*  自分史 製造業系 ( 五十歳までのワシ。 鉄工所三十二年間の想ひ出 )  *   < kujila-books ホームへ帰る >

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第 2 章  *  和田伝四郎翁小伝 1

番外 の 1/3 


< 和田伝四郎初代小松市長小伝 1 >





三郎叔父 ( 島隆三 ) との口論の残りを書いた後、
初代小松市長であられた和田伝四郎翁を記す。
これ、あくまでワシ一個の考察した和田伝四郎翁である事、
最初に断然、お断り申す。

ワシ、小松市立芦城小学校に在学の頃だ。
毎年の卒業式に、和田伝四郎市長がご臨席だった。
よって生前の市長の、あの立派なヒゲと精悍なる風貌、
間近に拝見し、今に記憶しておる。
市長は正に、明治の土性骨、そのものであられた。



*     *     *





< 三郎叔父と( 人生最後の)口論をした。>


ムコ養子に行った 三郎叔父との会見は、三郎叔父九十歳、ワシ六十二歳。
じじいとじじいの、フガフガの、わめき合いだった。

三郎叔父、前年に軽い脳溢血。 ゴルフしてて体調がおかしい。 終了後
医者。 医者、様子を見よう ・・・ と言ったそうだから、軽い。


とは言え、介護度二度。 部屋の中、物に掴 ( つかま ) りつつ移動。
脳溢血なら半身不随の筈。 それは無い。 手の麻痺、認知しなかった。

ただ歩行に少し支障がある。

ワシも歯科医師である。 まして訪問診療なんぞしておる。 脳溢血の
患者、二十例ばかし見て来た。 三郎叔父のは軽い。



ゴルフ中の病変とは、流石に三郎叔父だ。 しかも九十歳である。
食事などに用心すれば防げたのではないかと、ワシは思う。

三郎叔父、ムコ養子だから家付きの娘が嫁さんである。 叔父より長命かと
思いきや ・・・  病気で数年前に他界した。



三郎叔父、一人住まい。 息子夫婦は別の場所に住んでおる。 もっとも息子の
商売が、介護用品の販売である。

こんな場合は好都合かも。 部屋の中、店から持って来たと思われる介護用品、
しっかり有った。 あれは原価だぜ。 三郎叔父、どこまでも幸運と見える。



  *       *       *



三郎叔父の幸運で、もっと凄いのを書いて見る。

自宅と会社が、二度も、市と自衛隊に買い上げられた。 実にうらやまし。
最初は小松市郊外の自宅。 自衛隊共用、小松飛行場の離着陸コースの下だ。


よって自衛隊、買い上げて呉れた。 それだけでも凄いのに、その際だ、庭木
が有れば、それ一本十五万だぜ。 樹の大小は問わぬ。

大木も苗木も、全て一本の計算だッ



三郎叔父、息子の将来の為に、苗木をズラ 〜 ッ と植えていたのだ。 それが
全て一本十五万。

普通の庶民なら仕事せずに、死ぬまで隠居可能の金額が来た。 こんな金持ち
に、何故、かくまでの幸運を、天は与えるのじゃ?



  *       *       *



これに笑い話が有ってな。 三郎叔父の家から三百メートルばかり飛行場寄り
の運送会社だった。 川の堤防の横なんで、野性のハンの木が茂ってた。

社長、ヒマなオッサンに、あれを切っとけ オッサン当然切るわな。
切った直後に自衛隊、一本十五万で買い上げます。

庭木だろうが野生の雑木だろうが、一本は一本だぜ。 こうなると自衛隊にも
当たらにゃならん。 余りにも杓子定規じゃ、おまへんかッ



社長、オッサン捕まえて、何で切ったのだッ 馬鹿野郎ッ
怒鳴ったそうだが、そりゃあ切れと言うた自分の責任だわな。

お陰で運送屋の社長、儲け損なった。 三郎叔父、庭に植えといた苗木で、
ひと財産造った。



これに、さらにが有るのだぜ。 二度目は小松駅前通りに在った会社の用地だ。
大通り拡張の為、小松市が買い上げて呉れた。

こんな場合、税金は不要である。 丸々の儲けと成る。 三郎叔父みたい金満
家に、何でこんな追い銭をするのかッ

と、今度は小松市にも当たらにゃならん



  *       *       *



それ程の資産家、最大の功労社員の退職金、二十万とは何事であるかッ
は、前段で書いた。 これについて次郎叔父の反論。



わしは彼の娘の仲人をした。 仲人をしているのだ。

給与と退職金については、満足してると思う。 もし仮に金額が不満なら、
その不満をバネにして、わしより金持ちに成ればよいのだ。


わしは彼を、武士だと、信じとる。 必ずそのように考えて呉れて居ると、
わしは信じておるッ

と、三郎叔父は言った。



高卒から五十代後半まで、年収五百万。 少ない分は退職金で一挙に、
つじつまを合わせるから、待て

の退職金が、二十万であった。 諸君らは、これを、どう考える?
三郎叔父の反論は正しいか?



