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第 一 章  4 / 7 

< 口腔外科坂下英明教授、唇顎口蓋裂を講義した >



< 唇顎口蓋裂(しんがくこうがいれつ)とは何か? >


唇(くちびる)の癒合不全を、唇裂(しんれつ)と言う。
顎骨(あごのほね)の癒合不全は、顎裂(がくれつ)である。
口蓋(こうがい)の癒合不全なら、口蓋裂となる。

日本での発生率は、新生児五百人に、一人。
喜びと不安の入り混じる、出生の瞬間。 細胞の集合体である我ら。

避けられない宿命のひとつ、唇顎口蓋裂。 細胞分裂のミス、五百分の一。
健全な両親から、この確率で発生する。


妊婦は、タバコ、紫外線、X線の被爆を避け、発生の確率を、上げてはいけ
ない。 講義は、我らの三年次であった。 内容、読者に裨益(ひえき)する
所、大と思う。 教授が入室された。 雑談を止めよ。 講義が始まる。



< 第二口腔外科坂下教授の講義 >


子供が生まれるとねえ、親はまず、何をすると思う?
指を数える。唇(くちびる)が裂けてないか、見る。

心臓は、ちゃんと打っているか? 内臓反転、有るしねえ。 鎖肛(さこう)
は、肛門が無いんだ。 先天性胆道閉鎖症は、黄疸になる。 髄膜腫(ずい

まくしゅ)は、脊髄の一部が出ている。 クローゾン病かどうか、見とく
必要がある。


前回、唇顎口蓋裂は、総合治療しないと駄目だ、と話したね。
でも、行われていない。 理由は簡単、お金にならない。

それからねえ、子供が好きで、この治療に進む先生、居るんだよ。 でもね
子供、先生を見て泣くのね。 熱意で治して上げようと、してるのに、
泣かれると、気持ちがシュンと、なっちまう。

先生のこころ、冷たくなる。 燃え尽きちゃうんだ。


自分を叱咤激励しつつ治療、するんだけれど、つらい。 本当につらい。
それにだよ。 手術してもだよ。 患者さんの有難うに、成らないんだよ。

本、出てるだろ。ご両親、見るんだよ。ウチの子、こんな風にして下さい。
言うんだよ。

教科書、見てくれ。 阪大、宮崎の口腔外科学だ。 写真有るだろ、数千件
手術して、一番良いの、出してある。


そりゃあボクでも、良いの有るよ。 本、良いとこだけ、出してある。
ご両親、そこが判らない。 この手術、ヤッパ我慢してもらいたい部分、
有るんだよ。 むしろ、そっちの方が多い。

なのにご両親、もっと良くなる筈だと、思ってしまう。
この先生では、駄目だと考える。 東京へ行くしかないと、思ってしまう。

こうなると、新興宗教の世界だよ。
東京へ、東京へ、東京はメッカだ!


ボク、金沢で仕事してただろ。(金沢中央病院 口腔外科)
東京に呼ばれるんだ。 唇顎口蓋裂の手術だぜ。 行くとね、患者さん、
ボクの金沢の、患者さんなんだ。

無駄してるなあと、思うよ。 でもね、唇顎口蓋裂の手術は、気持ちの問題。
ご両親の、心の問題なんだ。


 *      *      *


特に、お母さんだ。
これが、一番の難問だよ。 お母さんはねえ、我が子に責任、感じちゃう。
子供の為、何かしないと、自分の気持ちが納まらない。

こんなお母さんと話して居るとね、わたし、この子に五百万円、使いました。
なんて、おっしゃる。

わたし、この子を連れて、東京へ二十回、行きました。 手術は五回してます。
なんて、おっしゃる。 お子さんの口の中見ると、オヘッ! だよ。
なんだこれっ! だよ。


手術はねえ、侵襲(しんしゅう)なんだよ。 跡、必ず瘢痕(はんこん)に成
る。 お子さんの口の中、瘢痕で、ガチガチだ。 これ治そうとして、また
手術。 いよいよガチガチだ。

君等の中で将来、口腔外科へ来て、唇顎口蓋裂扱う人、一人居るか、居ないか
だろう。 普通の歯科医になったら、こんな患者さん、大学病院へ送ること。

相談されても、話に乗ってはいけない。 遺伝も、無いワケじゃ無い。
遺伝の問題、タッチしたら駄目。 深みに、はまる。


面白いのはね、ご主人の系列に唇顎口蓋裂の人いても、たいした問題には、
ならない。 なのに、奥さんの側に一人でも居るとね。 いついつまでも、

責められて、奥さん、身の置き所、無くなる。
不公平な世界だ。


 *      *      *


唇顎口蓋列は、欠損障害であって、奇形では無い。 この、お子さんはまず、


 * 審美障害、起こるはわな。特に、第一子の時、お母さんの心の問題、
   大変よ。第二子、案外なんともない。

 * 哺乳障害が有る。さし当り、これが一番の問題。口の中、陰圧にならん
   から、お乳(ちち)吸えないんだ。成長、遅くなる。死亡率高くなる。

   ボク、二週間目の赤ちゃんに、ホッツ床入れる。(ホッツ床とは、裂部
   を塞ぐ、入れ歯みたい物)

