イモ姉ちゃ
んと言い、この女の子と言い。 理解力。 チョット可笑しいんじゃないの?

それとも、ワシが可笑しいんだろうか?



イモ姉ちゃん、卒業まで、隔意(かくい)有る目で、ワシを見続けた。

医療倫理の教授、何とかしてくれよ。 議論の出来ない世代だから、ウルト
ラマンが来て、頭から命令しないと、駄目なんだ。

これを書きながら、ワシ、何回考えても、自分が可笑しいとは、思えんぞ!


 *     *     *


< 日本人の育児下手。 最大は、豊臣秀吉よ!
           息子の秀頼。 正体不明の、ボクちゃん! >


埼玉県、坂戸市、鶴ヶ島市の辺りを、

車で走ると、至る所、幼稚園なる物に、出くわす。 幼稚園。
園児が事故に会わぬ様、出入り、絶対出来ない、厳重なる檻(おり)で

囲ってある。 あの中は、ウルトラマンの支配する世界、なんよ。


ワシらが子供の頃、大人なんて、全く居ない場所で、子供だけの世界。

子供による、子供のための、子供だけの自治が、本当に実行されていた。
大人が、まったく居ないんだから、何事も、子供だけで解決しないと、

済(す)まねえんだよ。


だからと言うて、別に、どうって事も無く。 むしろ、そんな世界だった
からこそ、幼稚園では、絶対に出てこない、個性ある、指導力のある、喰

えねえ野郎が、輩出したんだ。 ガキ大将、腕力が一番の子ではない。
子供なりの人望が、有ればこそ。 みんなが彼を、ガキ大将と、認めたんだ。


昔はねえ。 子分を二十名ほど引き連れて、村や町を睥睨(へいげい)し
てた、偉い子供親分が、結構、居たんだぜ。

当時の子供。 三歳に成ると、兄貴や姉に手を引かれ、町内の、子供の世
界へやって来る。


その子。 魅力ある、ガキ大将の振る舞い。 ワクワクしながら見て、育っ
たのだ。

現代の子供、こんな経験、絶対にしない。 出来ない。 今時(いまどき)
町を行くと、子供は大抵、親と一緒だ。

子供だけの群れなんて、見ないなあ。 必ず、大人に導かれた、子供の群れ
だ。


我らの頃、五歳になれば親なんて、頭から、消えてしまった。 仲間の世
界で、一杯だった。 スポーツでも、仕事でも、何でもいい。

良い仕事をすれば、仲間に喝采された。 ヘマをすりゃ、笑われた。
お母さんは違うのね。 子供、どんなヘマしても、拍手する。

褒(ほ)めて育てるだと? 何かと言うと、すぐご馳走だ。 ご褒美のケ
ーキ、やたらに貰える。 これじゃ、まるで、子犬だよ。


現代の幼稚園で育った子供と、大人の居ない世界で、ガキ大将の振る舞い
を見て育った子供。 同じ日本人でも、別人種ほどの差が、ある。

大学時代、ワシ、若い学生に、昔の子供の世界を話したけど、彼らは理解
しなかった。 実体験が無いから、理解の仕様が、無いんだよ。


彼らの理解する番長。 マンガから得た、番長のイメージなんね。 昔の
ガキ大将には、一種の、美意識が有って、全てはその、美意識に従いて、

解決された。 それが全面的に正しいとは言わんが、日本人の精神的骨格。
その辺に、起源してたんよ。


昔の我らの、頭上に有った。 この美意識。 完全に消滅した、みたい。


 *      *      *


実習を一人でして、誰にも触らせず。 残りの全員、見学なんて風景。
三十年前の日本では、見れなかった。 今や、普通の景色だ。

そのお一人が、大抵、女の子だから、いよいよ驚きだ。 ワシ最初、ここ
本当に日本なのか? 疑ったくらいだ。


頭上の美意識が、無いから。 おいっ! 一人で実習なんて、汚いぞ!
と言っても、何の効果も、無い。

昔なら、お前は汚いぞ! と言えば、オレは汚くなんか、ないぞ! と反発
して、大抵の者は、公正に成ったものだ。


この頃、お前は汚い! なんて言うと、お前は臭い(くさい)! なんかと
同様。 イジメの台詞(せりふ)に、成っちまうんだな。


三十年で、日本は、大変化だ。 人間、成長期の文化と、違う文化で、晩年
を生きる。 苦しくて、不幸だね。

でも、これが現実なんだから、変化した文化の中で、死ぬまでは、生きなきゃ
いかんわい。

これを、ニャロメと言わずして、何をニャロメと、言うんだい?