しかしね、別の見方をするとだ。 こんな神経でないと、六十億だなんて、
そんな大金は作れない ・・・ とも言える。

ワシ、感心しちゃったよ。 ある意味で。




< 久治良家の遺産相続について、三郎叔父の見解。>


わしは親父から一円も貰っていない。 わしは一銭の金も相続していない。

これは事実である。 しかし三郎叔父が、小松屈指の金持ちの家に、ムコ養子
に行ったと言う事実を無視しておる。 又は隠している。



ワシの父伊一は、三十六歳まで全財産の相続を条件に、小使いも無く、コマツ
の給与を全額、祖父に渡していた。 それは、どう考慮されるのか?

ワシがこう聞くと、三郎叔父は口をへの字にして沈黙した。 黙して、いつま
でも返事せぬ。



恐ろしく間を置いてから、わしは相続では、一銭も貰ってないを、繰り返した。
質問の返事に、成っていない。



ワシが再び同じ問いを発っすると、三郎叔父、又もや口をへの字にして沈黙する。

だからワシは、この会談を、自分意見の、ののしり合いだと言うのだ。 議論で
は無い。 口論レベル、以下だ。

都合が悪くなると沈黙し、自説を一方的に、喚( わめ ) くだけであったと
言うのだ。



  *       *       *



ここに、久治良家の遺産相続に関する 大阪在住の次郎叔父 ( 土田義雄 )
の見解を挿入する。

次郎叔父いわく、



兄貴 ( ワシの父 土田伊一の事である。) 確かに腹立つわなぁ 〜 、三十
六歳までの給料、全部親に取られて、その挙句、

住んでる家以外、何も相続出来なかったからなぁ 〜 。


分る分る、その気持ち。 でもなぁ 〜 兄貴よ。 わしらは、だよ。 折角、
懐( ふところ ) へ入れた金、出しとはないしなぁ 〜  アハハハハッ


まぁ 〜 兄貴にすれば、もう一回遺産相続、やり直したいやろ。
分る分るその気持ち、分るんだよなぁ 〜  ハッハッハッ

この時ワシは、次郎叔父に言った。 久治良家の遺産、一番多く取ったのは、
叔父さんだそうですね。



すると次郎叔父、野獣のような目でワシを睨 ( にら ) んだ。 しかし
何も言わなかった。

饒舌な次郎叔父でさえ、都合が悪くなると、無口に成る。 しばらくして
スウ 〜 ッ と立ち、何も言わずに出て行った。



  *       *       *



< 四郎叔父がニセ巡査であった事と、
     和田伝四郎初代小松市長について >



ムコ養子に行った三郎叔父は、パソコンを使わぬ。 ワシのホームページの内容
は、介護用品の販売会社社長の息子が、伝えたと見える。

自分に都合の悪い部分、まったく知らない。 息子は、削除して伝えておる。

そりゃ、あかんぞなもし。

全文をプリントアウトさせて、読むべし。



ワシが訪ねた際、三郎叔父は浄土真宗の 正信げ ( 漢字ばかり )を読んでいた
から、ワシのホームページも、印刷して読めッ  言うといた。



叔父に依ると、四郎叔父の警察官採用試験の頃は ( 昭和23年、1948年当時 )
警察は市の管轄だったらしい。 いわゆる市警である。

とすりゃあ、市長の意向、重大に反映する。 不合格を合格にするなぞ、わけも
無い。 実際、電話一本だった。



三郎叔父はワシに言うた。 そんな昔の話を今頃ほじくって、何に成る?
だいたい、お前の書いた物なぞ、誰が信用するッ

誰も信用しないッ そんな誰も信用しない物を書いて、何に成る?
ワシ、反論した。



まずワシは、歯科医師である。 歯科医師を捕まえて、お前とは何事だッ
金持ちだからと言うて、思い上がっとるのか?

