*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 4 章  *  ワシの同級生賛歌

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< 林利行君は、周恩来か? >





トンビがタカを生む事なし。芋のつるに茄子( なすび )は
生( な )らぬ。
林君を見れば、お父さんが あんなに偉い人で、お姉さんが
あの徳川家康の、山岡荘八夫人だろ。
つるが違うんよ、つるが。

林利行君とは小松高校時代の一年と三ヶ月足らずの付き合いなれど、
記憶に残る事、百年の知己の如し、って奴だ。

京大経済から近鉄百貨店。五十五歳と言う大事な年齢の時に、
近鉄百貨店の馬鹿者どもは、林君を K サポートなる
人材派遣の子会社に、出向させて仕舞った。

ワシの高校一年時の大予言、会社四季報一番乗りは林君だッ
を、見事、反故にして呉れました。
この場を借りて、お恨( うら )み申し上げます。

この段でワシ、近鉄百貨店にケチのひとつも、ほのめかしつつ、
我らが林君に、エールを送ろうかと思う。
彼の仕事振り、昔と一緒みたいに見える。

昔とは高校時代の事ですよ。あの頃の林君、みんなの世話しながら、
少しも目立たない。実に上手く運営しながら、普通の顔しとる。
林君は、そんな奴でした。知る人だけが知ってるって感じで、
プロだけを秘かに唸らせる男だったのです。ま、何ですな、
あの中国の周恩来も、あんな感じではなかったろうか? って所です。

近鉄百貨店には人を見抜くプロ、居ないみたいですなあ。( 嫌味 )




*     *     *





< 林利行君のお父さんとは、どんな人か? >


林利行君のお父さんは、林直之と申す。 ワシ、会った事も見た事も無い。
この部分、ワシの父、久治良伊一こと、土田伊一の話しである。

よって正確さを欠く。 後日、加筆訂正す。 実はこの段の為に、
林利行君に手紙して、教えろって言うたが、返事が来ない。



後から正せば良いや、と、初めてしまった。 おいおい、そこ違うぞと、
言って来るだろうと、多寡( たか )をく く っておる。

ワシの父、伊一に依ればだナ。 林君のお父さん、小学校出て小松市内の
信用金庫に、雇用されたらしい。



採用ではない、雇用だ。 まだ十一 〜 二歳の、ネンネだぜ。 採用も
何も有ったものじゃない。

役職は何か? お茶汲みだ。 来客が有れば、お茶をどうぞ言うて給仕
する、あれだ。



それが、だぞ。 二十歳( はたち )に成るや成らずやに、課長の椅子に
座ってた。

ワシも親会社へ行き、誰も居ないのを幸い、社長の椅子に座った事あったが、
あれとは違うぞ。 れっきとした課長様なのだ。



三十歳には、信用金庫の理事だろ。 どんな手品を使ったのかと、首を捻
( ひね )りたくなる。

お茶汲み坊主が、スルスルと理事だぜ。 こんな出世男なのに、余り知ら
れて居ない。



本人も、売りに出さない。 知る人だけが知ってる人だった。 その知る
人の中に、ワシの父も居たわけだ。

林君のお父さん、小松市の群小の信用金庫を大同団結させて、今日( こん
にち ) の姿にしたそうだ。



石川県の加賀地方、信用金庫の世界では、林直之と言えば、偉人扱いだった
そうな。

その仕事振り、縁の下の力持ち。 奥ゆかしくも正道を歩み、世に貢献する
態度は、知る人ぞ知る。 誠に誠に男の中の男だったと、父は言った。

あいつは出来物だったと、繰り返し繰り返し、ワシに言うたもんじゃよ。




この部分、文句が来れば追加・訂正す。 文句のある人、遠慮、しゃんすな。
言うて呉れい。



  *       *       *



< 林利行君と、山岡荘八は ・ ・ ・  >


小松高校一年の春だよ。 ワシ、林君に聞いたのだ。 おいッ、おめえ
の姉ちゃんは、山岡荘八の嫁さんだって、本当か?

んだんだ。( そうだ、そうだ。) 林利行君は答えた。 すると何だ、
おめえ、山岡荘八の家へ行った事、有るんか?



