*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 4 章  *  ワシの同級生賛歌

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< 能川雅明君を語る。>





芦城中学三年七組。米田クラスの同窓会。
我ら四十五歳時に挙行した。五十名中、半分出席。

この時 能川雅明君、あの天下の N T T の富山支店長だった。
昔流に言えば彼こそ出世頭の筈なのに、
銭々子( ぜぜこ )ヨーケ稼いだ連中が居( おっ )てな。
オレらの方が、上だッ  言うて止まぬのだ。

ホンマ、アホに銭持たすと何を言い出すか判らん。
ちゅう良い例だった。



*     *     *





< 同窓会での馬鹿騒ぎ >


能川雅明君は現在、N T T 関連子会社の代表取締役をしとる。 インター
ネットで検索すると、会社の紹介と同時に、

彼の全身写真も見れる。 あの写真、出来が悪い。 実物は、もっと良い
男だ。



四十五歳、同窓会の席にヌッと現れた時なんぞ、こりゃ、テレビドラマの
俳優でも務まるかなって、ワシ思ったほど、良い男なんよ。

いやむしろ、妹の方が、凄い別品だったと、書いて置こう。 ご両親は、
小松市の大文字町なる通りで、クリーニング店。

能川君は、その息子だ。



ワシ、ご両親にお会いした事無いから、ご両親がどんなツラか言いかねるが、
とにかく 能川君も、能川君の妹も、美男美女の誉れ、高かったと記して置

かねばなるまいて。 若い頃は、の、条件付ではあるが。



  *       *       *



我ら芦城中学十七回生。 三年七組、愛称ヨッカこと、米田耕三先生の
組は、四十五歳を期して小松の古い料理屋の二階に集合したのであある。

幹事は 北村成章、亀田政規君らでな。 五十名中半分が集まった。 担任の
ヨッカ、その後、入り婿( むこ )されて、中野姓に成っとった。



同時にヨッカの愛称も無く されて、学生ら、先生をどう呼べば良いのか?
心配した。

我らの頃、愛称の無い先生ちゅうのは、人望の無い先生と同義語だった。
米田先生の ヨッカ も、中学へ入学と同時に上級生、教室を巡回して

教え回ってたものだ。 昔はそんな調子だったのだ。



米田耕三先生が ヨッカ なら、剣道で有名な 岡山丕彦先生は、 オカチョコ。

数学の中西一夫先生は、一等有名で ジャッカン。 この ジャッカンは
先生が授業中、若干を多発に由来するそうだが、


我らの頃は、気にされてか絶対に使わない。 するとそれがまた、我ら悪童
連の笑いのネタに成ると言う、むずかしい関連下にあった。

お三名の代表的愛称を、懐かしい想い出と共に書いてみた。 ワシ一度、町
でばったり、ジャッカンに会った事がある。


とっさに本名が出て来ない。 弱ってね。 すると先生、ジャッカンで
良いよ。 なんて言われるから、

ワシ、真っ赤になって頭掻いたよ。 あだ名は記憶しても、本名は忘れる
んだな。



  *       *      *



驚いたのは五十歳、埼玉県坂戸市の明海大・歯学部へ入学してだ。 教授に
あだ名が付いて無いのよ。

そんなもの付けるの、失礼だの雰囲気。 たった三十年で、日本人の気質、
逆転しとった。



我らの頃なんざ、先生たる者、あだ名が付いて、やっと一人前の先生と認め
られたもんだよ。

それでも歯学部にも、全く無いのでも無い。 掲示板で予定表を見てると、
下級生が集まって来て、チャイが、チャイがと五月蝿い。