 *     *     *


< あだ名、仇名、渾名、徒名。 これ全部、あだな。 >


落合先生は、おちやんである。 錦野(にしきの)君は、二ッキーだ。
時岡先生は、トキが来た、だし。 故山本歯学部長は、モッサンだった。

学生ながら、あだ名、教授と呼ばれた彼。 慶応の、ある有名な教授と、
同名だったから。 あの、モラトリアムの教授だよ。


ワシらの二十九期も何んだが、他の学年にも、愉快なあだ名。 いろいろ有っ
た。 いわく、

番長、おっさん、若大将は、加山雄三、そっくり。 でも無(ね)えかな?
我が二十九期では、貴公子が居た。 こいつは、札付きの二枚目。


この貴公子。 白衣に身を包みて、診療室。 さっそうと入室すれば、女
の子、どよめいたね。 歯科医師の顔は、商売道具なんよ。

成功してる歯科医師。 良い顔、してるよ。 歯科医師、顔で成功するからな。
これ、本当よ。 これに雰囲気が、加味されれば、鬼に金棒だ。


 *      *      *


ワシの付けた仇名。 数々ある中で、流通したのは、もみけん、くらいかな?

もみけん。 もみ上げの、良く似合う、けんちゃんの意。

将来、歯科もみけん! が開院するかも、知れない。

カリフォルニアは既に、書いた。 そうだ、忘れてた。 社長令嬢ってのが
居たな。


学生の名簿、見ると、お父さん。 医師、歯科医師は、さて置いて。 会社役
員とか、単に会社員とあるが、よくよく聞けば、会社員。 会社の社長、だっ

たりする。 その中で、彼女のお父さんだけ、会社社長に成っていた。 よっ
て彼女。 社長令嬢。


この愛称、学生達、かなり愛用した。 会話に彼女が出ると、社長令嬢! 社
長令嬢! と、みんなで言うんだ。

すると次の年。 彼女のお父さんの職業が、会社員になっていた。

彼女、気に病んだな。


だけど、手遅れだった。 学生達、その後もずっと、彼女を言う時。

社長令嬢! 社長令嬢! 社長令嬢!

卒後五年。 みんな三十歳。 それでも社長令嬢、言うと、ちゃんと、通ずる
から、凄いよね。 社長令嬢!

これじゃ、六十歳になっても、社長令嬢で、通じそうだぞ。


 *     *     *


< 歯科医師は、資産家に成る、ひとつの、ルートか? >


大学の六年間。 ワシに面と向かって、ボク、億万長者になります!
見てて下さい。 と言った者。 実に五名である。

この内の二人くらい、本当に、億万長者に成りそう。 実際は、どうであ
ろうか? 将来が、楽しみだ。


ところで、諸君らの中に、こんな人、居ないか?

ボク、金持ちの娘と、結婚したい! または、さらに進んで、金持ちの娘と
結婚する!