林利行君、何回も有る。 さらにワシ、行ってどうだった? 林君いわく、
家の中、お金だらけだった。

それ聞いてワシ、ハッハッハッ って笑ったけ ・ ・ ・




林君と山岡荘八について聞いたのは、これだけだった。 惜しい事を
したもんだよ。 もっと聞いとけば良かった。

あの頃のワシ、純文学。 ズボンの尻ポケットの右側には、赤単。
左側は、ゲーテの詩集でナ。



山岡荘八みたい大衆小説、ハナから馬鹿にしとった。 だけどさ。
ここを書く為に引っ張り出して読んで見ると、だな。




( 訂正す。)
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徳川家康なんか、日本のみならず、韓国でも、題名こそ 大望ながら、
そのままの日本語で、を削除す。



○ 鄭大均の本、韓国のイメージ に依れば、1970年代初期、山岡荘八の
徳川家康、韓国語版で空前の大ベストセラーを記録し、日本語ブームを

巻き起したとある。


ワシに、日本語そのままで出版された、の情報を言うた方は、かん違いさ
れたのであろう。

謝罪して訂正す。



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( 以下の数行も、削除すべき所は削除した。)


翻訳した中国でも、空前の売れ行きだったそうな。 韓国なんて、日本語
の出来る人、大戦末期の調査でも 15% 位で、読める人、もっと少ない。

それで、あれだけの売れ行きなら、日本語の読める知識人。 ほとんど
荘八の、徳川家康を読んだわけだ




そう言われると、ちょっと身を正して読まにゃあ、なるめえよ。 つい
で、ながら、

韓国・朝鮮の方々、朝鮮語を奪い、日本語を強制したと言うが、日本語
を話せる人、15% しか居なかったのだ。



強制するのは良いが、残り 85% は、日本語、知らねえんだよ。 強
制しても、知らないものは知らないよ。

朝鮮語を奪い、日本語を強制したって言うが、どうすれば、そんな事、
可能なんでしょうか?



この辺の所が、韓国・朝鮮の歴史主張の奇妙さでね。 日本語使わないと
銃殺するぞって言っても、

知らないものは、知りませんよ。 強制したら英語が話せるように成る
ものなら、是非是非ワシも、強制して頂きたいものです。



これだから、韓国・朝鮮の歴史、眉唾物に成るのです。 でもそれを、
血相変えて絶叫されますと、

本当みたいに聞こえるから、不思議です。 日本人は、すぐ スミマセン
 ・ ・ ・ に成っちゃうのです。 ・ ・ ・



  *       *       *



ここで不思議なのは、年齢です。 山岡荘八、明治四十年生まれ。 19
07 年です。

ちなみに没年は、昭和五十三年。 1978 年、享年 71才 です。



ワシと林利行君、昭和二十三年生まれ。 1948年だ。 ワシらが、
オギャーと泣いてた頃、山岡荘八は、四十一歳だ。

山岡荘八は再婚しとる。 林君とお姉さんの年齢差、どんなもの、なんで
しょう? お姉さんと、山岡荘八の年齢差は?



若い頃の 荘八、小松の安宅へ来てたらしい。 その時に、ご縁が出来た
のでしょうか?

ワシ、林君のお父さんは知らない。 だけど、お母さんには会ってる。
林君が風邪引いて、高校、休んだ時だったかな?



学校の何かを、届けに行った記憶が有る。 その時だ、お母さんが出て来
られて、ご丁寧にスミマセン、って言われたんだが、

これが、ゴツウ若々しい方なんだ。 あんな若いステキなお母さんの娘が、
明治四十年生まれ、山岡荘八の、嫁さんに?

