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* 池明観(チ・ミョンクァン)




< 池明観は、典型的両班思考の人だ >



池明観の著作を読むと、この方、李朝期の両班の思考法そのままなので、
興味を覚(おぼ)ゆ。

完璧までの観念的世界観とでも申しますか、李朝末の両班が肉体的所作
一切を軽蔑して、奴婢にやらせた当時の両班的心情が、

池明観の文章からは滲(にじ)み出る如くです。



両班は肉体的所作一切の軽蔑ですから、職人技(わざ)など当然ながら、
常人階級から奴隷層の仕事。 李朝は階級社会。

両班は自分の階層以下なら殺しても所事物を分捕るのも自由で、池明観
を読んでますと、その頃の両班の気分、

きっとこんなだっただろうと思えます。




韓国民族の面白い所、私が上に書いたような客観的な見方、絶対しない。
そんな分析は、ご法度の空気。

日本人は分析しますので池明観の思考法、遠慮無く解剖します。 この
方も民族史観の、いわゆる学問的ファンタジー史観。



そのファンタジー性を何故(なぜ)客観視しないのかが、韓国朝鮮が近
代化する為に避けて通れぬ問題の筈なのに池明観も姜在彦も

金両基も趙景達も、絶(たえ)て客観視しません。 韓国問題を研究す
ると、それが不思議でなりません。

申し合わせた、みたいです。



そこを客観視しない限り韓国も朝鮮も百年かかっても日本に勝てません。
だから私は彼らの学問研究を亡国学だと言うのです。

では本文にて。









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