ワシ、チャイとは誰か、聞いてみた。 中国語の 櫻庭和典先生の事だそう
だ。

中国語は、チャイニーズだから、略してチャイなんだそうだ。 ワシなら
もっと別のあだ名を考えるな。 チャイは語感が良くない。

そう言う美意識も、失せたようだ。



***********************************************************************



< 能川雅明君は、ブレの少ない人生航路の男だ。>


ワシなんか、その正反対の人生でな。 関係の無い事に、何故か首を突っ
込みたがる。  無風状態なのに、一人で騒いどる。

みんながそっちへ行くなら、オレ一人、こっちの道を行く よな人生を
何故か、したがる男でな。



酔狂と言えば酔狂だが、人に勧められる生き方でも無い。 可能なれば諸君
ら、能川君の生き方をこそ、模倣すべきだ。

彼の学校時代の想い出は、要領が良いと書くと御幣が有るが、とにかく、い
かなる時も、陽の当たる場所に、ちゃんと座ってるって印象だった。



中学三年時の前期生徒会会長。 能川君の獲得した票数、只者で無かった。
と言うのも、その時の選挙管理委員長がワシだったからさ。

能川君、大差で会長に当選。 さらに副会長は、これまた我がクラスの
南出文夫君でな。 同じクラスで、会長と副会長を独占。



担任の ヨッカ、鼻が高い筈だよ。 しかも後期の生徒会の副会長がワシだろ。
先生の教室で生徒会を蹂躙( じゅうりん )しなすんなと、文句来たそうな。

ワシが副会長の時の会長は、園井健二君言うてな。 この園井君、お兄さん
も生徒会の会長をしてた。


しかも兄弟そろって東大と言う、優れ者一家だ。 お父さん(株)コマツの
現業作業員。 機械場だったかな。

息子二人が、そろって東大へ行く様な方が、コマツの機械場で作業してるんだ。
コマツの機械、良いの当然だよ。



最近の日本、これが無いからね。 こんな凄い作業者の居無く なった日本の物
造り現場。 底力( そこぢから )、確実に低下してる。 

学校制度の長所と短所。 考えて見て良い時期かも。 下半身の弱いスポーツ
選手、大成しない。 産業も同じだよ。



図面がどんなに良く ても、それを形にするのは現業員だ。 なのに大卒の
エリート社員、現場の社員を低く 見る。

もっといけないのは事務の女の子だ。 機械場の、作業服の若者なんか、鼻
も引っ掛け無い。



彼女らは、将来のハズとして男を見る時、機械を操作しとる労働者なんか、
二の次・三の次なんよ。

あれ見てると、日本が物作り大国で居られるのも、あと、どれ位かな?
って、心配に成るね。



  *       *       *



さて能川雅明君、小松高校の一年時、なぜかワシと同じクラス。 そして
決然といわく、僕は早稲田の商学部へ行く

そして彼らしく、予告通りに、早稲田の商学部に入った。 そこから
N T T に入社するや取締役まで、定規で引いた様な線で、


登って行った。 本人に言わすれば、それなりの苦労話も出るだろうが、
他人から見る限り、一直線の取締役である。

この辺のブレの少ないのが、能川君の能川君たる所以( ゆえん )だ。



真似しようとして、真似の出来ない生き方ではある。 生まれ付いての
体質である。 参考に出来る方、参考にして呉れい。 ワシにゃ無理だ。

ま、こんなタイプの人間は、好きと嫌いが別れる。 能川君にも、それが
言える。  だけど何が有ろうと目的地へキチット行ってしまうのだから、

仕方有( あ )んめえよ。( 仕方が無い。)