の疑問、解決されておらん。



  *       *       *



ご存知の如く、山岡荘八の嫁さん、良妻賢母の鏡( かがみ )。 出来た
方だと、色んな文章に書かれておる。

山岡荘八ほどの人だ。 何でも出来る。 あのチャーリーチャップリンも
五十七歳だった。

十八歳のオウナ( Oona )なる少女と、三度目の結婚をしとる。



馬力が有れば、何をしても自由なれど、ワシなら御免だね。 とてもじゃ
無いが、夜の恐怖症になっちまう。 そんな馬力、有りまっせん

とにかく この辺は、林君か、林君の一族の誰かに聞かないと、正確な
とこ、分らんようだ。



早く行かないと、関係者、どんどん移籍しちゃうからね。 ワシもやがて
移籍だんぺ。

あの世では連日連夜、飲めや歌えのドンちゃん騒ぎだそうだから、そんな
質問、誰も教えて呉んねえからな。

ようし一遍、行ってみるかッ



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< 高校時代の林君。>


ワシらは一年八組、森田教室だった。 入学一番、まず有るのが級長選挙。
これはもう、満田君( 田上満君 ) ちゅう、一番で入学が居ったから、

選挙に成らない。 森田( 女 )センが、級長選挙、どうしますか?
言いも終らぬ内だ、満田・満田・満田君で、お仕舞い。

満田君、級長に成ったんだが、だ。 満田君、テスト一番なれど、級長
としての才覚、零式戦闘機。



一番入学、一番卒業も極端なれど、級長にされても、完璧に何もしない
点でも、極端だった。

満田君( 田上満君 )、あの調子なら、東大も一番で入学かも?
そんなわけで、文字通り、肩書きだけの級長だった。



一年の立つのは早いもの、たちまち三月だ。 森田教室とも、お別れだ。
高校一年、最後の思い出。

みんなで、どっかへ行くまいか? ( 行きませんか? ) って事に成っ
たナ、幹事を誰にするべえ。 満田君じゃあ、駄目だしなあ。



その時だ。 誰が言い出したか? どうして林君に決まったのか?
ワシ、記憶せんくらい、

なんとなく、ごく自然に、林君、幹事に推されてた。 今から思うに、
あの時の同級生たち、ちぁ 〜 んと見てたのだと、妙に感心する。



  *       *       *



さて林君、行き先から電車の手配。 昼飯はどうするかまで、一人で
決めて、段取り付けて、

さて我ら、小松駅に集合。 目的地は福井県、あの有名な東尋坊だ。
福井駅から電車でな。 行ったのさ。



若い我ら、集まっただけで楽しかった。 三月の下旬。 運良く天気も
悪くない。

程良き浜風など吹いて。 海に突き出た物凄い岩場の上。 歓声なんか
挙げてよ。 青春真っ只中のアホたちだ。 一日騒いで来たんだが、だ。



幹事の林君の存在、見えないんよ。 見えないのに、みんな、次は
どうするんだ?

なんて疑問も出ず。 ひたすら自然な流れで楽しんで、ワイワイ言って
日が暮れて、



ああッ、楽しかった  の思いに、浸ってる中にも、幹事、
林君の存在。

楽しさの背景に消えてしまい、存在感がない。 意識されない。
なのに、一日の予定、滑( なめ )らかに消化された。

幹事、腕、良いなあ 〜 。  感嘆しちゃったよ。



  *       *      *



これを、だよ。 ワシにやらせて見ろ。 ワシだって芦城中学・三後期
生徒会副会長だ。 幹事にされたって不思議、無いんよ。

だけど、ワシが幹事だと、列の先頭に立ち、旗は振る。 大声は出す。
のべつ、これはボクが段取りしたんです。 言いまくる。



判った、判った、君は苦労した。 完璧に判ったから、もう言わないで
呉れッ

って、誰かに、必ずぼやかれるね。 それが林君だと、存在しないみたい
それでいて、滞( とどこう )り無く出来てしまう。



ワシ、感心したね。 林君って奴は、ひょっとして、お父さん流、なの
かな?

父に話すと、あいつの親父( おやじ )が正に、そんな男だったと、ぼつ
り、言うたのを記憶する。



恐らく今も、似たような調子で、 似たような感じで、仕事、しとるんで
しょ。



  *       *       *



林君、昔も今もチビである。 昔は、ほっそりしてたが、結婚式の写真、
会社の同僚と並んでる林君、

横幅も、前後の巾も、三倍に成っておった。 遺憾ながら立ての寸法が、
変わっておらん。 それをば、如何にせん? ・ ・ ・ だな。 ハハ。



高校一年の彼、床運動が上手でな。 身の軽い、牛若丸みたい軽快な動き
の少年だった。

写真で見る限りだが、あれじゃあ、あの頃のイメージ、もう完全に無い。
妊娠九ヶ月、身重の体形だ。 体重に、よたったりして、



京都大学時代は、社交ダンスに精を出したそうだが、あのチビだ。 サマ
には成らなかったのじゃ、なかったかナ?