 * 少し成長すると、咀嚼障害が起こる。裂の関係で、歯列が並ばないから、
   噛めないよ。
   矯正医にタッチしてもらわないと、何も出来ない。


五百人に一人、嫌でも生まれてしまう唇顎口蓋裂。 この大学にも、一人か
二人、居る筈だ。

原因はね、多因子なんだ。 遺伝、もちろん有る。 しかし有意に多く無い。
薬剤の影響、放射線の影響、タバコも考えられる。 女の人、妊娠中は禁煙
しろ。 毎日吸っていると、禁煙しても十年、残る。

海外じゃ、健康産業でタバコ吸ってると、アホと見られるよ。


薬剤じゃステロイド、鎮痛剤、ウイルス感染も疑われる。 風疹パニックあっ
た。 風疹は、心臓に重篤な子が、出る。 唇顎口蓋裂の子、多い。
つまり原因は、多因子なんだ。


 *     *    * 


統計上、五百分の一だから、君等も結婚して、子供出来て、唇顎口蓋裂の
赤ちゃん持つ可能性、有るからね。
お母さんが四十台の出産、オーダーが一桁(けた)上がるよ。

生活の中から、原因を除去する努力、無駄だと思うなよ。 特に妊娠初期だ。
口蓋裂、昔は胎生七週での、癒合不全説。 最近は、中胚葉の発育不全説。
今のとこ、テストに出るからね。


外科の手術なんて、解剖と薬理と生理を勉強して、ハサミが切れて、糸が
結べりゃあ、誰にでも出来るものなの。

ボク学生時代、あんま器用でなかった。 それが今じゃ、口腔外科の教授
して、連日、手術手術だろ。 必死でガンバりゃ、こう成れるのよ。
君等、安心して良いよ。


さて口唇裂だ。(口びるだけの、断裂)
完全と、不完全が有る。
赤唇部だけの、ちょっとしたヘコミ。

こんなのを切開して直すと、返って文句言われる。 こんなお子さん、
連れて来られたら、ご両親にキツメに言うんだ。 ビビッて他所(よそ)へ
行っちまう。 そこが狙い目だ。


こんなのを手術すると、ハマルこと有るからね。
治した積りが、返って酷くなる。 それ直そうとして、もっと酷くする。

痕跡程度の唇裂、いじるとヤバイ。 たいてい、文句来る。
完全唇裂、やり易い。

五百人に一人だからねえ。 病院に居て、こんな事ばかりしてると、世の中
のお子さん、全員、口唇裂じゃないかと、思えちゃう。 気が変になる。


それから有名な先生、弟子が沢山集まる。
そこの患者さんの中に、顔の左右で、仕上がりの違うのが有る。 これ一つの

問題だ。 弟子にやらせないと、修行にならないし、やらせりゃあ、やらせた
で問題だし。

インプラントと同じだよ。
ボクは、やらせない主義。きっちり最後まで、ボク一人でする。責任を持つ。


弟子には、経験つませた上で、簡単な手術から、完全に任せる。
もちろん最初は、アシストする。 ヘマの責任、ボクだもの。

弟子半分、ボク半分の、混合手術は、しない主義。 色々批判、有るけどね。
弟子の育て方、先生によって違う。


< 講義はさらに、続く >


さて唇顎口蓋裂の治療だ。オーバー、テン、ルールを記憶。


 1 手術は、生後10週以上。此れより早いと、体力が不足だ。
 2 体重10ポンド(6Kg)以上、がまん、我慢!お母さん、待てないのよ。
 3 ヘモグロビン、10g以上。


以上三つ、待つことだ。 我慢しろと言う事。 なのにお母さん、我慢出来な
い。 インターネットで周産期外科(生後すぐの外科)、見つけて行く。

生まれてすぐの赤ちゃんに手術。 親は喜ぶけど、余りに小さい子。 サイズ
的なズレ、大きい。 仕上がり十年後、良くない。


そこで又、手術。 その手術あと消すのに、また手術。
がまんした方が、良いのにねえ。 お母さん我慢出来ない。

後で、後悔するのに。
こんな具合に、オーバーテンで見て行く。


次は術式。
日本じゃ、華岡清州(はなおかせいしゅう)が、唇裂の手術してる。
十二世紀頃かな、琉球大国の王子様、この手術を受けたそうだ。

最初は切って縫い合わせただけ。 これ直線法。 ローズトンプソン法だ。
術式の進歩は、見た目を良くしようと言う努力。 レ.ムジェルの四角弁法。
テニスンとランドールの三角弁法は、今でも在るよ。


クローニンのは、小さい三角弁法。 うちの山本歯学部長は苦労人だから、
クローニン法。 笑はなくて良いんだよ。 誰も笑わなかったけどね。下手な
駄洒落でご免ね。 (教授、なぜか照れて赤い顔)