能川君が生徒会長だった時だ。 その効率の良い運営と指揮で、教師を唸ら
せたものだ。 あの頃と同じ生き方、してんだろうよ。

能川君、N T T から関連子会社。 最初は N T T リース。 最近は N T T
ファイナンスの代表取締役。  お役所みたいものさ。



ま、ワシなんか、能川君にはとても敵( かな )わん ・ ・ の一語に尽きる。



  *       *       *



副会長だった南出文夫君は、我らの生活に、かなりの関与、有るのだぞ。
彼の就職した会社、鉱石を扱う会社でな。

陶器の原料なんだ。 納入先・T O T O 。 と来りゃあ、我ら、朝晩、
イザヤ便出サンと、またがる、便器に成るのだよ。

うちのは 伊那製ですと? どこでも良いんだよ。 サッサと糞して寝ろッ



原料は中国からだそうだ。 南出君も、しょっちゅう渡中してるそうな。
それじゃあ、中国語なんか、ペラペラかと言うと、そうでも無いらしい。

あっちの人間の方が、先に日本語、マスターしちゃうそうな。 この辺が
最近の日本人の、弱体化だな。



  *       *       *



ワシが副会長だった時の会長、園井健二君も少し書こう。 彼、東大は化
学科だった。 そのまま大学院に進んだが、

小松高校で、ワシの前に座ってた あの田上満君と一緒だったのだ。 田上
君、愛称は、満田君。

世の中は広い様で狭いを、地で行く 話しではないか。



園井君は高校が、いわゆる金付( きんぷ )でな。 金沢大学付属高校だ。
石川県では頂点にある高校とされとる。 毎年東大へ、20名前後行く。

次点が金沢の泉ヶ丘高校でな。 こっちの東大は 7 〜 8 名かな?
三位群の中に小松高校も含まれてな。



ワシの高校の同級では、田上満君と、鳥崎公寛君の二名が東大へ行った。
鳥崎君は、とりさき君である。

ほとんどの人、鳥を島と早合点して、しまさき君と呼ぶ。 しまじゃ無
い、とりだ。 鳥崎君だ。



ワシら高校で同じクラスだった。 満田君は、ワシの前に座り、前方視界
の邪魔、して呉れた。

トリの方は、英単語の記憶に協力して、鬼奴の背中をポンした記憶が有る。



  *       *       *



園井君の思い出、ひとつ書く。 小学校四年時だ。 担任の山根一先生。
おっそろしく 熱心な先生だった。

生徒全員の人生の夢。 一冊の本にして呉れた。 その中で園井君、将来
は科学者に成りたい。 そして、おもちゃの研究と開発をしたいって、


書いておる。 科学者は良いが、おもちゃの研究と開発ってえのが、面白
いね。 しかし当たってはいないか?

ついでながら拙者の夢。 漫画家に成りたい。 これも時代に、当たって
いるぞ。 ただしワシ、痔が悪いから、漫画家は無理だ。

漫画家と痔は、切っても切れない関係なんだぞ。 女の漫画かも、やっぱ
痔で苦しむのかな?




園井健二君、科学者ならぬ化学者になり、ややこし化学式なんぞ、ひねくっ
とるそうな。

片やこのワシ、鉄工所のおやじから、歯科医師だってよ。 こんな本
書いて。 自分の人生を漫画にしたなッ



  *       *       *



ワシ、これまでの人生に、40名ばかしの東大出を見て来た。 明海大歯
学部にも薬理に、東大・同大学院卒の教授が居( お )った。

東大出に会うと、ワシ、必ず田上満君と比べて見る。 そして、ワシの見
た東大出の中では、満田君 最右翼。  最優秀だと断言出来る。

彼以上の東大出、見た事無い。



満田君、小松高校一番合格。 卒業時、一番。 東大へ、軽く這入った。
小松高校の入学式だぜ。

新入生代表って言われて、ワシの横に座ってた満田君。 ハイッって
起立するんだ。 ワシ、おっ魂消( たまげ )たよ。

講堂の前方へ歩み行く 満田君の後姿を見ながら、ワシは膝を打ったものだ。
そうか、彼が一番だったのか

するとワシは、二番だったのだな ・ ・ ・  ( ここ冗談ですので宜しく。)