如何に甥 ( おい ) っ子でも歯科医師ならば、先生と言えッ
この糞ジジイめがッ とワシ、一発かましてから、言った。



だけど四郎叔父が警察官採用試験に落ちたのは事実だぜ。 祖父の伊義が和田
市長に頼んで、合格にして貰ったのも事実だ。

ワシはイカサマは書いておらん。 誰が信用するか? ・・・ は大きなお世
話だッ 文句有るかッ ・・・ に三郎叔父は、

口をへの字にして、ワシをジッと見たまま、返事しなかった。



四郎叔父、そんな経緯で巡査になりながら、ワシの父を面罵するとは不届きだと
思わないか? けしからんと思わないか?

四郎叔父が長男の実父、伊一様に失礼な事を申しました。 心底謝罪いたします。
つきましては先生の文、何とか成らないものでしょうか?



そう言う具合に言うのが、筋 ( すじ ) だろうに。 と言うワシのこの反論に、
三郎叔父、又もや返事しなかった。

都合が悪くなると、口をへの字にして、ワシをジィ 〜 ッ と見つめる。
ワシの反論に文句が有れば、言うて呉れッ

と、言うても、


三郎叔父、言葉を発しない。 これではアカンと思い、ワシは暇乞い ( いとま
ごい )して帰って来た。

三郎叔父から反論が来れば、ここに記載する。



以上が、ムコ養子に行った三郎叔父 ( 島隆三 ) との口論の、全てである。
これでは口論にも成らぬ。

平行線だ。



  *       *       *



< 和田伝四郎翁を語る。>


○ 小松市の山の手、若杉町に住む有志諸君が、< 小松だよ、全員集合ッ
   なるホームページを開設した。

   そこに和田伝四郎初代小松市長の銅像の写真、掲載である。ご覧有りたし。
   ホームページの諸君らは、どうやらワシより、二廻り ( ふたまわり )
   ほど若いらしい。 さすれば生前の和田市長、見れ無い。

   市役所の前、公会堂横にある和田伝四郎翁の銅像、近似ではあるが、本物
   あんなものじゃ無い。 気迫に満ちておられた。

   小柄、極端に痩せられて、お顔など、頭蓋骨に皮一枚の感じ。 そのお顔
   陽に焼けて、精悍そのもの。 明治生まれの土性骨 ( どしょうっぽね )
   そのもの。



   和田伝四郎市長の別名、ヒゲの市長。 当時、ヒゲの市長と言えば、
   中央でも、和田伝四郎小松市長と通じたのだ。

   横一文字、独特のヒゲ。 ワシの下手な筆致では、とても伝わらぬ。
   先のホームページ、目次の一番下。 銅像の写真にてご覧あるべし。

   おおよそなら、あれでよし。



  *       *       *



   さて、くだんのホームページ < 小松だよ、全員集合ッ > の
   銅像写真には、但し書きが付いておる。 いわく、



***********************************************************************



   ところで、誰やこの人?  ( 小松市公会堂前の和田翁の銅像写真。)


   初代小松市長であり、小松能美の大合併を行った和田伝四郎氏。
   南加賀50万都市のデカイ構想を考えてみた、すごい人。

   今は平成の大合併時代ですが、小松には「 昭和の大合併 」もあったん
   です。  しかし、賛否両論のある方です。

   ( って、どんな人か見た事も、会った事も無いけど。)



***********************************************************************



近頃の若いもん、敬語を知らぬ。 世が世なれば文句のひとつも出る所なれど、
そりゃあ 〜   あれだけの大事業を残された方、

賛否両論、当然かも。 でもね、日本全国、市町村は五万と有れど、石川県の
小松市が、かくもだ。 のほほんと、してられるのは、和田市長のお陰なんだぞ。



まず第一の功績は、河合良成である。 どこで見付けたのか? 日本が敗戦で
しおれてた頃だ。

地元小松製作所、倒産必至のみぎりである。 和田市長、来て呉れ、言うて
東京から河合良成を引っ張って来た。



その結果、河合良成、日本全国、いや世界の認知する、今日 ( こんにち )
のコマツを創ったのだ。 米人の本に書いてあった。

( この本は ポール・アードマン著 * 円への警告 * 集英社 である。)