君自身が、その人かも、知れん。 ワシの、これまでの人生に、実に四名。
このセリフを、面と向かって、ワシに、吐いた。

四名の内、一名が、本当に、成功した。 嫁さん、地方都市、明治以来の大
工の娘。 所有する土地。 数十億円分。 付いて来た。 と言うか、彼、

婿(むこ)養子だから、そう言う娘に、入り込んだ。 んで、しょうな。

今は、昔と違うから、彼、養子なのに、亭主関白、しておるよ。


彼は、サラリーマンなんよ。 大工は出来ない。 跡は継げない。

婿養子で結婚するなり、家が建ち、嫁さんは学校の先生。 彼は四十歳で会
社の取締役。 家には莫大なる資産。 その上、夫婦共働き、高収入。

言うこと無いね。 ある時ワシ、彼の家に立ち寄った。



応接間、四面の壁に油絵だ。 まけとくから、一枚、買え、だってよ。

おい資産家君! と、ワシ、言ってやった。 そこまで商売、すんなよ。
その油絵の由来。 ある美術商が倒産した。 社長から救済の指示、彼に出た。


倒産した会社、同じビルにある。 彼、出掛けて行って、半年で黒字にした。
やっぱ、何ですな。 伊達に金持ちの女を、引っ掛けた訳では、無いのだ。

金持ちの娘を、物にし、今また、倒産した美術商を、半年で救済した。 こ
れ、彼の実力かも。

だけどね、倒産のドサクサに、美術商の商品。 油絵、日本画、掛け軸やら、
何やら、トラック一杯、ネコババしたのは、いかがなものか?


ワシに買え、言うた、油絵ばかりじゃ無い。 家の奥の床の間へ行くと、
我らが店で買えば、一本、一万円の掛け軸が、床の間の地袋に、ぎっしり一杯
だ。

これだけで、二百万は有るぞ! それでも、再建した美術商。 今や地方で、
屈指の名門。 売上高、物凄い。

ねこばば、しても、文句、言えない。 文句の有る人、それじゃ君、美術商、
再建してみろ。 言われて、今の売り上げ、君は、出せるか?


 *      *      *


凄いのは、県内、一流の芸術家、陶芸家。 盆だ、暮れだと言って、油絵、
日本画、壺、皿の焼き物。 掛け軸、置物、黙っていても、わんさか、届けて
来るんじゃ!

いやあ、ホンマ。 大変なもんですわ。 そんなに持ってるんなら、ワシに
一つ、寄こせ、言うたら、壺一つ、呉れた。


彼の家で、芸術家の舞台裏、垣間見た心境。 あれ見て以来ワシ、美術品は、
絶対に、買わん。 買って堪るかっ! の気分です、ハイッ。

芸術家も、陶芸家も、流通業者、美術商に、頭が、上がらんのだ。 まさに、
ヘイコラしとる。

油絵や、床の間の置き皿が必要なら、彼を脅迫して、せしめるに、限る。
倉庫、一杯、持ってるからな。


 *     *     *


金持ちの女と結婚したい君、参考になったかな? 我が二十九期にも、大
資産家と言える、金持ちの娘。 何名か居た。

中には彼氏を探してる向き、居ない訳でもない。 彼氏の条件、当然、シ
ビアだぜ。

君が、それにクリアーする自信があるなら、ためしに挑戦してみては?
男が、金(かね)目当てに結婚する、逆玉。 悪くないぜ。

ただし、苦労するぞ。 間違い無く。


< 桜咲く、六年次の四月。 歯学部での、最期の春だ >


来年の三月(次の年より、二月)、実施の、歯科医師国家試験に向け。
テスト、テストの毎日が、始まった。 国立大なら学生任せ、自主勉強の
み。

私大は、各校、マチマチだ。 カリキュラムも違う。


我が明海大歯学部、山本歯学部長の時、六年次の生活を一変させる。 大改
革を実施した。 年間、通算、三十回のテスト。 毎週毎週が、テストだ。

猛烈さ、予備校をしのぐ。 ハード.スケジュール、そのものだった。


これを見た古い先生。 ボクらの頃は、秋にテスト、三回。 年明けに卒試
して、それで全部だったなあ。 君ら、大変だね。

大変なのは学生だけではない。 大学の苦労も、並みではない。

我ら二十九期、担当主任は病理学教授、言わずと知れたドカベン。 テスト
問題の担当は、補綴学教授、ビックリバーだ。

この愛称は、ドカベンが付けたんだぜ。 もっとも、ドカベンは、ワシが
付けた。


これに加えて、今の歯学部長。 当時は教務部長の、中嶌材料学教授の御三
名。 一年間の難行苦行、我ら学生と共に、耐え忍ばれた。

ところで、その年の国試作成委員会に、我が明海大からは、二名の教授が出
ておられたが、学生の便宜。 試験問題を、チョロリと漏らす、など。


まったく無かったぞ!