二番はやっぱ、鳥崎公寛君か、勝山清次君でしょ。 ですが満田君( 田上満君 )
の、がっしりした体躯と、黒い学生服の背中は、なかなかに頼もしかった。

ワシの小松高校時代の想い出は、天守閣の石垣と、満田君の背中だかんね。




満田君、今、三菱化学で研究しとる筈だ。 東大の大学院から、教授の口
利きで売られた先は、最初、三菱化成。

三菱化成、三菱モンサントと合併して三菱化学。 昔なら財閥の復活で
波風のひとつも立つ所なれど、

この頃は会社も巨大でないと、海外の、はるかに巨大な会社に、飲み込まれ
ちゃうからね。



  *       *       *



世界は、ロスチャイルド系と、そのアメリカ支店のモルガン系と、石油で
モンスターに成ったロックフェラー系の、独占なのよ。

今や世界企業への道を真っしぐらの、韓国のサムスン電子。 ありゃあ
もはや、ロックフェラーの傘下です。



韓国を代表する現代グループと、製鉄のボスコ。 サムスン電子同様に
株式の過半、海外勢のものじゃない。

詳しくは韓国経済の研究で書く が、韓国はもはや、アメリカ金融資本の
植民地としか、言い様が無い。



六十年以上も昔の、日本との併合時代を非難しとる間に、アメリカに乗っ
取られて仕舞った韓国。 さて、どうする気なんでしょう?