アメリカのある州、国産品愛用で米国製のパワーショベルを買った。 値段は
高い、性能は劣る。 何んでコマツを買わなかったのだッ

と、ぼやいておる。



こんな凄い企業が市に有ると、( 税金がドバッと入るので ) 市長はアホ
でも勤まる。 ワシでも務まる。



○ さる方の御注意に依り削除いたす。 失礼をば申しました。




その上だ。 自衛隊共用の小松飛行場があら 〜 な。 和田伝四郎市長の頃、
革新系の連中、軍用飛行場反対で大変だった。


事実のしからしむる所、自衛隊の最新鋭戦闘機が居ればこそ、日本は守られる。
丸腰なら、中国、北朝鮮、ソ連、果ては韓国にまで、なぶられる。

実際は自衛隊が居ても、なぶられとるじゃないか。 自衛隊は何をしとる
のじゃ? 実は自衛隊、法律でがんじがらめ。

あれはしちゃ駄目、それもしちゃ駄目。 こんな自衛隊、世界の奇物である。



それから当時の革新勢力だけど、今や最大の利権勢力だからね。 彼らの
言う事、言葉だけ革新。

実際は、こってり、まったりの既得利権集団であるって事、忘れるな
医師会(歯科医師会)並みの利権集団なのだ。 官公労こそ、その本丸だ。

ワシも歯科医師の端くれなんで、でかい事は言えぬが ・・・



てなわけで、コマツからドバ 〜 ッ 、自衛隊共用の飛行場からドバ 〜 ッ。
小松市の税収、ウハウハ なんすよ。 この小松市は、天国なんすよ

みな様、ここは駄洒落ですから、本気でお取り、なさいませぬように ・・・



  *       *       *



かくて小松市、和田伝四郎初代小松市長が、河合良成のコマツと、自衛隊
共用の小松飛行場を引っ張って来たお陰で、

日本でも屈指の、豊かな市とは成れたのだ。 これ、如何なる反対者も否定
出来ぬ事実である。

これがつまり、賛否両論の賛の方である。 では賛否の否は何か?



ま、それは人に依り、判断が違うだろう。 田中角栄総理、日本列島改造で、
大土木工事、全国にあまねかった。 その工事の受発注、総理は私した。

受注企業から 3% のリベートを取った。 それが汚いと、立花隆に叩かれ
た。 しかし、そんな事、当時も今も政治家の常識だ。



和田伝四郎市長の時代、公共工事を受注した企業は代金の 5% 、現金を
封筒に入れ、市長室へ持参した。

ワシ、当時の土建業者から、この耳で直 ( じか ) に聞いておる。 何時
頃か、それはいかんと言う事に成り、公然が消えて秘かに、に、変わった。



おおっぴらは消滅したが、形が変わっただけで、市長へのバック、今も昔も
続いておる。

例えばだ。 こんなのはどうだ? 小松市の助役だった方、市長選に立候補
した。



当時、社会党ブームだった。 以前なら楽々当選なのに、社会党から立候補し
た、竹内伊知なる候補者に苦杯を舐めた。

ワシ、建設業の方からお聞きした。 借金が、七千万残って仕舞い、本人、
自宅を売り払って、夜逃げまで考えた。



わし等、止めてね。 待てば海路の日より有りだ。 市長選、これでお仕舞い
でも無し。 冷や飯喰うのも人生の修行だって言って、止めたのだ。

だけど社会党の市長、二期八年も続いた。 苦しかっただろうと思う。
やっと市長に成れて、今はご隠居し、悠々自適されておる。



で、その七千万の借金、どう成ったの? 誰も聞かぬし問題にもされぬ。 ワシ
思うに、和田伝四郎市長の時代の方が、余程 きれいだったのでは無いか?

工事代金の 5%、封筒に入れて市長室へ持参した時代の方が、スカッとした
秩序が有ったのでは無いか? と思う。



  *       *       *



現今の市長、建前上、そんな不正はしてません。 だけどね、ある市長、当選
するや、資金援助したと思われる建築会社、市の工事、立て続けに受注した。

市の体育館の外装補修工事、市民病院の修繕工事、A 建設のでかい看板、あっ
ちにも、こっちにもで、本当に笑ったよ。



あれは汚くないのか? ちなみにその時当選の市長、ナホトカ号の難破、重
油流出事故時に、所在不明。

最初の弁明は関西方面へ、よんどころなき用事。 だけどグァム島で見た人が
出て、こじれた。 女が居たとか居ないとかで、結局、市長を引責辞任。

A 建設も、その後、倒産してる。



我ら、汚い行為を非難して、もっと汚い行為を誘発しとるのと違うか?
ワシは、和田伝四郎時代を支持したい。

グァム島で遊んで、市長職を棒に振った方の次が 西村徹市長である。
ワシの個人的感想なれど、この方が歴代小松市長の中で、最も奇麗ではなか

ろうか?