さて、クローニン法で唇裂の手術、出尽くしたと、思われたのに、ミラードが
回転伸展法を発明。これ大進歩だ。

最近の主流、ミラード法の改良型。
ミラードさん言うのはねえ、アメリカ軍の軍医だった。 朝鮮戦争でこっちへ

来た時、朝鮮の赤ちゃんの唇裂、なんとか助けて上げたい一心で、工夫した方
法だよ。


アメリカ人、この辺がスゴイな。 新世界を開いちゃう。
日本人だと、叩き潰される。
術式、他にも有るけど、国家試験的には、この辺まで。

こんな具合に、片側唇裂の術式、ほぼ完成だけど、両側唇裂の手術は、
まだ、改善の余地が有る。


両側唇裂はね、真ん中の口びる、ダンゴみたいに突き出てる。
見た目、良くないよね。だけど、これを切っちゃあ駄目なんだ。

切るとね、その時は良いよ。 十年後、組織が足りなくて、陥没してしまう。
これ御両親に説明するんだけど、何回説明しても、判って来れない。


十年後の有難うが、待てないんだ!

十年後に良くなる術式で、手術して上げたのに、下手だ! と言われる。
そうじゃないって言うのにっ! 

十年後の成長を見越して、組織を残してるんだと、
どんなに言っても、御両親は、合点しない!

東京ですよ。 東京の開業医へ行って、切り取ってもらう。
上口びる、真直ぐになる。


名医だ! とお母さん言う。


でも十年後、組織足りない。 上唇が縮んでしまう。
そこでやっとお母さん悟るのだ。 手遅れだけどね。

こんな風に唇顎口蓋裂、お母さんの待てない気持ちとの戦いだ。
お母さん、ギルテイ.シンドローム(罪の意識、症候群)になっている。

この子の口びると鼻を、五回手術しました。 なんて言うんだよ。
この子の為に、お金を使いたいんだよ。


東京まで行かないと、気が済まないんだ。

お子さんの中学時代、高校時代に、何回もいじる。
メスが入る度に、そこ瘢痕でガチガチになる。

医者を転々とすれば、医療機関によって、思想が違う。
方針に、統一が無くなる。 もう滅茶苦茶だよ。


唇顎口蓋裂の世界は、新興宗教の世界だ!

御両親の気持ちが、一番の問題に思える。
もうお仕舞いの時間、だな。 口蓋裂は来週にしよう。

これの手術、あとあとの機能障害が大きい。
口唇裂が、審美手術だとすると、口蓋裂は、機能手術だ。

手術の時期やタイミングを、成長に合わせる必要がある。
鼻咽腔閉鎖不全(びいんくう、へいさふぜん:のどの奥が上手く閉じない)
が有ると、発音に問題出るしね。 言語発達の問題だよ。


この手術は、早くても遅くても問題だ。
手術の瘢痕(はんこん)が、上顎の成長を阻害するから、顔面の形成に
問題が出る。 歯列、並ばない。

とにかくだ、長期間、一つのコンセプトで見て行く必要が有るんだ。
長期間だから、一人の先生では、済まない。 先生から弟子へ、バトン
リレーで患者さんを診て行く事になる。


小児歯科、矯正歯科の先生にも入ってもらわないと、何もできないしね。
長期戦だから、患者さん達の、心のケアーも必要になる。

とにかく、チーム医療だ。 長期医療だよ。
君等で興味を感じた人は是非、口腔外科へ、来て欲しい。


< ホッツ床とは、何か? >


今日は、ホッツ床の話して、止めようかな。
スイスのマーガレット.ホッツさんの、発明だ。 ご主人との共同研究。

唇顎口蓋裂の患者さん手術すると、上顎の成長、阻害される。
これを防ぎたい一心での発明。

ボク、生後二、三週の赤ちゃんの印象、取ったこと有る。 君等、するなよ。
救急救命道具を横に置いて、印象を取るんだ。 ある時赤ちゃん、呼吸困難

になってね。 正直、青くなった。
想い出すと、今でも冷や汗が出る。


今の日本、唇顎口蓋裂の総合治療、行なはれていない。
金に成らないから。

開業医が大金取って、この治療、してるけど、長期のホローは、しない。
持ち出しになるから。


明海大も私が来てから、患者さん、多く来られる様になって、手術件数は
増えたけど、本気で取り組んだら大学、潰れちゃう。

それ位、儲からない世界なんだ。 でも、患者さんの気持ち、痛いほど判る。
患者さん来られると、何とかして上げたい。
出来る限りの事してるけど、長期戦だろ、大変だよ。


それに全力尽くしても、どこかで妥協してもらはないといけない世界だ。
ここで御両親と、意識のズレが生ずる。 ムズカシイ世界だよ。
こっちの身を、正して行くしか、方法の無い世界だ。


本日、ここまで。また来週ね。


 *     *     *


次段は、ドキッとする話だ。 イヤな人、治療してもらえないんだゾッ!
学生、演壇に出て、イヤな人は治療しないって、明言すんのよー。
あなた、どうする?




*     *     *


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