日本人はアホだから、戦争に負けて出て行く時、資産を全部置いて、身ひ
とつで去りましたが、アメリカの金融資本家に、

そんなお人好しは居ませんぜ。 韓国人はこれから、連中に、糞味噌に
こき使われる事でしょう。 いやもう使われてますよ。




韓国の次に飲み込まれるのは、当然、日本の優良会社だからね。 もう、
かなりの会社、飲まれとる。

ソニーもキャノンも、株式の過半は、海外勢の保有じゃない。



  *       *       *



三菱化学、満田君みたい、ノーベル賞級の研究者。 ゴロゴロしとる。
その割りに賞を取れないのは、研究経営が下手だからだと、ワシは見る。

ワシが研究所の所長なら、満田君には研究に専念させる。 人間関係は、
ワシらが、全部引き受ける。 研究だけに没頭できる条件を、整備する。



高校時代の満田君を見てると、この人、人間関係の発生する環境では大成し
ないな、と感じた。

能力が、或る部分に偏在しとるタイプは、使い方次第なのさ。 成績良かっ
たから、高校時代は級長に選ばれとったが、


級長としての満田君、完全に無能。 三菱化成は、その辺を考慮した研究
経営、しとるかな? ( してますか? ) 研究者の使い方、

見てると、どうも、そうでは無いらしい。 三菱系のアカンのは、その辺
なのよ。



満田君( 田上満君 )みたい優秀な研究者を持ちながら、革命的新技術が
さっぱ出無いのは、研究経営法に問題があるから、なんよ。

東大出のノーベル賞研究者、尾崎玲於奈( レオナ )を見てみろ。 あの人
最初の会社では、文句ばかり言う、使い難い奴とされて、

追い出されたんよ。



ソニーの井深大( まさる )社長が、そんじゃウチへ来い。 言うて
貰い受けたのよ。

その後の経過、知る通りである。 大成果を挙げる研究者、しばしば、
偏屈者である。



そこを勘案しつつ、その能力を最大限に引き出すのが、人間学と研究経営学
を体得した、研究所の所長じゃないか。

三菱化学も、三菱重工も、研究所の経営者の人選。 再考した方が良いよ。
三菱系は、日本の最優秀の人材の能力を、有効に引き出してると、

言えるかな? ワシの見る所、合格点は出せないぞ。




満田君( 田上満君 )みたい奴は、使い方次第なのさ。 何とかと一緒だ。

彼のように、おつむだけ極端に優秀で、しかも人間関係学にも同じ能力を
発揮出来たなら、そいつはもう、偉人伝の人間だ。



満田君からは、人間関係を免除して上げて、研究に専念して貰うのが、正し
い使い方だと、高校時代、手を伸ばせば触れた位置に居たワシは、言う。

三菱化学は、それを、ちゃんと、しとるのかね? ( してますか? )
日本の最優秀の頭脳を、あれだけ集めてる三菱。 責任、重いのだぜ。



出来無い事を求めて、駄目だ駄目だと言う管理者は、その管理者こそ
駄目なのだ。

早急に交代さすべし。 三菱系は、研究経営学をこそ、学べ。



  *       *       *



その点、園井健二君の思い出には、教育的に有効な面が有ったな。 生徒
会の仕事しながら、園井君、片手にいつも参考書だ。

数学、しかも高校の二年生用だ。 チャート式、数二って奴でな。 最近の
チャート式、白・黄・緑・赤と、四種類だけど、


我らの頃は( 昭和四十年頃だぜ。)一種類だけ、表紙は赤。 我らが高校
の時、基礎からのチャート式が出て、二種類になった。 基礎からは、青。

おそらく お兄さんの参考書なんでしょ。 かなり読み込んであった。



そいつを園井君、中学三年で眺めとるのだ。 ううむ、ああ言う具合に勉強
するのかと、ワシ、秘かに偵察したもんだ。

世の中は、判らんものだ。 園井君、金付( きんぷ:金沢大学付属高校 )
から東大化学。



小松高校で、ワシの前に座っとった満田君( 田上満君 )も東大化学。
二人とも大学院まで進んだから、その間、同級生だったわけだ。

どちらもワシと言う、因縁を抱えとるのが共通項だ。 たいした意味も無い
共通項だけどな。



  *       *       *



< 四十五歳・中三の同窓会での 乱痴気騒ぎ。>


同窓会から早くも十七年が過ぎた。 光陰 矢の如し。 ぼやぼやしとると、
お迎えが来らあ 〜 な。 よって取り急ぎ、書いてみる。

芦城中学校三年七組、担任ヨッカ ( 米田耕三・婿入りして細川 )と我ら
三十年振りの同窓会であった。



言い出し人、北村成章・亀田政規・町出知子ら、でな。とにかく 通知が
来て、出て来い。 半分集まった。

四十五歳だかんね。 上は能川君みたい、あの巨大なる N T T の、富山支
店長の椅子に座って、お中元とお歳暮の山に埋もれてるのから、


下はワシみたい、うだつの上がらんのまで、教室の半分が集合した。 聞け
ば早くも二名様。 物故の文字。 嫌ですねええ。

始まったものは必ず終わる。 生あるもの、これまた必ず死ぬ。 死は
生あるものの定めなりと申しますが、なるべく 遅らせて頂きたいもの。



  *       *       *



ワシ、一応歯科医師なんで、永遠の生命を知っとるぞ。 永遠は大袈裟か
と思うが、死なない生命が有るんじゃよ。

答えは、ガン細胞だ。 細胞の寿命は、染色体の端っ子( はじっこ )の
テロメアの部分が尽きた時である。



テロメアは、細胞分裂の度に、少しづつ短縮する。 五十回 ばかし分裂す
ると、無く なる。 すなわち細胞の死だ。 六十回だったかな?