広瀬隆の本 < 北陸が日本地図から消える日 > に、県庁の担当職員役で、ちょ
い出演されておる。 おそらく本人、小松市の市長なんて夢にも現 ( うつつ )

にも、考えた事、無かったと思う。 前任の市長の終り方が終り方だったので
ひっぱり出されたのである。

寝耳に水とは、こんなのを言う。



石川県の小松市へ、安宅関なんかでお越しの方、是非是非、小松駅周辺の散
策を、お勧めする。 

町並みの整備されてる事。 広々として明るい事。 これが西村徹市長の仕事
なんである。 小松市街地の景観、一変した。

三期十二年、ご苦労様でした。



現在の和田慎司市長、小松からコマツの小松工場が、金沢へ撤退移転。 駅横
のデパート大和の店仕舞いと、市の中心街の寂れ方大問題で、難問山積。

西村徹市長は、小松を整備した。 和田慎司市長に求められるのは、小松の活
性化ではある。 これも大変な仕事だ。



  *       *       *



ウエブには和田慎司市長、和田伝四郎翁の直孫と書いたのも有るが、よく
わからんのだ。 ご本人に問い合わせているので、のち追加する。

ワシは芦城中学、第 17 回卒業である。 和田慎司市長は、第 20 回で
あられる。 しかも和田市長、旧姓は と書いてある。


この秋、小松市の商工会議所に新会頭が就任された。 小松ガス会長、
和田衛氏は、れっきとした和田伝四郎翁の直系である。

この衛氏の夫人、和田慎司市長の従姉妹であるそうな。 すると和田慎
司市長は和田伝四郎翁の直系では無い?