真面目も、場合に、よりけりだ。 学生の評判、すこぶる悪かった。

これは前年、国試問題、漏洩で、世間が騒いだもんだから、二名の教授、び
びったからに、相違いない。


 *     *     *


国試が終わった席で、ドカベン。 この一年、皆さんも大変でしたが、ボク
らも本当に、本当に辛んどかった。 本来の仕事の他に、君らの世話だろ。

君らの世話、してるだけで、一日が潰れちゃう。


それにね、君らの合格率の重圧。 じわっと利いて来るんだ。 あたまの上
に、重石が乗ってる感じ。 一年間、寝ても覚めても、合格率。 合格率だよ。

ほんとに、凄いストレスでしたわあ。 正直、ヘトヘト、クタクタです。
お陰で、髪の毛、こんなに薄くなっちゃった。 に、学生、大爆笑。


ビック.リバー教授。 講義して実習の面倒見て、患者さんの治療して、大
学院生の世話をして、自分の勉強と研究があって。 さらに、その上に、毎週

毎週。 二百題の、テスト問題の、選定。 身体、もたないよ。

我ら学生。 ありがとう、ござんした! 師の恩は、山よりも高し。 海より
も深し。 ですわ。 ホンマ。


 *     *     *


ここで忘れていかんのは、学事課だ。 学内には、くたばれ学事課! なん
て標語。 無い訳でもないが、我ら最終学年、

学事課には、一方ならぬお世話に、成った。 縁の下の力持ち。 テストの
プリント、全部、学事課。


 *     *     *


キャノンの印刷機に原稿ポン。 印刷機、発火する程、フル回転。 なにしろ
全ての印刷物。 学事課の責任だ。 キャノンの担当だ。

百二十名分のテストプリント。 手押し車、一杯ですよ。 口の悪い学生。
紙資源の無駄使いだ! 使用した紙。 太い大木(たいぼく)。 何本分のテ

ストだったかな? なんて、詮索は、この際、止めよう。



それにしてもキャノンのコピー機、よく働くねえ。 ワシも大学に残った年、
講義のプリント、印刷しろと、回って来る。

オリジナルの原稿。 コピー機に入れて、スイッチ、ポン! だかんね。
百二十名分が、スーッと出てくる。 すると、学事課と言うより、キャノンに

感謝、すべきかな? まあ、良いじゃない!


学事課のみなさん、本当に、本当に、有難う、御座いました!

キャノンの皆様、素晴しいコピー印刷機。 有難う、御座んした!



< A先生、ワシに命じた。 A子の嬌声を、止めさせろ! >


嬌声と書いて、きょうせい、と読める人、何人居るかな? 読めても意味
解るかな? ワシ、臨床実習と言うと、何時でもこれを、思い出す。

A先生は、補綴だ。 その日、患者少ない。 チェアー、がら空き。


男の子二人、女の子一人。 A先生の所へ来て、暇ですから、スケーリン
グの相互実習。 しても良いですか?

先生、ああ良いよ。 三人、隣りのチェアーでスケーリング、始めた。


これが、なんとも、五月蝿いんだ。 女の子、キャーキャーと、はしゃいで、
大騒ぎ。 常識にハズレとる。

ワシ、A先生のアシスト、しとった。 先生ワシを見て、言った。 久治良君
A子に嬌声を上げるの、止めろ!  と、言ってくれ。


ワシ、思わずプーッと噴出した。 きょうせい、だなんて、先生、古いな。
すぐ立って、彼らの所へ行き、A子じゃ無しにBに、五月蝿いぞ! 言うと

静かになった。


 *      *      *


このA子、おもろい子でね。 アシストしてると突然、居なくなる。 オイ
オイ、オイッ! どこへ行くんだ? どこへ行くんだっ!

彼女、後ろに廻って、仲間と一緒に、ワーッワーッ、キャーッキャーッ!
大騒ぎ、やらかしておいて、しばらくすると、またアシストに戻る。


この戻り方が、ふるってた。 彼女が消えたんで、代理の男の子、アシスト
しとるんやで。 A子、その男の子と、治療してる先生の間へ、スーッと、

身を入れるんじゃ。 男の子、うへーっ! と成って、後ずさる。 A子、
このようにして、ごく自然に、また、アシストを始めた。


我ら、後ろで見てて、あっけに取られたよ。 何んちゅう、替わり方じゃ?