どっちでも良いや。

ガン細胞にはね、短縮したテロメアを、元の長さに戻す酵素が有るから
テロメアが短縮しないのだ。 よって何時までも生きられる。



ワシなんざ、存在そのものが ガンと言われとるから、こりゃひょっとして、
結構、長生できるんじゃないかと、( 秘かに ) 胸を躍らせとるのだが。

見れば判る如く、物故の二人。 いずれも善人だった。 ワシ、嬉しいこと
に悪人で 〜 す。 と威張る程でも無いが、善人と言われた記憶は無い。



ろく でも無い奴と言われた事は有る。 ろく でも無いのは、長命か、はた
また寿命を短縮する部類かは、知らねども、

物故されたお二人に、哀悼の意を表す。 大塚君も金森さんも物静かな
方々ではあった。 ご冥福を祈る。



  *       *       *



このワシも、やがては誰かに、ご冥福を祈られるであらう。 日本は有り難
い事に、悪人でも死ねば仏様扱い。

これが中国や韓国・朝鮮の様な大陸系だと、死んでも際限なく いたぶられる。
墓を暴いて死体を引きずり出し、ズタズタに苛( さいな )まれたりする。

あの辺の感覚は、我ら日本人、付いて行けないね。



  *       *       *



カメ( 亀田政規君 )とキシ( 山岸常道君 )とおしゃべりしとる所へ、
塗師君が参加した。 楽しい会話に花が咲いた。

この連中との会話が、ワシの心に一番フイットした。 常識的な心情だか
らだ。 ところで塗師君の、下の名前を忘れて仕舞った。



と言うのも、彼は中三の春。 一家で大阪へ転校したからだ。 何でか?
お父さんが風呂屋の株を買ったからさ。

大阪の人は知っている。 市内に五万と在る風呂屋。 かなりのパーセント
石川県人の経営なんである。



大阪で風呂屋を二十年すると、貯金が最低十億貯まる。 はしこい奴は、
二十億貯める。 だが夜は遅く、朝は早い。

金も貯まったし、こんな辛んどい仕事、もう卒業しよう。 となった時。
同じ石川県人に紹介して、交代を探すのだ。



塗師君ちの、お父さん。 それを買ったのだ。 かく して塗師君も大阪だ。
よって彼、芦城中学の卒業ではない。

にもかかわらず、お声が掛かったのは、カメと親友しとるのと、その頃は
すでに帰郷して、石川県に居たからさ。

それプラス、塗師君が人気者だったからでもある。



塗師君、ふざけた野郎でね。 年中馬鹿話しとるような男だったが ・ ・
な、何と、四十五歳のその時、

現金で二十五億、持ってると言うじゃないかッ
少し、貸してく れ。 ワシ頼んで断られた。 



  *       *       *



この話をすると、必ず聞かれる。 その塗師さんって方、何をして、そん
な大金、稼いだのですか?