正確なる記述、のちに行う。




< 和田伝四郎翁、賛否の否の部分。>



○ これ以下は、書き直しの可能性が有る。  その際は、コソッと消して、

   別の文にするのではなく、従前の文をそのままに、新文を書く。
   責任の所在は明確にする。 くじらBOOKS の方針は守る。




賛否の、否の部分である。 ワシは個人的には 否 とは思わん。 でも思う
人士 ( じんし ) も御座るから、書いてみる。

つまり、だ。 和田伝四郎市長、子孫に美田を残された ・・・ とでも
言おうか。



  *       *       *



この度小松商工会議所会頭に成られた和田衛氏は、小松ガス会長である。
この小松ガスも、和田伝四郎市長の子孫への美田である。

小松ガスの創設は、大正12年である。 同14年、和田伝四郎氏、取締役
に成られた。 昭和五年、社長に就任された。



その後、次男の和田学次氏が社長となり、今や小松ガスは、和田家の家業の
如くある。

ワシは、小松の商工鉄工業に、永年関与された方から、この情報を頂いてお
るが、小松ガスの発足時、ガス事業の性格上、和田家の家業である筈がない。



それが、いつの間にか、和田一族が社長職を専有する様になった。 そこを
指して、賛否の否だと、その方は言われれるのたが、ワシ、反対意見を聞かぬ

内は、確定しがたいと書く。 特に取材もしないが、意見情報の有る方、申し
出て欲しい。 よって、ここは書き掛けである。



  *       *       *



和田市長の呼んで来た、河合良成の コマツ、世界の大企業に発展した。
見れば和田市長の三男、コマツの常務取締役であられた。



その他、和田伝四郎翁の、いろんな意味での資産に、ご子孫の方々が座ってお
られる。

そこを捕らえて、賛否の否だと言われる方が居られるのも事実だ。 しかし
コマツの場合、河合良成社長が存命の間は良かったが、


死去後に社長に成られた、息子の河合良一氏は和田系と馬が合わなかったらし
く、コマツから和田系は排除されている。

排除はコマツの社内のみならず、協力工場の和田系まで、出されてしまった。
どんな力学が有ったのか、知るよしも無いが、とにかく和田系はコマツから

排除された。



ワシも、小松市の鉄工所あがりなんで、色んなうわさを耳にした。 よしなき
ものが多かった。

鉄工業関係の和田系、戦後の一時期とは比較できぬまでに、弱体化した事を記
して、この部分を終わる。



  *       *       *



< 一族と言われてる方々へのメッセージ。>


コマツを世界企業にした河合良成の一族、河合村と呼ばれる広大なる敷地に集合
して、住んでおる。

河合良成には自伝がある。 それを読むと、皇族の訪問が書いてある。 河合良
成、自らの案内で、敷地内の築山、散策する場面がある。

敷地内に、人工の山が有るのだ。



そこでワシは、言いたい。 金持ちに成るのは勝手だ。 山水のある豪邸を造る
のも自由だ。

しかし、そんな金持ちには、責任が生ずると思う。 国家や社会に対する責任が
発生すると思うのだ。



日本の金持ち、責任意識に乏しい。 見てると単に、お金が沢山有るだけ ・・
・・ の生き方をして御座る。

ご子孫の方々も三代すれば、お金のどっさり有る坊っちゃんに過ぎなくなる。
日本の金持ち、その辺が駄目だ。



たとえば何々一族と呼ばれる資産家に、特有の育児でも有るかい? 育児の
ノウハウが有るかい?

日本には金持ちの責任を植え付ける、子育てのノウハウが無いのだ。 これ
日本にとって、由々しき問題であると、諸君ら認識せよ。



良いおべべ( 衣服 )着せて、お坊ちゃま学校へ通わせてるだけじゃ、まずい
のだ。

金持ち三代続かず ・・・ のことわざ、ロスチャイルドやロックフェラーの
一族には無いぞ



  *       *       *



ワシ、日本の将来を考えると、やがては韓国の経済の様に、アメリカの金融植
民地にされるのかと、心配で堪らない。

この難局に対処出来るのは、一流難関大卒ではない。 明治維新の人物に大卒
は居たか?



坂本竜馬、西郷隆盛、伊藤博文、などなど。 あの時代の有名人は、全て私塾
出身である。 高校大学の優等生、一人も居ない。

高度成長期みたい、あんな時代なら学校秀才が有効だ。 欧米の巨大資本家が
ウソと真実こき混ぜて、謀略で乗っ取りに来る現代は、



学校秀才の出る幕ではない。 ワシは明治維新に匹敵する、その手の人材を、
一族と呼ばれる資産家に求めとるんじゃが、どうも駄目だね。

お金持ちの一族も、三代すれば、坊ちゃん一族に成ってしまう。 日本は、
ユダヤ民族やアングロサクソン民族に有る様な、次世代を継承する、人材を

養成するノウハウを、持たぬ民族だ。



これ、困るのよねぇ 〜 。 欧米の巨大資産家一族に有る、次世代の子弟教育
ノウハウが、日本にも欲しいのよねぇ 〜 。

それに答えてこそ、資産家一族は、一族として、認知されるのではないのか?
そう言う時代なのだよ、現代は。

資産家一族のみなさん、そんな時代に直面してるのよ、現代は



  *       *       *



和田伝四郎翁のご子孫も、和田一族と呼ばれる。 河合良成のご子孫も、河合
一族と呼ばれる。 トヨタ自動車の豊田一族。

パナソニックの松下一族。 大小はあれど、一族と呼ばれたからには、使命感
を持ち、日本の自主独立に貢献する人材を、輩出して貰いたい。



白洲次郎みたいなものでね。 敗戦時、彼がどれだけ日本を守ったか、計れな
い位だ。

そして、あんな人材を養成するには、どの位の資産が必要かも、我等は知った。
ひと財産、掛かるのだよ。 白洲次郎ひとり、造るのに



こりゃ貧乏人には不可能だ。 やっぱ一族と言われなきゃ、無理ざんす。
だから日本で、一族と呼ばれてる方々には、責任があるのよ。

それを自覚してよッ  ってえのが、ワシの言いたい事なんだ。



和田伝四郎翁の一族、小松じゃ大したものだが、日本的には然 ( さ )
したる一族でも無い。

だが一族ではある。 是非是非、小松市の発展に、寄与して貰いたい。



  *       *       *



ワシはまだ、和田伝四郎翁の小伝、書いておらぬ。 次段にて、それを書く。

参考本は、昭和47年北国新聞社刊 < 和田伝四郎翁 その人と生涯 >
である。



この本を基軸に、ワシの見聞を加味して書く。 但しじゃ、ワシの見聞は
偏頗 ( へんぱ ) である。 既に或る方からの参考意見が有った。

その或る方、和田一族にある種のスタンスを持たれたお方じゃ。 さすれば
その意見、ある方向からと、成らざるを得ぬ。 であるから、



左右の諸氏のご叱正を受けて、加筆して行こうと考える。 決定稿ではないと
断って置く。

では次段に、ワシの、和田伝四郎翁小伝を記す。






*       *       *



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