A子の根気。 三十分が、限界なんね。 ホンマ、おもろい子やったな。


 *      *      *


ところで補綴、助教授が三名、居られた。 その中の、ひと方が、教授に成ら
れると、他の二人。 沢山のお弟子さん、もろともに、学外に去られた。

おかげで補綴、ガラガラになった。

この辺の風景。 山崎豊子の、白い巨塔。 目じゃ無いぜ。 小説の書ける人
書いてよ。 ネタは、ワシが出すから。


 *      *      *


大学の人事。 本当に、嫌(いや)ですねえ。 歯学部長の山本先生にも、
この問題の責任。 無いわけでも無い。 教授の選任。 歯学部長に有る。

ワシ、山本先生が亡くなられる、五十日前。 確か、十一月末だ。 ご自宅へ
お伺いして、お話を聞いた。


ちなみに先生の命日は、翌年の一月十日。

先生との会見、四時間だ。 テープを座卓の上に置き、録音して聴いた。


不思議だったのは、先生の話し方だ。 この先、ズーッと生きる人の感じで、
話された。 死期が迫ってる気配、まったく、無いのね。 あれ不思議だった
な。

人間って、あんなものかしら?


だけど後で聞くと、親しい者には、わしは、やがて死ぬ。 言われたそうな。
テープを前にされたんで、気負ったんかな?

これからの大学を、どうするのか? 激しい意欲で、語られた。 五十日後に
死去された人とは、とても思えない。


 *      *      *


ワシの父も、ガンだったけど、ガンの人、みんなヘナヘナに、成るのね。
山本先生、元気な者より元気で、意気軒昂、頭は冴え冴え。

ガンに、こんな人も居るんだ! ワシ、勇気が出たよ。 ワシががんに成っ
ても、山本先生の様に、頭、さえざえと、行くかな? 大いに疑問だ。

死にとう無い! 死にとう無い! 言うて、見苦しいとこ、見せるんじゃ無
いか? 有りえるなあ。


諸君等もガンに成ったら、山本先生みたいに、冴え冴えで死を迎えようよ。
なんて、人には言いながら、ワシ自身、きっと、ヘナヘナだよ。


 *      *      *


君ら、読んだ事有るか?  本 * キュープラー.ロス著、 死ぬ瞬間。
彼女、最初は評判、悪かった。 ハゲワシなんて、言われた。 つまり、

死を題材に論文を書く、死をネタに本を書く。 それで、儲ける。
死に群がる、ハゲワシや、ないか! 言われたんよ。


なんでも、初めての人。 嫌がらせを、受ける。

時間を置いて、彼女の著作、世界的に読まれた。 我ら歯学生、倫理の
時間の、必読書だった。



この本の事。 別の場所に、書いとくので、読んで下さい。

彼女に拠ると、ガンに成った人。 恨(うら)んだり、絶望したり、希望した
り、夢想したりと、いろんな段階を経て、結局、死を受け入れ、ざるを得ん。


死は、全ての物を、押し流してしまう。 喜びも悲しみも、金も女も欲も
得も、何もかも、全部、押し流してしまう。

死は、全てを、浄化する。


死ぬのは判ったが、死に方、と言うもの。 別に有ってね。 ワシ自身は、
前にも書いたごとく。 醜く、汚く、死んでやろうと、心に決めとる。

死にとうない! 死にとうない! 言うて、生に、いつまでも、いつまでも
執着し、見取った看護師にも、あんな死に方だけは、嫌ねと、言われるような

死に方、してやるぞと、心に決めとる。


かっこ好く死のう、なんて、思うから、おへんのや。 ワシは、い汚(ぎ)
たのう、死にまっせ!

期待して、見てて下さい! 変な期待、ではあるが。


美しく、苦しまず、ポックリ死ぬのは、難しい。 だけど、見っとも無く

死ぬの、簡単でーす!


 *      *      *


アホな事、言うとる間に、この段も、終わって仕舞った。 一段、終わる
毎(ごと)に、ワシの人生も、一歩。 墓場に、近ずく様に、思える。

死は、必ず来る。 必ず来るけど、そこを何とかと、人は、思うのね。
結局、死ぬんだけど。 それを判ってても。 それでも、なお、

死にとう無いんよね。 何んとか、成らんものか? と思うのだ。


では、次の段へ、進もう。



*      *      *



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