上記した如く、大阪の風呂屋が最初だ。 十五億ばかし貯めたそうだ。
次は帰郷して、金沢の周辺でラブホテル。



金沢市は、その手のホテルを許可しない。 だから周辺の市町村で開業する。
金沢のスケベは、車が無いとラブホテルへも行けんのじゃ。 ご苦労さま。

塗師君は、売りに出てた奴を、買ったらしい。 その仕事を十五年。 子供
が大きくなった頃、奥様にせがまれて、ラブホテル売却。



この時すでに二十五億、持ってたそうな。 次に何をしたかと言うとだ。
松任( 今の白山市 )近辺のスパ−マーケットで、

あの、持ち帰り寿司の店舗の権利を買ったのだ。 現在二軒持っている。
月の水揚げ、二百万だそうだ。 純利益が、だぜ。



ワシ、何と無く、塗師君をゴチンしたく なった。 どうせ税務申告なんか
して無いだろう。

あの持ち帰り寿司で、月・二百万が手元に残るんだとさ。 この日より ワシ
持ち帰り寿司は、我慢しとる。 鬼奴に、これ以上の金は不要だからだ。



  *       *       *



ところがだ。 横で聞いてた藤本照久君。 グッと身を乗り出して来た。
そして、この教室、オレが一番だと、そう自慢するのだ。

な、なぬう 〜 。 お主( ぬし )、塗師君以上だと言うのかッ
ワシ、いささか色を成して言うた。



藤本照久君で検索すると、かなりの項目で出てくる。 商売は染色業で
あらうか。 発明家でもある。 特許も持っとる。

扱ってる製品、我らの日常に入り込んどる。 それはネームだ。 洋服
のズボンや背広に付いとる、あのネームだよ。



従来は織り機で、刺繍織りして、字やデザインを出した。 藤本照久君
その背景色を、刺繍糸では無しに、染色で出したのだ。

コストは格段に安く 成る。 この発明でひと財産、作った。



ワシ、後に藤本君とこへ行って、工場を見せて貰ったが、小さな部屋が
二つきりの工場だ。 その狭い工場に、

染色機械が三台。 いずれも五百万円以下の、安い機械だ。 ワシの
鉄工所の方が、余程高い機械を置いてある。



こんな設備で、かく まで大きな利益とは、凄い。 鉄鋼王 アンドルー・
カーネギーでも無いが、事業成功の秘訣は発明だ、を、

地( じ )で行ってる景色だ。 ううむ ・ ・ ・ と、ワシは
唸って仕舞った。



  *       *       *



特許は切れてる筈なのに注文はつづき、傘下の工場を巻き込みながら、
藤本照久君の事業は、拡大しとるそうな。

秘訣が知りたくば、諸君等で勝手に研究して呉れい。 とにかく、こんな
トンでもねえ金持ちが、我が同級生には御座るのだ。 ( 居るのだ。)



藤本君、只一つ改善願いたい事が有る。 染色の工業色素を使うだろ。
あのどぎつい 紅や青や黄色の廃液。

処理もせず 用水に流しとる事だ。 色素は、水質汚濁防止法には無いそ
うだが、青々とした水田の中、真っ青な廃液が流れてく 風景。

良く ねえぞ。



何とかならんのか? と聞けば、もう二十年以上つづけているが、誰から
も、文句言われた事無い ってんだ。

そんな大資産造るなら、もちょっと責任を果たせ。 言うたのだが、藤本君
機嫌を壊して仕舞った。



  *       *       *



それにしてもだ。 流された真っ青の廃液、ポンプで水田に揚水しとった
四十がらみの ドン百姓にも腹が立った。

自家消費米で無いから、そんなの関係無いって言いやがんのよ。 収量、
減りません。 だとさ 〜 。

そのお米、農協米として、都市住民の、ワシらの口に入るんだぜ



日本の ドン百姓も、中国並みに成ったらしい。 国際化の積りか?



  *       *       *



能川雅明君、N T T の取締役は判った。 その退職後の軌跡を見ると、
だな。

N T T リースを手始めに、これを書いてる時は N T T ファイナンスだ。
子会社を渡り歩いとんのか?



財務省エリートの天下りの N T T 版か? いちいち退職金を貰ってるんか?
ワシの推定だけど、能川雅明君みたい、N T T の取締役まで登り詰めた

エリートの生涯賃金は、相当のものだろう。 七億? 八億? それ以上?
四十五歳、N T T 富山支店長時代の年収が、三千万を越す。



彼が、小松高校の同窓会誌に載せとる短文を読んで行く と、その豊かさ
が伝わって来る。

到達した地位。 獲得した資産。 能川雅明君こそ、我が同窓生中の白眉
であると、ワシは思うのだが ・ ・ ・



しかし 塗師君 二十五億。 藤本照久君は、それ以上の成功を収めたと
ワシに申告するからには、

やっぱ、藤本照久君らの方が、上、なんだろうかね?



  *       *       *



どっちにしろ、ワシには関係ねえ事でござんす。 この日集まった同級生に、
岡島健一君と言うのが居てね。

彼、金沢近郊の不動産屋に奉職して、年商が 35億なんだそうだ。 これ
言った時、女の子ら一斉に、ステキと拍手するのよ。



人間と言うもの、持ってる金の多寡で計ってはいかん  ってえ
のは教科書の中、だけのお話。

この岡本君、ワシに言いやがったのだ。 久治良は、学校時代は優等生だっ
たが、娑婆に出て貧乏 こいとると。( 貧乏しとると。)