おでこ、女の顎に、ぶつけんなよ  注意されてナ。



  *       *       *



いけねえ。 うっかりするとワシ、すぐ、嫌味に走っちゃう。
用心用心。

でもな、一つだけ、悔( くや )しい事が有ったのだ。 ワシがまだ、
小松駅前に住んでた頃だ。



林君、立ち寄ったのさ。 二階が勉強部屋だったから、おうッ、二階へ
上がれよって、言ったのさ。

昔の家だから、階段が急でな。 二階の居間への入り口が、低いのよ。
頭を低くしてないと、横板にゴチンする。



林君、見事にゴチンした。 痛( い )てて、言うて、頭を抱え、うずく
まって仕舞った。

それ見てワシ、悔しかった。 母に依ると、あの階段で、頭ゴチンの人、
不思議に皆さん、出世なさるそうナ。



実はワシも、頭を故意にゴチンして、その幸運にあやかろうとしたんだが、
意識したゴチンは、効果が無いって言う。

だから、くそッ、リコー( 林利行君の愛称 )めに、幸運をさらわれたと
地団駄踏んだものだった。 これ高校時代の事実だよ。

林君に、真偽、問い合わせて呉れ。



  *       *       *



聞いた話しだけど、近鉄百貨店だから関西だ。 林君、あの万博で有名な
千里ニュータウンに住んでたそうな。

酔っ払って帰ると、だな。 似たような団地だろ。 自分ち、分らなく
成り、帰り損( そこな )う事、有るそうな。

そう言う時は、その辺の団地の廊下で、不貞寝しちまうんだそうだ。
アハハ だな。



林君は、こう言う具合に、奥ゆかしく仕事する、おの子ではある。
高校時代の印象、中国の周恩来も、

かくの如き男では、なかったろうか? って感じ。

さらには林君、巨大な組織の、長き長き階段を、途方も無い根気で、登り
詰め行くタイプ。



あれは、持って生まれた特性だから、真似出来ない。 我らは、我ら
なりに、工夫する以外、道は無い。

参考に成る様で、参考に成らぬ例かも知れぬ。



***********************************************************************




( 最後、林君が、小松高校の同窓会誌に寄せた短文を、紹介す。
   飄々( ひょうひょう )として、さり気なく、如何にも彼

   らしい文ではないか。 )




○ 近鉄百貨店の子会社である K サポートに出向となりました。
   人材派遣の会社です。

   親会社に対して人材の派遣や、業務請負を主たる事業としています。


○ 人材派遣会社の代表をしております。 この三月からは、愛地球博
   ( 愛知県 )の公式記念品売り場へも、人の派遣を開始しました。

   結構忙しく毎日を送ってます。



○ 関西も少し景気が、上向きになってきたのでしょうか、最近人集め
   が、きつくなっています。

   人集めに金が掛かって、集めた人の給与を上げられない。 その
   逆を考えないとね。

   人材派遣を業とする会社にとって、募集広告費の増加は、経営上
   悩ましい課題です。




***********************************************************************



上の文、わずか十二行である。 なのに林君の人柄、じんわりと胸に来な
いか?

この辺が林君の、林君たる由縁だ。 周恩来も、かくや? と言わるるのも
この辺からよ。



  *       *       *



リコーこと、林利行君は、こんな所で良かろう。 彼は、怖ろしく早く
から、リコー、リコーと呼ばれてたナ。

ワシの従兄弟が、やっぱ近鉄百貨店でね。 なんだ、それじゃリコーの
子分じゃねえか?  って言うとだな、



へえ 〜 同級生の皆さんも、林さんを、リコーって呼ぶのですか?
と来たね。

近鉄百貨店の社内でも、もっぱら リコーだそうだ。 としゆき、なんて
呼ばれるの、結婚した時と、自分の葬式くらいだろう。



  *       *       *



さて次段では、勝山清次君を語る。 この段の 林君が京大。 次段の
勝山君も、京大。

その先の イッセーこと、宮本一正君も、京大。 かく言うワシも、
出来得れば京大の気持ちだった。



勝山君なんかは、小松高校、進路指導の先生に、君いいッ、何で東大へ
行かんのか?

東大へ楽に入れる成績して、何で京大へ行くのかッ  言うて
どつかれながら、京大へ行ったよな、仁である。



ワシの管見なれど、東大へ行った奴と、京大派と、どこか感覚が違う様に
感ず。

最もワシの東大は、満田君こと、田上満君一人を材料に、言うとる説だ
から、参考には成らんがね。



でもねえ、その後、四十名ほどの東大卒に会ってだな。 その見方、修正
の必要、感じないんよ。

五十歳から行った、明海大学歯学部にも、東大・同大学院が御座ったが、
やっぱ、何か、どこか、京大の連中と違ってた。

話にならぬと言うと失礼ながら、やっぱ話に成らなかった。



  *       *       *



では次段で、京都大学大学院・文学部・日本中世史担当の 勝っちゃん
こと、勝山清次君に行く。

京大の大学院の教授だから、先生と書かないと、どつかれるかな?



ワシも一応、歯科医師だろ。 職場じゃ先生って呼ばないと、ヘソ、
曲げる事にしてるから、

勝山君を、勝山先生って書くべきなんだが、この章の趣旨から、君で
行かせていただきますデス。

では、






*       *       *



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