ワシ、悔しくてねえ 〜 。 ビールのコップ、ぶつけとけば良かった。
中三時代、只で数学の個人教授。 そのご恩、仇で返しやがったなッ

この手の人間に銭を持たせると、碌な事に成らんと言う、良い例だ。




しかし、捨てる者あれば、拾う仁( じん )もある。 山岸常道君だった。
久治良君は、きっと何かをする男だ。このままでは終らない。

と、ボクは思う ・ ・ ・ と、嬉しくも言って呉れてな。
この救いが無ければ、ワシ、悔し涙に濡れてたと思う。



問題は、だ。 鉄工所のオヤジを五十歳で止めて、歯科医師に成ってけど、
それで、どうだと言うのだ? 現実は、経営者から勤務医に、格下げだぜ。

さてこれから、何かをするって言うが、何をすれば良いのか? この課題に、
責められとるのが、今日この頃だ。



  *       *       *



能川雅明君の豊かな老後は、高校の同窓会誌に載る、短文からも伺える。
公務員、定年してから価値が出る。

N T T は、昔の三公社五現業である。 公務員みたいものだ。 特に
能川君みたい、取締役に成ったような連中は、老後の手厚さ、

想像を絶する ・ ・ ・ だろうな。



年金、五百万を越えてるだろう。 六十代は、関連子会社の取締役を渡り
歩いて、給与と退職金が加算される。

ま、我ら貧乏人は、旧ソ連や東欧のように、体制の破綻と貨幣価値の激変に
会わぬ事を願うしかない。



アルゼンチンの様に、インフレで、預金や収入が、一晩で無意味に成るの
も困る。

能川雅明君の様に、国家の運営に、かすかながらもタッチしとる連中は、
中心的なエリート程でも無いが、やはりそれなりの責任が有るのだ。

頼みまっせ。



ではここで、彼のくつろいだ一面を紹介する。 能川雅明君、六十歳頃の
報告である。



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十月の初め ( 孫と息子夫婦のすんでる ) 町田市へ、転居の予定です。
同居はしませんが、同じマンションに住む事にしました。

住む階と住居タイプを変えたので、息子夫婦とも多分、上手く行くと
思います。 ( 甘いかな? )


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たった四行の文に、能川君の豊かさが読み取れる。 この文の前後に、父
の死去と、小松の母の引き取りを報告しとる。

家族は皆、健康そうでなによりだ。 能川雅明君は、我が同級生では、日本
の中心に最も近く 位置しとる。



日本経済が、転覆や激変に会わぬ様に、頑張って欲しい。 旧ソ連を見ても
判る。

国家の体制が揺らぐと、貧乏人・老人・身寄りの無いものが、地獄に突き落
とされる。



一人で、貧乏人・老人・身寄りの無いの三つを、体現しとる者は、悲劇と
成る。

ワシは最近、経済を研究してるものだから、心配性に成って仕舞った。
だけど、お隣の中国、この先の十年で、どう成るのだろう?



その時日本は、どんなとばっちりを受けるのだろう? これが杞憂なら
幸いだが。

能川雅明君から、妙な心配へ迷い込んだ。 この心配、経済や投資の
研究部門で書く。



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さて能川君の次は、土本寛二君を書く。 土本君も顔写真が、ウエブで見
れる。  北里研究病院の院長様しとるから、ご存知の方も多かろう。

最初に出た曽田義則君も、入院中、土本君の顔が見れて、勇気付けられたと
述懐しておった。



ワシが明海大歯学部で学んだ折、歯学部長で第二口腔外科の山本美朗教授。
患者が、それこそ身も心も、執刀の山本先生に頼り切ってるのを、

この目で見て来たから、曽田君の言葉に、肯いたものだ。



さてその土本寛二君の顔に、このワシがだ。 墨を塗ったと言うような、
怖ろしい思い出を、次の段では書く。

これ、万死に値するか? 今の土本君( 先生 )にそんな事したら、
周囲の人に殺されるでしょうよ。


昔で良かったと言うような、そんな話しを書くんじゃよ。





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